第6話 魔法って、本当にあるんだね
病室の窓を開けると、高さを競うかのように乱立するビル群と、その背景として描かれた青白く広がる山々だけが視界に入る。その遥か彼方に隠れるように身を潜めるのが海という世界。
ふわっとカーテンが揺れる。
澄んだ風が、柔らかく桜の花びらを包んで飛び込んでくる。
「お兄ちゃんには勿体ないくらいの可愛い彼女さんだね」
弱々しいながらも、一杯に微笑んでそう言うのは僕の妹だ。
否定して妹のテンションを下げるのも悪いと思い、僕は小さくガッツポーズをして応える。
『魔法って、本当にあるんだね』
妹の手を握り、涙を流しているのはウサ……ではなく、僕の彼女(仮)だ。初対面なのにどちらも打ち解けて話していることに僕がびっくりする。
魔法と呼ぶのも烏滸がましいが、僕は言葉の持つ力というものを心から信じている。
よく、寝る前に好きな子の名前を100回書くと夢で出逢えるとか、緊張しているときに手のひらに“心”と書いて飲み込むと落ち着くだとか、自分の目標を紙に書いて御守のように財布に入れておくと願いが叶うだとか……胡散臭い話を聞いたことがあるでしょ? 要は、それの応用版で、その詳細を人に教えるつもりはないし、特許を申請する気もさらさらない。
「あたしも海、行けるかな」
「きっと行けるさ」
『その時は私も誘ってね』
妹が昏睡状態から目覚めたのはまさに今朝のこと。僕が海を目指して旅をしている間も、ずっと眠り続けていたんだとか。
「水平線って綺麗だね。青が混じり合う不思議な世界」
彼女(仮)が描いた海の絵を大切そうに掲げ、線を一本ずつなぞる妹。
僕は評価するほどの画力がないけれど、とても上手だと思う。
「写真より、絵の方がグッとくるよな」
『カメラマンに怒られるよ。それぞれ価値観が違うんだから』
「ごめん、そうだね。でも、この一本一本の線を描くときに、その人の感情が籠っているって考えるとさぁ、1枚の絵ってそれだけで魂みたいなもんだよな」
『んー、私は正直写真のことはチンプンカンプンだけど、絵は伝えたい人に伝えたいものを伝える手段としては、最高だと思ってるよ』
彼女(仮)の言うとおりだと思った。
それはまた、文章にも同じことが言えると思う。万人にうける絵や文章なんて必要ない。作者が誰に何を伝えたいのか、それを目にした人が理解し、伝え歩き、伝播された結果、必要な人に届くのならば、間接的であれ作者の思いはきっと伝えたい人に伝わるはずだ。
「私ね、ずっと夢を見ていたんだ」
「エロい夢か?」
『バカ! どんな夢か聞いていい?』
「あはは。最初はね、鳥になって大空を飛んでいたの。何かを見つけようとしてたんだと思う。気づくとね、今度は野犬になってた。誰かを応援してたんだと思う。それから、蜂になったり魚になったりして、ずっと誰かと一緒にいたいと思ってた」
『不思議な夢ね』
「でも、夢と現実って繋がってるじゃん」
「そうなの?」
「夢には現実の影響が表れるっていうし、逆に、夢に見たことを現実で追体験する人もいるらしいぞ」
「そうなんだ。私もね、夢の中で少しだけ海を見たんだ」
彼女の見た夢の内容は知らない。でも、僕は夢の世界と現実の世界は常に接しているのだと思う。そう仮定するなら、水彩画で描く水平線のように、どちらかに滲み出ることはあるはずだ。
妹の病状は快復の一途をたどっているらしい。午前中は医者と看護師がつきっきりで検査を行い、僕の両親にその奇跡的な状況を説明していた。その時の、父が子どものようにその場で泣き崩れていた姿は今でも目に焼き付いている。この先、いじるネタにしておこう。
「次はお前の番だな」
『ちょっと怖いけど、お願いします』
夕方、笑顔で見送る妹に別れを告げ、僕たちは彼女(仮)の家へと向かった。
✩.˚✩.˚✩.˚✩.˚✩.˚✩.˚✩.*˚
女の子は行動力のある男子に惹かれるって聞いたことがあるけど、本当にそんな気がしてきた。
冷静に考えれば、歳が同じくらいとはいっても、年頃の女の子(私)を1週間も連れ回したコイツは、誘拐犯としておまわりさんに連れて行かれるのは確実だもん。まして、私の親が失踪届を出している現状では……。
『本当にこんなことして、大丈夫なの?』
「いくつか考えたけど、これが最善手だと思うし」
自信満々にそう語った彼は、今頃は屋上の真ん中で胡坐をかいているはず。
そこに、怒りを抑えきれず一様に喚き散らしながら、たくさんの足音が近づいてきた。
『これはどういうことかしら!』
『娘をどこに隠した!』
『両手を頭に乗せてうつ伏せになれ!』
私の母が、父が、そして駆け付けた警察官が一斉に怒鳴る。
その後ろから、私をいじめていたクラスメート、そして担任の先生の声も聞こえる。
簡単に現状を説明すると、こうだ。
彼は私が準備した名簿やスマホを見て、片っ端から連絡を取ったの。今から(私の住むマンションの)屋上に来るようにと……。
連絡した10名全員と、呼んでもない警察官2名が揃うのに30分も掛からなかった。
それで、なぜか私は屋上の手すりの外に立ち、彼らの視界の外、まさに場外から中央で繰り広げられているバトルを聞いていた。
「馬鹿ども、やっと揃ったか」
『『……』』
普段以上に口が悪い彼に、苦虫を嚙み潰したような声を上げる12名。
「ここに、彼女の遺書がある。命は僕が預かっている」
『『……』』
遺書、命という言葉は、12名を黙らせるのに十分だった。
恐らく、彼を取り囲もうとしていた連中も、足を止めてお互いに顔を見合わせているはず。そんな様子が覗えた。
「読むぞ!」
私の初めての彼氏は魔法が使える。
私の初めての彼氏は魔法が使える。
1回じゃ説得力がないから、2回言ったよ。
もちろん、彼が読んだ遺書は、私が書いた物ではない。しかも、私は監修すらしていない。もし私に内容を確認する機会があったのなら、遠慮なく破り捨てていただろう内容だった。
前半はひたすらに私の悪いところを挙げていった。誰もが、これが遺書?と疑問に思うほどに、自虐的な語りが続いた。そうだ、そうだ!という声は出なかったけど、今の私を含めて全員が同感だったと思う。
「私は、こんなバカな私の気持ちをもっと知ってほしかった。でも、その方法が見つからなかった。だから、消えてしまいたいと思った。そうすれば、少しは私のことを心配してくれるんじゃないかって、そう期待したんだ」
悔しいけど、それが本音。いくら建前をぶらさげてもね。
赤ちゃんがママを呼ぶために泣くような、そんなレベル。私は自分の足で動けるし、自分の言葉で説明できるし、人の言うことを聞く耳もある。相手の表情を見る目もある。なのに、なのに、赤ちゃんみたいに行動したんだ。
「でも、間違ってた。私は本当にバカだった」
何回バカバカ言うのよ……反論できないのが悔しいけど。
「私が本当に死んだら、皆は笑うでしょ? 喜ぶでしょ? 知ってる。誰一人泣いてくれないってこと。もし、死んだときに泣いてくれる人の数でその人の価値が測れるのなら、私は最低の人間だよね!」
最低って言われた、最低って言われた……。
「悔しいよ。私は何のために生きてきたのかな、何のために生まれてきたのかな。まだ、何もできてないじゃん。何もやってないじゃん」
うん……そうなんだ。
勉強とか部活とか、家の手伝いとかも私なりに頑張ったつもり。今は……アレだけど、友達だってちゃんといたし。でも、それって期待される内側で生きていただけで、誰かを幸せにしたり、誰かを変えたりはできていない。
『そんなことない。お前は――』
「頑張っていたでしょって言うよね。でも、普通に生きることを“頑張っている”なんて言わないでよ」
『……』
「世の中には、いろんな理由で、生き続けたくてもそれが叶わない人がいるよね。私はね、そういう人たちの、生きようとする努力とか、強い気持ちとか、誰かのために生きたいっていう叫びを感じたんだ」
そうだよ。それだけじゃなく、その人に生きてほしいって切に願う気持ちもね。
「奇跡が起きるとしたら、きっとそういう人のためかもしれない。隣町の病院にね、そんな子がいたんだ。こんな私でも、1人の命を救えるかもしれない、救いたいって思った。それで、その子の兄と力を合わせて――」
そういうカラクリなんだ……そもそも彼は悪くないもんね。このくらいの嘘は見逃さないと。
でも、もしかしたら、本当にそういう運命が私を彼のもとに導いたのかもしれない。わからないけど……。
「生きたいと願う彼女を、死にたいと願う私が助けたんだよ? もう私は死んでもいいよね。私の命は彼女に捧げたようなものだし。残念ながら、私には奇跡は起こらなかった」
『何を言って――』
『……』
え……私、死ぬんだ。
あ、これは遺書だもんね、そういう設定なのかな……。
「人は自分以外の誰かを助けるために生まれてくるのかもしれない。だとしたら、私はそれを果たせた。頑張ったはず。だから、もう逝くね。皆さん、今までありがとうございました。さようなら」
『まさか……』
『おい、お前! でたらめを言うんじゃない!』
え、死んだ?
私、死んじゃったの?
もしかして、これから偽名で生きていくの?
「黙れよ! 散々彼女を無視して、理解しようともしないで、苦しませるだけ苦しませてここまで追い込んだくせに、今さら綺麗事を並べてんじゃねーぞ!」
『う……』
『……』
え!?
「お前らが彼女に何をしてきたのか――」
彼は、さも自分が見てきたかのようにこの場にいる10人を糾弾し始めた。それはもう、反論の余地なく、皆が下を向くまで徹底的に……そして、最後に一言付け足した。
「彼女の最期の言葉はな、仲直りしたかった……だったよ」
『……』
確かに言ったけど、最期の言葉なんかじゃない!
「僕が彼女を救う。もしも、お前たちが目の当たりにした出来事を、これを奇跡だと信じてくれるのなら、どうか彼女を受け入れてほしい……」
『何を……』
奇跡……?
君は何をしようとしてるの?
「今までありがとう。さようなら」
彼は確かにそう呟いた。
その瞬間、屋上を白銀色の光が包み込む。それはまるで、日光が白波に溶け込んだような煌めきだった。
思わず手すりを乗り越えた私の目に映ったのは、呆気に取られて立ち尽くす人間たちと、その場から走り去る1匹のネコだった。
皆が無言で見つめる先、黒いネコの向かう先には、もう1匹のネコが待っていた。
2匹はお互いに身体を擦り合わせると、寄り添うようにして屋上の縁から飛び降りた。
おわり
海へ AW @roko
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