ネオワールド
滝川創
ネオワールド
そっと扉を押していく。
ドアノブを握った掌に汗を感じる。
隙間から室内を覗く。
動くものは、ない。
後ろ手に扉を閉める。
パソコンが並ぶオフィスのような場所だった。
そこら中に書類がまき散らされているが、危険はなさそうだ。
真吾はデスクの下を見て回った。
「まあ、オフィスにしては上出来だろう」
ここでの収穫は缶詰が四つ、未開封の飴袋にスナック菓子が少々。
既に高さ七十センチほどの大容量バックパックに半分ほどの回収品が入っている。
今日は運が良い。
真吾は窓枠に腰掛け、外の世界を眺めた。
街はまるで絵のように止まっている。
閑静な道が交差している道路に動くものはなく、あちこちに崩れたビルや倒れかかった電柱、ひっくり帰った車があるだけ。
あの日から一ヶ月。
ここまで世界が変わってしまうなんて、夢にも思わなかった。
ため息で窓ガラスが曇る。
真吾は物資調達班の一員だった。
彼の仕事は廃墟となった街などを探索し、使えそうなものを調達すること。
毎日の重労働に、初めの頃は全身が悲鳴を上げていたが、今では慣れたものだ。
彼はバックパックを背負い直し、立ち上がる。
この建物は他の建造物より損壊が少なく、探索しやすかった。
もっとも看板の部分は崩れ落ちており、何を取り扱っていた施設なのかはよくわからなかったが。
階段を降りて一階の廊下に出る。
すると、背後から足音が聞こえてきた。
入り口からだ……。
真吾は足音と逆方向へ、音を立てずに走る。
廊下の端にトイレを見つけ、そこへ駆け込み、ドアをそっと閉める。
息をひそめ、耳を澄ませる。
「確認終了」
遠くからぼんやりと声が聞こえ、足音が遠ざかっていく。
腰の拳銃にかけていた手の力が緩む。
腕で額の汗を拭い、安堵の息を漏らしたところで足元が不安定なことに気付く。
足元には青いまだら模様の草が茂っている。しかし、タイルの床に草が生えているわけではない。
真吾はじっと見つめて、それから口元を抑えた。
人間だった。
トイレに横たわった死体から草が生えているのだ。
草が覆っているためにわからなかったが、頭がないスーツ姿の死体だった。
真吾は吐き気を催して、即座にそのトイレを出た。
何て恐ろしい……。
ことの全てはあの草から始まったのだ。
***
それは新種の雑草で、いつどこからやってきたのかは不明だった。
非常に繁殖力が高く、どこにでも生えるため、不死滅草はたちまち世界に広まった。
それ自体、特に目立つ害はなかったのだが、青いまだら模様をもつその植物のことを、人々は嫌った。
街のあちこちに不気味な色の草が生い茂り、抜いても抜いても生えてくる草に対し、人類は特殊な除草剤を撒いた。
それは不死滅草に対して生み出された新技術で、効果は絶大だった。
今までどんな既存の除草剤を使っても、不死滅草が枯れることはなかったのだが、その薬はたちどころに不死滅草を死滅させることに成功した。
駆除とともに研究が重ねられ、不死滅草は特殊な成分からなる植物だと発覚した。
そのうち、更なる除草剤が開発された。
『4M2ZAI』と名付けられたその薬は、不死滅草以外には効果がなく、人間にも無害であったため、人類を魅了した。
すぐに世界中で4M2ZAIの散布が実施された。
街が煙に包まれ、みるみるうちに不死滅草はしおれたのだった。
そうして、不死滅草は世界から消えたかのように思われた。
***
コンビニには何ひとつ残っていなかった。
あるのは床にこびりついた血と、レジに残った金だけ。
世界が変わり果ててしまった今、金なぞ欲しがるものはいない。紙幣は紙くず同然だ。
コンビニの外から咳が聞こえ、真吾は銃に手をかけ、姿勢を低くする。
コンビニ前の道路に現れたのは、顔が髭で覆われた厳つい男だった。
「おう、真吾じゃねえか。どうだそっちは」
同じ隠れ家の仲間、
「なんだ、お前か。脅かすなよ……」
真吾はホルスターから手を離した。
「いやあ。わりいわりい」
小梨が頭を掻きながら笑った。
二人は行動を共にすることにした。
小梨の方はさっぱりで、彼のバックパックはすっからかんだった。
真吾が今日の成果を報告すると、小梨は「やっぱお前はすごいなあ」と腕を組んで感心した。
小梨は良い奴だ。
世界が変わり果てて、最初に出会ったのが小梨だった。
家族や生活の全てを失い、森で飢えていた真吾に食料を与え、生存者が集まる隠れ家へ連れて行ってくれたのだ。
今、真吾はそのコミュニティで支え合いの中、生きている。
「おい、ボロボロになった服を取り替えるのに、良い頃合いじゃないか?」
小梨は通りかかった服屋をあごで指した。
服屋には在庫が十分なほどあり、気に入ったものを好きなだけバックパックに詰め込んだ。
「そろそろ行こう」
「ああ、やっと荷物ができて嬉しいよ」
二人は店を出た。
「おい待て」
店を出た途端、小梨は真吾を制した。
「何か聞こえないか?」
彼がそう言ったのと同時だった。
小梨の首元に小型注射器が突き刺さり、彼はその場に倒れ込んだ。
注射器が放たれた方に目をやると、数十メートル向こうから駆けてくる二体の『ネオ』がいた。
「真吾……逃げろ」
小梨のかすれた声で我に返り、真吾は全速力で走り出した。
「待て、人間」
被弾しないよう、ジグザグに走る。
横を注射器がかすめていく。
路地に飛び込んで走り続けた。
この世界は今、奴らによって支配されているのだ。
***
除草作業により、街で不死滅草を見ることはなくなった。
代わりにあるニュースが世間を賑わせることとなった。
『ブタ、突然変異。新種誕生』。
4M2ZAIを浴びたブタが突然変異したというのだ。
それは人間のような体を持ち、顔もブタと人間を混ぜ合わせたような風貌をした生物だった。
驚くべきことに、彼らは二足歩行を始めた。
人間はその新種を『ネオ』と名付け、丁寧にもてはやした。
更に世間はネオに対し驚愕の声をあげることになる。
育つにつれてネオは人の言葉を喋り始めたのだ。
これには世界中が釘付けだった。
それだけに留まらず、ネオは次々と進化を見せ、その能力は人間と変わらぬものへと発達していった。
ネオは繁殖し数を増やした。
人類は仲間が増えたと喜んだ。
しかし、彼らは真の能力を隠していた。
ある日、ネオが一斉に姿をくらました。
地球上からネオが一体残らず消えたのだ。
人々は悲しんだ。面白い見世物がひとつ減った、と嘆いた。
悪夢はそれから一年後、唐突に始まる。
ある日、世界中の電波がジャックされ、ネオたちが人間に宣戦布告を出した。
流された映像には見たこともない装備に包まれた大量のネオ兵士、そして、近未来的な巨大都市が映し出されていた。
姿を消したネオたちは地下に巨大な国を築き上げ、人類への攻撃準備を着々と進めていたのだった。
残念ながら、ネオたちの知能は人間のそれを遙かに超越していた。
彼らは人智の及ばない技術を使い、人間界を蹂躪していく。
街は次から次へ崩壊し、人々は捕獲され、ネオの家畜となった。
人間は根源であるブタを殺し始めたが、ネオに影響が出るわけがなく、その行為が彼らの逆鱗に触れたことは言うまでもない。
銃弾を跳ね返すスーツを身に纏った彼らは、無敵という言葉がぴったりだった。
三日もすれば人間は街から姿を消し、生存者は山や森などに隠れ家を作って、そこで暮らすようになった。
真吾のように物資を調達する人間が街へ出ることはあっても、街で暮らすことは不可能だった。
ネオのパトロール隊が地上を歩き回っており、堂々と歩くのは自殺行為といえた。
不思議なことに、ネオの攻撃が進むに連れて、どこからともなく不死滅草が姿を現した。
ちらほらと現れるその植物は、人間の不死滅草殲滅に対する反撃を謳っているかのように見えた。
食物連鎖の頂点は、人間からネオへと移行した。
***
体力が限界を迎え、倒れ込んだそこは街の端にある博物館の前だった。
無意識のうちに頬が濡れていた。
それを拭いながら立ち上がる。
日が暮れ、当たりは薄暗くなってきているがこれ以上走ることは不可能だ。
彼らの目は闇の中でも昼間並みに働くため、夜はネオが圧倒的優勢になる。
こんな時間に外を出歩けば一瞬にして奴らの餌食だろう。
どうやら今日はここで一晩過ごすしかなさそうだ。
真吾は博物館の中へと足を踏み入れた。
博物館の中には不死滅草が縦横無尽に生えていた。
それでも展示物の多くは元の状態のままだった。
もしかすると、ネオは人類文化の資料として保存する気なのかもしれない。
拳銃を片手に中を探索する。
恐竜の骨が展示された部屋に入ったとき、何やら聞き慣れない音が聞こえてきた。
体が強張る。
全方向に意識を行き渡らせながら、慎重に足を進める。
ふごっという音に驚き、反射的に物陰へ隠れる。
恐る恐る顔を出して覗くと、そこにいたのは一匹のブタだった。
人間が大量殺戮を行ったおかげで、今やブタの姿を目にすることは滅多に無い。
ブタは無防備に、床の草を食べていた。
肥えた体に空腹を覚える。
今日の晩ご飯はこれにしよう。
真吾は足音に細心の注意を払い、息を潜めてブタの背後に回った。
そっと拳銃を構え、標準をブタに合わせる。
何かを察知したブタが顔を上げた。
今だ!
館内に銃撃音が鳴り響き、ブタの鳴き声が上がる。
弾痕はブタの足元にあった。
真吾の手から銃が滑り落ち、鈍い音を立てて地面に転がる。
彼は膝をつき、そのまま茂る不死滅草に突っ伏す。
真吾の首には注射器が深く刺さっている。
ブタの視線の先にいた一体のネオがゆっくりと歩み寄ってきた。
「危うく、絶滅危惧種のブタが殺されるところだった……。やはり、害獣は駆除しなくては」
時代が変わり、拡散する種はヒトからネオへと移り変わった。
人間が闊歩する時代はもう、昔のものとなったのだ。
人が作った死が命に変わり、その命が同じく人に死を与えた。
風に吹かれた草たちが、さらさらと音を振りまいた。
青いまだらの草たちが、今日も夜空に歌うだろう。
ネオワールド 滝川創 @rooman
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