盤上で踊る

白瀬直

第1話

 なぜここにいる?

 正直に言えば、初めに抱いた感想はそれだった。

 たまたま飲みに出かけた先のバーでそれを見かけた時、俺はまず目の前の光景が現実か、何度も確かめた。目を擦っても人相は変わらなかったし、腕をつねってみても痛みはしっかりと感じる。それは間違いなく現実だった。

 視線の先のテーブルには、ボードゲームに興じる二人の女がいた。その二人はそれぞれが特徴的だった。

 一人は、短い髪を白く染め上げた女。白いジャケットに白いパンツで全体的に細い印象を覚える。被っていた中折れ帽が机の上に掛けられていて、その盤面が有利に進んでいるのか、端正な顔にはめ込まれた赤い瞳を愉快に歪ませていた。

 それに向かい合うように座っているもう一人は、身体のラインを隠すようなゆったりとしたローブを来ている。机の下で組んでいる足元にはゴツいブーツが覗いていて、それは時折りコツコツと床を叩いていた。もう一人と対照的に黒く長い髪を撫で下ろしながら、考えの読めない冷たい視線をボードの上に落としている。

 俺はこの二人を知っていた。というより、この街にいる人間で今この二人を知らない人間の方が少ない。

 白髪に赤い瞳、そして白装束に身を包む殺人鬼、エーリカ。

 全身に黒を纏う魔女、ヨンゾン。

 彼女たちは、連日紙面を騒がせる大悪党である。『組織』で回覧される数多の手配書の中でも、彼女たちのものは常に新しい。常にその金額が更新されているからだ。

 手配書で見た人相とも、その特徴的な服装とも一致する。そして、何よりも判りやすく、二人がボードゲームに興じているその机の上には、その二人の本人証明にもなり得るナイフと杖が転がっているのである。

 エーリカの使うナイフは刃が飛び出すタイプの無骨なデザインだ。ここ数日だけでも相当の人間の血を吸っているだろう人斬り包丁は今はその鞘に収められている。収納している状態だと傍目にはナイフだと判らないため、机の上に雑に置いてあっても気付く者は多くは無いだろう。

 それに引き換え、ヨンゾンの杖は見た目そのものから杖である。ここ数年でこの国にも急速に普及したオリヴァンダ製の魔法杖で、魔力を持たない人間にも魔法を使えるようにするくらいの効果があるという。熟達した魔女がそれを使えばどうなるか、それをここ数日でこの街の人間は嫌というほど知らされている。

 そんな二人が一堂に会し、こんな片田舎の鄙びたバーでボードゲームに興じている。酒が入っているというわけではないかもしれないが、気は緩みに緩んでいるのが見て取れる。巷で噂されているような雰囲気など微塵も無く、警戒も薄い。これは、千載一遇の機会と言って差し支えないだろう。

 そう思って、俺は『組織』に連絡するべく胸ポケットから携帯電話を取り出した。スライドしてロックを解除し、登録されている番号を呼び出す。コールが一つ、二つとなってもまだ出ない。何をしてるんだ。逃げられたらどうする。じりじりとした焦りが足を踏み鳴らさせる。

 ガチャリ、と通話の繋がる音が聞こえたと同時に俺は話しかける。

「俺だ。奴らを見つけた。場所は……バーだ。ああ、いつもの、ボードゲームの置いてある、街外れの。人数を回せ。何? ああいや大丈夫だ、今なら仕留められる。ああ、ああ、頼む」

 用件だけ素早く喋ると、返事も聞かずに通話を切る。これだけの指示でも適切に兵を回してくれるだろう。連絡役のアルフレートはそれだけの信頼はある男だ。

「お客さん、ご注文は?」

 唐突に響いた声に驚いて顔を上げると目の前に店主がいた。通話の内容は聞かれてないだろうが、いつも気配を隠して注文を取りに来るのはやめて欲しい。この店主は飄々としているようで、そのくせその瞳は何かを見抜きそうな鋭い眼光を放っている。君の知らないことは山のようにあるんだよ、そんな風に言外に語られているような振る舞いはいつも俺の警戒心を高い位置で固定する。

「……バターエールを」

「あいよ」

 ちゃりちゃりと、ポケットから硬貨をカウンターに出す。いつも通りの注文に、すぐに泡の立ったエールが出てきた。

 その間も視界の端に二人組を捉えて離さない。どうやら盤面は終局に向かっているらしい。エーリカはそのにやにやした笑いを隠そうともせず、ヨンゾンの視線は対照的にどんどん冷たくなっている。

 警戒の薄いその光景を見て、自然と口の端が上がる。もうすぐ、もうすぐだ。組織本部から部隊が展開されてこの店を包囲するまで、10分と掛からない。街を騒がせた賞金首たちの最期を想像してニヤけた口元を抑える。

 まずはヨンゾンの魔法を封じる結界が店の周りに展開される。そして狙撃部隊が店の玄関と裏口にそれぞれ配置されれば、この店から出ることも叶わなくなる。ナイフを使った近距離線が得意なエーリカにわざわざ近付いてやることもない。アサルトライフルを主軸にした部隊が店を囲み、最終的には全員がハチの巣になるだろう。恐らく、これ以上ない作戦だ。

 その先に手に入るのは懸賞金だけではない。彼女たちを葬ったという実績と名誉、そして何より信頼だ。それは間違いなく、馬の目を抜くようなこの街で生きていくのに役に立つ。組織のこの先を保証するものとしては十分だ。

 妄想というより確信に近いその未来図に、心が沸くのを感じる。それでも俺はそれを表に出すようなことはしない。最後の一瞬まで気は抜かない。絶対に成功させるという信念に身体を捧げ、必要な動きだけを熟す機械になる。俺はそうやってこの街で10年以上生き抜いてきたのだ。今更この生き方は変えられない。それを悲しいという奴もいたが、それが俺なのだ。

 結界の完成前にはこの店から出る必要がある。そろそろ頃合いかと思ってほんの少し携帯の画面を確認するために視線を外した時、強烈な違和感に襲われた。

 嫌な予感を感じて顔を上げた先。赤と黒。四つの瞳が、こちらを向いていた。

 ――まずい。

 無機質な瞳。全くの無表情。人を人と思っていないような狂気を孕んだ視線に足が竦まなかったのは、掛け値なしに幸運だった。

 気付いたときには既に身体が動き出していた。カウンターに置いたままだった携帯をひっ掴み、重い扉を肩で押し開けながら店を出る。

 襟足にチリチリとした焦燥を感じる。それまでの経験が、振り返ればもう生きて帰れないことを教えていた。

 早足で大通りから路地へ入ると、地を強く蹴り加速する。飛ぶように駆けながら携帯電話を耳に当てた。事態を把握していないアルフレートの声をかき消すように敢えて語気を強める。

「俺だ。気付かれた。今すぐに部隊を引かせろ。今すぐだ。何? いいから引かせるんだ! これは冗談じゃない。今行けば……間違いなく全滅する!」


 †††


 男の子がバタバタと店から出て行ったのを眺めて、葵が口を開く。

「マスター、あの子何だったの?」

 店に入ってからあの子がずっと視線を送ってきているのには私も葵も気付いていた。葵の白髪と白装束が店に入る前から周囲の注目を集めていたのでそこまで気にならなかったけれど、あの男の子は携帯電話を取り出してぼそぼそ喋ったり、急にくつくつ笑い出したりと、他の人たちとはちょっと反応が違っていた。

 こちらと目があうと注文したバターエールも飲まずに出て行ってしまって、なんというか、直截的に言って変な子だなぁとは思う。

「あー、いや、親戚の子なんだけど、妄想が激しいというか。中二病って言うんだっけ? 人に迷惑かけるような子じゃないからある程度放置してるんだけど、やっぱ気になる?」

 マスターは微妙な表情を浮かべながらおかわりのコーヒーを注いでくれる。サービスらしい。

「いやまぁ、私らもこの格好だから見られるのは別にいいんだけど。ぶつぶつ言われてると流石にちょっと気になるね」

「私は別に」

「菫は別の意味でしょ」

「何?」

「黒歴史的な」

「言うなし」

 そういうことを表でやらないだけの分別は持っています。妄想は自室か、頭の中だけで。私だってもういい大人です。

「でもコスプレはしてんじゃん」

「そういえば菫ちゃんがそういう格好してるの珍しいね」

「うっ」

 マスターにも指摘される。コスプレ、コスプレかぁ。まあ、確かにそうなんだけど。これは割と一般的に大丈夫な範囲だと思うけどなぁ。でも、やっぱりコスプレかあ。

「この間USJ行ってからずっとこうだよ」

「葵が隣にいるならこれくらいいいかなって。派手ですから」

「人をダシに使わないと好きな格好もできないんですかー?」

 むっ。

「場をわきまえてるんですぅいつもは」

「さーいでーすかー」

 葵は私の言葉を聞き流しながら、マスターが入れてくれたばかりのコーヒーを呷った。ほんの数秒で全部飲み干すそれはコーヒーの飲み方じゃないし、湯気も立ってたのによくできるなぁ。

 私の呆れが八割くらい込められた視線を気にすることもなく「あ、そうだこれマスターにお土産」「何これ?」「ライター付きペーパーナイフ」「USJこんなのも売ってるの?」「いやこれはUSJじゃないよ」などと呑気に話している。

 そういえば、と目の前のチェス盤を眺めて思い出したように呟いた。

「マスター。アレやって貰ってもいいですか?」

「あぁいいよ。これ、借りてもいいかい?」

「あ、はい。どうぞ」

 マスターがテーブルから私の杖を取り上げて手の中で回す。その後「んん」と一つ咳を払って杖をくるくると軽く振った。

 邪魔にならないように私はソーサーごとカップを持ち上げ、ミルクと砂糖のたっぷり入ったコーヒーを混ぜる。まだカップ越しに判るくらい熱いままなので、しばらく混ぜていないと飲めそうにない。

 ついでに、さっき気になったことも聞いてみる。

「あの子にはいつ教えるんですか?」

「ん?」

「マスターが、魔法使いだって」

「そうだねえ」

 マスターが手に持った杖でチェス盤をコンコンと叩くと、一局を終えてあちこちに散っていた駒が意思を持ったかのように動き出した。生き残っていた駒も、取られて盤外に並んでいた駒もピョンピョンと飛び跳ね白黒の盤の上、それぞれの陣へ戻ってくる。

 ぐるぐると、スプーンがカップを10周するくらいの時間で全ての駒が綺麗に整列した。きっちり並んではいるけれど、次の戦いに備えて意気軒高、今なおウズウズと揺れ動きつつプレイヤーの指揮をまだかまだかと待っている。

 そのままだと扱いに困るので、マスターがもう一度杖で盤を叩く。軽く打ち合わされたその音を最後に全ての駒の動きがピタリと止まった。端のポーンだけが微かに揺れてコケたので、それを持ち上げて元の位置に収めてやる。

 マスターは杖をテーブルにそっと置きながら、柔らかい口元を笑みの形にしながら優しく呟く。

「大人になったら、かな」

 そっと啜ったコーヒーは、まだ熱いままだった。

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盤上で踊る 白瀬直 @etna0624

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