第3話 サキュバスの事情
「私の目的を話す前に、そもそもサキュバスって何なのかってことを話す必要があります」
これが中二病によるものだとしたらイタすぎる。
「人間は誤解してるんですが、私たちは面白半分に人間に取り憑いて××を搾り取る訳じゃないです」
サキュバスが搾り取るものと言えばアレのことだが、それを早川が話した通りストレートに書くのはアウトな気がする。ここでは伏せ字にさせてほしい。
「私たちは人間の性的エネルギーと快楽を使って、人間の活力と記憶の一部を共有させてもらいます。××を××で受け止めるのはそのために必要な儀式だからです。別にみんながみんな、好きでやっている訳じゃないです。人間の活力と記憶がないと、私たちは生きていけません。それは、えーっと、分かりやすく言えば、私たちは人間の想像力と願望から生まれた存在だからです」
こいつ、意外とすらすらしゃべるな、と俺は思った。
牛乳瓶の底みたいな眼鏡をかけて俯きがちでいるから、てっきり人と話すのが苦手なのだろうと思っていたが、そうでもなかったようだ。
「サキュバスに取り憑かれた男の人は月日と共に儀式による快楽を得られなくなります。そして、代わりに活力を消耗するようになります。そうなれば恩を
早川は話を中断し、少し上を見て「うーん」と
どういうふうに説明すれば俺に分かりやすくなるか考えてくれているようだ。
あるいは、単に設定を思い出そうとしているだけかもしれない。
俺の方から訊きたいことは色々あるが、話の途中なので、待つことにした。
やがて、早川が話を再開した。
「私たちサキュバスが共有させてもらう人間の記憶っていうのは、五感に基づく客観的な情報だけじゃなくて、それらについての解釈を含む思考と感情の総体なんです」
「待て、急に話が見えなくなったぞ」
「えーっと、私たちが男性と共有するのは、単なる記憶じゃなくて心……というか? ざっくり言えばそんな感じです」
「……心をひとつに、とかそういうこと?」
「近いかもしれないです」
エッチな行為で心をひとつにするって何かエモいな、と俺は思った。
早川が続けた。
「それで、誰の心の中にも『どす黒いもの』ってあるものなんですけど、『どす黒いもの』がそのままの状態で放置されていることが案外多いんです。うっかりそれに触れてしまうと、せっかく共有させてもらった活力を消耗することになります。だから、私たちはなるべく、『どす黒いもの』との向き合い方が分かっていそうな人を選ぶ必要があるんです」
「それが俺ってこと?」
俺は信じられない気持ちだったが、早川は
「……ええ、そうです。そんなところです」
「今、何か変な
「うーんと、私の説明だとニュアンスがちょっとずれたような気もしたので。でも、たぶん大丈夫だと思います」
ここで俺は自分を
疑問しか出てこない。
「俺、そんな能天気なタイプに見える?」
「『能天気』とは違います。『心が強い』とか、『考え方が柔軟』って言うのが近いかもしれないです。まあ、現時点では私の推測としか言えませんが」
「えーっと、それは、哲学系の本を読む辺りとか?」
「ええ、それで目を付けました」
「あれ? でも早川にその話をしたことあったっけ? もしかしてサキュバスって人の心が読めんの?」
「いえ、サキュバスが人間と記憶を共有できるのは儀式のときだけです。私が渡良瀬くんのことを知っているのは、図書委員だからです」
あ、そう言えばそうだ。
早川がカウンターにいるとき、何度か哲学の本を借りたことがあった。
あのとき俺に目を付けたのか。
「でもさ、哲学の本を読んでるって言っても、俺まだ高校生だよ?
世の中には俺なんかより哲学に精通してて柔軟な考えができる人がいっぱいいるんじゃないの?」
「ええ。でも、日本のサキュバスは20歳になるまで20歳未満の相手にしか取り憑いてはいけないことになってるんです。えーっとですね、サキュバスっていうと寝込みを襲うイメージがあると思いますけど、そういうときでも本人の了承は得るんです。サキュバスが寝込みを襲うのは、寝ている間だと夢を操作できて儀式の効率が良くなるからです」
夢の中では自分の好きなシチュエーションを想像できる分、はかどるということか、と俺は解釈した。
でも、それが年齢制限の話とどう関係しているのだろう。
「夢を操作することはできますが、諸事情により、私たちは現実と同じ姿でしか登場しません。それで、20歳未満のサキュバスが20歳以上の人の夢に登場して儀式を行うと、その人を児童ポルノや中高生の援助交際に誘導してしまうことになるので、サキュバスたちの間でそういうことはしないようにって取り決められたんです」
俺は思わず笑ってしまった。
「マジか! サキュバスが児童ポルノの抑止に配慮してくれてんのか!」
早川が
「あまり大きな声を立てないでください。ご家族が起きてしまいます」
「悪い悪い」
俺の家族は眠りが深い方だからこんなことくらいでは起きないだろうと思ったが、とりあえず謝っておくことにした。
「だいたいの事情はこんな感じです。分かってもらえましたか?」
「さっき、サキュバスたちの間での取り決めがどうこうって言ってたけど、サキュバスって日本に何人くらいいるんだ?」
「すみません、必要以上のことはしゃべるなっていうのも取り決められてるんです。私たちの存在が広く知られたり、大事な情報が洩れたりすると、人間たちが警戒するようになって、私たちとしては動きにくくなってしまいますから。でも、結構多いですよ」
「数が多いと、人間関係とか上下関係とか、大変そうだな」
「ええ……そうですね」
「じゃあ、
「1校あたりとなると、数えるほどしかいないです。ちなみに、
「ふーん」
数えるくらいにはいるんだな、と俺は思った。
早川が目を付けたくらいだ、何かのきっかけでそいつらが俺に迫って来ることもあるかもしれない。
今後は哲学関係の本は読まないようにした方が良いだろうか。
「分かっていただけたところで」
早川の目が、分厚い眼鏡の向こうできらめいた。
「××しましょう、渡良瀬くん!」
「いや、ちょっと待ってくれ」
俺に襲い掛からんとする早川の両肩を押しとどめて座らせながら、俺は言った。
「俺、好きな人ができるかもしれないんだ。
その人を差し置いて早川と、あの……そういうことはできない」
早川が
それからすぐに、
「何ですか、それ? 『好きな人ができるかもしれない』? 『好きな人がいる』ならともかく……。いや、それでも納得できないですけど、『できるかもしれない』? そんなことでお預けにされるんですか、一族の秘密まで話したのに?」
「あ、先に話すべきだったな、ごめ……うわっ、何しやがる!」
俺が言い終えるのを待たずに、早川は人が変わったように俺のパジャマ越しに股間を掴んできた。
こいつ、こっちが本性か!
「相手は聡美ちゃんですか? ちょっと話して勉強会をやったくらいで、もう
早川は俺の……ああ! これも書いてしまったらアカウント凍結案件な気がする!
「やめっ、やめろ!」
早川は俺が思った以上に非力で、腕を強く掴んだら簡単に指が剥がれた。
その隙を逃さずに突き放すと、早川の分厚い眼鏡がずれて、瞳があらわになった。
目が合った瞬間、ひとつの感情が雷のように全身を駆け巡った。
こいつをずっと見ていたい。
こいつを放したくない。
こいつとひとつになりたい。
こいつを俺を別々にしている境界線をぐちゃぐちゃにしたい。
ハッと気づくと、俺は布団の上で仰向けになっており、眼鏡を掛け直した早川が泣きそうな顔で平謝りしていた。
頭がぼんやりしていて、彼女が何をそんなに申し訳なく思っているのか、俺にはよく分からなかった。
早川は何度も何度も同じ文言を繰り返してから、電気も消さずに、自分が入ってきた窓から出ていった。
俺はその後すぐに眠ったらしく、再び気づいたときには朝になっていた。
このときになってようやく、俺は早川が繰り返していた言葉を意味あるものとして理解した。
「合意がないのに××を迫るのはサキュバスの世界でも立派な犯罪なんです。
どうかこのことは秘密にしてください」
秘密にしろも何も、サキュバスの犯罪なんて誰に通報すりゃいいんだよ、と俺は思った。
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