第4話 日曜日のデート

 日曜日、9時45分に西池駅の南口に行くと、同じホモ・サピエンスとは思えないほどまぶしい超絶美女が、俺に向かって大きく手を振ってきた。

 早川美波はやかわみなみは全然サキュバスっぽくないが、桜井聡美さくらいさとみはどう見ても天使としか思えない。

 この日、桜井は白いブラウスと黒いチノパンという極めてあっさりした服装だったが、抜群のスタイルと似合いすぎるポニーテール、そして学校では付けていなかった可愛らしいシュシュのおかげで、ファッション誌のモデルさえ凌駕りょうがするであろう美のオーラを放っていた。

 というか、身長の半分以上を占めている長い脚が、生まれたばかりの小鹿のように細くてちょっと心配になる。


 早川の姿は見当たらない。

 もしかして、本当に2人きりなのだろうか。


「おはよう、渡良瀬わたらせくん。どうかしたの?」

「え……? どうかしたって何が?」

 桜井は小首をかしげた。

 顔も仕草も、勉強会のときに散々見たはずなのに、外で、私服で、2人っきりだと破壊力が違う。

『そんなうるわしいお顔で見つめないでくれ、恥ずかしくて死んでまうやろ!』

 と叫びそうだったが、ぐっとこらえた。

 自分の顔が真っ赤になるのが嫌でも分かり、俺はうつむいた。

「なんか、全体的にぎこちない気がする。さては――」

 桜井が下から俺の顔を覗き込んだ。

 そのとき、柑橘かんきつ系のさわやかな香りが漂って、俺の理性を揺さぶった。

「見たい映画があるんでしょ、それもちょっとマニアックな!」

「あ、うん……」

「渡良瀬くんの見たい映画はズバリ! 『劇場版パチレモン』! でしょ?」

 桜井が名前を挙げたのは、少し前にTVで放送されたアニメの劇場版だった。

 そう言えば、桜井ってちょっと前まで中二病だったんだよな。

 アニメとか詳しいんだろうか。

「大丈夫、私の見たい映画もそれだから! ……あれ? 違った?」

 こんな貴重なことがあるだろうか。

 あの完璧女子・桜井聡美が自信なさそうな顔をしていた。

 俺は慌てて首を横に振った。

「いや、違わない」

 実際のところそれは本心だった。

 ただ、まさか今日、桜井と一緒に見る映画がそれだとは思っていなかった。

「そう、良かった!」

 桜井はにっこりした。




 電車は混んでいたが、俺は逆にほっとした。

 今、桜井と隣同士で座ることになったら心臓がもたない気がする。

 そう思っていると、桜井が周囲に知人がいないことを確認し(桜井に見惚れていた見知らぬ人々があわてて目を逸らした)、声を落として、


「私ね、美波みなみちゃんのことが心配なの」


 と話し始めた。

 桜井は外の景色ではなく俺に顔を向けていた。


「美波ちゃんにとって渡良瀬くんは特別なのかもしれないけど、それにしたって……」


 電車がガタンと揺れた。

 桜井が俺の耳元に口を寄せて、ささやいた。


「サキュバスとか、××とか、そんなことを言うなんて」


 ビリビリッと全身に鳥肌が立った。

『あんたの方がよっぽど小悪魔サキュバスだよ!』

 と言いたくなったが、俺は再びぐっとこらえた。


「ねえ、渡良瀬くんは美波ちゃんのこと、どう思う?」


 どうって……?


「やっぱり、あんなこと言われたら……。ごめんね、2人の問題なのにこんなに無遠慮に踏み込んで」


 日がかげって、車内が少し暗くなった。

 桜井は少し外を見て、俺に視線を戻した。


「美波ちゃんって高校進学のタイミングで東京から引っ越してきたんだって。教室でも下を向いてばかりで、いつもすごく寂しそうにしてる。私がおしゃべりに誘ってもいつも素っ気ないの」


 俺たち1年3組の生徒は、桜井聡美と同じクラスになったことで、美人には2種類のタイプがあることを知った。

 周りを色褪いろあせさせるタイプと、周りをも輝かせるタイプだ。

 桜井聡美は明らかに後者で、彼女の周りの空気は晴れやかで風通しが良い。

 みんな彼女の周りに集まりたがる。

 彼女の周りには屈託のない笑顔があふれている。

 その桜井からおしゃべりに誘われて素っ気ない態度をとるなんて、早川にはどんな思惑があるのだろう。


「渡良瀬くんが美波ちゃんにとって心を開ける相手になったなら、私はとても嬉しい。でも、美波ちゃんが渡良瀬くんに……をするのは放置できない。万一それが明るみになる事態になったら、美波ちゃんの人生がめちゃくちゃになるかもしれないもの」


 なんだか急にヘヴィな話になったな、と俺は思った。

 だが、桜井が早川を本気で心配していることはひしひしと伝わってきた。


「ねえ、渡良瀬くんは、美波ちゃんのこと、どう思ってるの?」


 桜井の問いはあくまでまっすぐだった。

 だが、どう答えたものか、俺は迷った。

 何をどこまで話すべきだろう。

 そして、俺に決して悪意がないことを、どう言えば分かってもらえるだろう。


 早川の真意はきっと、夜中に俺の部屋を訪ねたときに彼女自身が話してくれた通りなのだろう。

 彼女は本物のサキュバスだ。

 そうでなければ、目が合った瞬間の不思議な感覚の説明がつかない。

 そして、早川は生きるために俺と……ヤラシイことをしたがっている。

 俺を選んだ理由は、俺が他の男子と違う本を読んでいたから。


 桜井は本気で早川のことを心配している。

 その真摯さは本当のことを知るに値すると思う。

 でも、サキュバスたちの事情が分からない以上、俺が下手にしゃべると早川の立場が危うくなるかもしれない。

 もちろん、別に俺が早川のことを心配せねばならない義理はない。

 むしろ、俺は早川に襲われた身だ。

 だが、仮にも人間の女の子の姿をしている知的生命体について、立場がどうなっても構わないとはなかなか割り切れない。


「桜井さんが早川をすごく心配してるのは分かった。でも、詳しいことは今は話せない。いや、正確には、俺の口からは話せない。早川のプライバシーにかかわることだから。でも……」


 俺は少し迷ったが、思い切って言った。


「早川と出会ってまだそんなに経ってないけど、早川はきっといいやつだと思うよ」


 少なくとも、サキュバスという割に、悪い奴ではなさそうだ。


 桜井は安堵した様子だった。


「ありがとね、渡良瀬くん。美波ちゃんを見てくれて」


 窓の外では、太陽が町を照らしていた。

 あと2駅で映画館だ。

 季節は6月。

 夏が始まろうとしていた。


 そのとき、俺はようやく気づいた。

「もしかして、今日の用事って……」

「そう、実は渡良瀬くんと2人きりで、この話をしたいと思ってたの」

 つまり、デートではなかった訳だ。

 そんな気はしていたが、やっぱり、俺が勝手に勘違いしていただけか。


「でも、渡良瀬くんと映画を見たいのは本当よ」


 桜井が何気ないことのように言った。

 実際、彼女にとっては何気ないことなのだろう。

 俺も自分に都合の良い解釈はしないようにした。


「俺と見たいっていうのは、アニメが好きなことはみんなに内緒だから?」

「別に内緒じゃないわ。そういう話をする友達もいるし。でも、みんな『パチレモン』は甘すぎてあんまり好きじゃないって言うのよね」

「そう言えば、なんで俺が『パチレモン』好きだって知ってたの?」

「今更だね」

 桜井はふふっと優しく笑った。

「ごめん、授業中にノートにイラスト描いてるのが見えちゃったの。それで分かって……。やっぱり映画って、好きな人と見たいじゃない?」

 ん? 今、何か……

「あ、ほら、そのアニメが好きな人と、見たいじゃない? ってことだから! そういうことだから!」

 桜井が自分のミスに気づいてあたふたしていた。


 俺にはまだ、桜井が俺のことをどんなふうに思っているのか、本当のところはよく分からない。

 そして、俺が桜井のことをどう思っているのかも、まだはっきりしない。


 でも、とにかく、これから彼女と2人で映画を見られることはとても幸せなことだ、と俺は思った。

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完璧女子と地味っ子 あじさい @shepherdtaro

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