夢の中、再びワルツを
本間 海鳴
夢の中、再びワルツを
夢の中、再びワルツを
〇月〇日
また腰の痛みが再発してきました。こんな暗い話題から始めるのはどうかと思いますね。洗濯物の籠を持ち上げるのも一苦労。貴方がいなくなってからというもの、洗濯機を回すのは三日に一回になってしまいました。一人が一日に着る服なんて、本当に少しね。何も予定が無い日は、一日寝巻きで過ごしてしまうこともあります。しっかり者の貴方がいたらお叱りを受けそうです。でもね、丸一日寝巻きで過ごすのも悪くないものよ。朝ゆっくり起きて、珈琲を入れて、庭に来るめじろの可愛らしい色を見ながらくるみのパンを食べるの。優雅でゆったりしていて、ほら、昔見た映画に出てきたお姫様みたいでしょう。なんて言う名前の映画だったかしらね。もう物忘れも酷くなってきましたね。こればっかりは抗えるものではないので仕方がありません。歳をとるのはやっぱり苦しいものがあります。昨日マイが貴方の服を処分しに行くと電話してくれました。一人じゃ大変でしょうからと、修司さんも来てくれるみたい。優しい娘を持って嬉しいけれど、正直もっとゆっくり思い出に浸っていたい気持ちもあります。これも仕方がないことなんでしょうかね。
〇月〇日
貴方のお部屋が綺麗に片付きました。貴方、あんなに沢山本を隠していたのね。あれ全部本当に読み終えているのかしら。貴方のことだから全部半分ずつ読んで、残りは取ってあるのかもしれませんね。でもそれも全部修司さんが車に積んで、小さい小銭いくつかになって帰ってきたわ。だからあんなに沢山買わなくてもって言ったのに。
結局残ったのは、貴方の使っていた机と椅子と、ライターだけです。ライターもあんなに沢山あったんですね。修司さんに使わないかって聞いたけど、彼は煙草は吸わないみたい。貴方が大事にしていたのは分かっていたから、さすがに処分するのは気が引けたみたいです。マイは貴方の服と机の中の小物を全部片付けてくれました。
ついさっき彼女達が帰ったら、家の中に何も無いみたいで少し寂しいです。どうやら貴方の収集癖で家が埋まっていたみたいね。まるで空っぽのようで、さっき少し泣いてしまいました。泣いても仕方がないのにね。貴方の使っていたこのボールペンも、いつインクが切れてしまうかとヒヤヒヤしています。インクって交換出来るのかしら。
〇月〇日
マイが、お母さんも何か趣味を見つけたらどう、って言ってくれました。お花を育てたりしているけど、お庭ばかり豪華になって、家の中は相変わらずがらんどうなままなのを気にしているみたい。お父さんの服、捨てるのもう少し後にすればよかったかなって寂しそうでしたよ。私は元気よ、気にしないでって言ったけど、やはり娘には分かるのかしら。マイが帰ったら、家の中の温度が二度くらい下がるように感じています。静かで、歩くと私の足音がするだけ。本当は貴方との思い出がいっぱい詰まったこの家を手放したくはないのだけど、あまりに私には広すぎて、お引越しした方がいいのかもしれません。昔マイのお誕生日に、柱に背比べの傷を付けたのを覚えている? 今日たまたまそれが目に入って、貴方が昔こんなに背が高かったのかと驚きました。私達も歳をとったのね。私も二センチほど小さくなっていました。このまま小さく小さくなったら、今着ている服は全部ぶかぶかになってしまいそうね。貴方がそうだったように。
貴方の集めていたライター、ホコリが被らないようにたまに拭いているんですが、これでいいのかしら。貴方がいる時に聞けばよかったわね。もし管理の仕方が間違っていても笑って許してください。
〇月〇日
今日いつものお店に買い物に行ったら、若い女の子とぶつかってしまいました。最近の若い子はとても礼儀正しいのね。私の落とした荷物を全部拾ってくれて、きちんと謝ってくれて。私もよそ見をしていたからどっちもどっちねって言ったけど、それでもずっと謝りっぱなし。仕方がないので近くのたい焼き屋さんでたい焼きを買って一緒に食べました。それでようやく引け目を感じなくなったみたいで、色々お話してくれました。
若い子は元気ね。たまに私の知らない日本語が出てきたけど、なんだかすごく楽しそうでした。そういえば昔貴方に会った頃の私も、箸が転んでも笑っていたから、いつの時代も似ているのかもしれません。貴方と出会った時の私は、一体貴方の目にどんな風に映っていたんでしょうね。物静かな貴方は、お喋りな私を煩いと思っていたかしら。でも、もしそう思っていたとしても、貴方は何も言わずにただ黙って私の話を聞いてくれていたものね。なんだかそれを思い出して、思わず笑ってしまいました。漂うお線香の匂いが、家の中が広くなったからでしょうか、強くなった気がしています。窓を開けるのもおっくうね。
〇月〇日
今日はあまり、書くことがありません。私の部屋もすっかり綺麗にしてしまいました。マイは怒るかしら、なんて思ったけど、やっぱり怒られてしまった。
正直に申し上げますと、私の部屋にも貴方の物が沢山あったのね。どれを見てもただ悲しくなるだけなので、全部ゴミ袋に入れて今日の朝一番にゴミに出してしまいました。貴方から頂いたはんかちや、貴方と一緒に行った旅行のお土産、貴方と散歩に行くために買った杖も全部捨ててしまった。あっても仕方がないものですから。
〇月〇日
今日は久しぶりにいなり寿司を作って、松江さんのお宅に行ってまいりました。松江さんはやはりいつもお元気ね。旦那様を亡くされてからしばらくは少し寂しそうでしたけど、今はまた元気になってこられたご様子です。私の作ったいなり寿司が一番美味しいって言ってくださるので私も上機嫌になってしまって、結局沢山作ったのを全部置いてきてしまいました。晩ご飯は何にしましょうかね。
松江さんに、どうしてそんなにお元気なのって聞いたら、最近は日本舞踊の教室に行っていらっしゃるそうよ。体を動かすのが健康にもいいから貴方もどう、って言われたけど、私は踊りなどは苦手だからってお断りしてきました。本当はちょっぴり気になったけれど、やはり恥ずかしいですから……
貴方とたまにお家で社交ダンスを踊っていたことは内緒にしておきました。
〇月〇日
この間スーパーで会った若い子とまたお会いして、とても楽しかったので書き留めておきます。わざわざ向こうから声をかけてきてくださって、本当に近頃の若い子は礼儀正しいのね。
その子の着ているお洋服がとても可愛らしかったのでそうお伝えしたら、急に泣き出してしまいました。どうしたのかって聞いたら、どうやら親御さんはあまりその服に感心しておられないご様子。それで親御さんとけんかして、家を飛び出してしまったと仰いました。またスーパーの前のたい焼き屋さんで、こないだとは別の味のたい焼きを買ってお話。
でも彼女のお洋服はとても素敵でした。まるで西洋のお姫様みたいに沢山のレースとフリルがついていて、でも今時だからかしらね、スカートの丈はかなり短め。一生懸命お聞きしたら、どうやらロリータというみたいです。きっと文章だけでは伝わりませんね。それにもし貴方があの場にいたら、今どきの子は分からんと唸ったかもしれません。確かに私も、わんちゃんに付けるような首のアクセサリーは分かりませんでしたが。
でも、好きなお洋服があるのは素晴らしいことよ、まるでお姫様みたいねという言葉をとても嬉しく感じてくれたようでした。また会えたらお話しましょうと言ってくれました。もしかすると年齢は、孫くらいかもしれません。そんな若い子とお喋りしてお友達になる機会があるなんて、人生何があるか本当に分かりませんね。またお会いするのが楽しみ。
〇月〇日
貴方もお聞きになっていたとは思います。修司さんの転勤で、他県にお引越しすることになったみたい。これまでは近いからと安心していたけど、これからはすぐ駆け付けられる場所じゃないってマイも心配そうでした。私はまだ大丈夫よ、行ってらっしゃいって言ったけど、本当は不安で仕方ありません。一緒に住むのはどうって言ってくれたけれど、まだここを手放す心の準備はできていません。貴方のコレクションもあるし、まだまだ新婚の夫婦の中に入っていくのもはばかられるでしょう。
結局あいまいな返事しか出来ず、こういう時に貴方がいてくれたらどんなにいいだろうと思ってしまいますね。そういえば、何かの決断をする時はいつも貴方がしてくれていた気がします。このお家を買うときも、マイが結婚する時も、私はいつも貴方のお顔を見て答えを促すだけでしたね。貴方に、家のことが出来るようにならなきゃダメよ、なんて言ったこともありましたが、出来ないことがあるのはお互い様だったみたい。何か大きな決断をするって難しいわね。もうしばらく迷ってみようと思います。
〇月〇日
久しぶりに好きな映画でも見ようかと思ったら、少し前に捨ててしまっていたことに気付きました。貴方と映画館に行ったことを思い出すから捨ててしまったんでしたね。物忘れもひどくなってしまって、しばらく家の中をかき回してしまいました。我に返って片付けていたらもうこんな時間。まだ晩ご飯も食べていません、さてどうしましょう。
あの映画だけは置いておけばよかった。やはり私の心はまだハタチくらいで止まっているようです。きらきらしたお姫様が好きなのね、こんな歳にもなって。いつも貴方は、こんなものが好きなのか、と呆れながらも、私が映画を見ていると紅茶を入れてくれましたね。せめて紅茶だけでも飲もうと思ったら、ティーポットまで捨ててしまっていました。意識が飛んだみたいだったわ。
紅茶を飲んで、舞踏会のシーンが来たらいつも貴方が私の手を取って。シャンデリヤも大理石の床も無かったけど、安い電灯と畳でも私は十分幸せでした。冗談であんなドレスを着たいわ、と言ったら、そんな動きづらいものを、と貴方が笑ったのをよく覚えています。貴方が倒れてからずっとあの映画を見ていなかったものですから、もう懐かしく感じるようになりましたね。
私がそちらへ行ったら、また手を取ってくれるでしょうか。
〇月〇日
スーパーでお会いしたあの子は、今日は少しシックなお洋服を着ておられました。例えるなら、昔見た、草原に住む大家族のドラマに出てきそうなお洋服。丈の長い、スカートの広がったワンピース。袖がふわっと丸くなっている、あんな感じ。
私も昔そんなお洋服に憧れたわ、と言ったら、じゃあ今着てみませんかって言うのよ。こんなおばあさんがそんな可愛らしいお洋服着れませんよ、と言ったら、お洋服に年齢は関係ないんです、ですって。
貴方に言ったらまた呆れるでしょうね。その顔が目に浮かびます、勿論着ませんとも。でも、なんだかその言葉に、久しぶりにうきうきしてしまいました。初めてあの映画を見た時みたいに。
あのドラマみたいに、可愛らしいお洋服を着て、草原を駆け回って、お馬に乗って街へ出て、そんな生活が出来たらきっと楽しいでしょう。
そちらに草原とお馬はあるのかしら。
〇月〇日
松江さんところに行ったら、居間にとても綺麗な着物が飾ってありました。白地で、手毬が刺繍してある品の良い着物。これどうしたのってお聞きしたら、日本舞踊で着るものなんですって。今度発表会があるからいらっしゃいなと言われたので、行ってみようと思います。
マイが引越しの準備で忙しくてなかなか来られないみたいで、ずっと家で引きこもっていたからちょうどいい機会かもしれません。たまには外の空気を吸わないといけませんね。散歩用の杖を捨ててしまったから、気軽に外に出れなくなってしまいました。歩けないことはないけれど、外で膝が痛くなって帰れなくなったらご迷惑をおかけすることになりますから。だから今度マイに杖を買ってきてもらおうと思います。
松江さんは素敵ね。いつも前向きで、好きなことを精一杯やっておられる。だからきっと立ち直るのも早かったのね。私は……まだもう少しかかりそうです。
〇月〇日
今日はまたスーパーであの子とお会いしました。今日の服はまた今どきの女の子といった感じ。スカートは短めで、高いヒールの靴を履いていて、今日は背中にリボンがついてるんですって見せてくれました。本当にいつ見てもお姫様みたい。顔も当たり前だけれどシワひとつなくて、あの映画にでてきた女優さんなんじゃないかと思うほどです。
色々お話していたら、どうやらご近所さんみたい。娘が引っ越したら一人で寂しいから遊びにいらっしゃいと言うと、行きますって言ってくれました。マイがいなくなっても少し楽しみが出来てよかった。安心してマイを送り出せそう。
その子は大きな駅の中の服屋さんでいつもお洋服を買っているみたい。そんな素敵なお洋服ばかりのお店があるなんて、なんだか夢のようね。少し行ってみたいけど、さすがに行けないので我慢します。
少しボールペンのインクの出が悪いですね。もしかすると、もうすぐインクが切れるかも。
〇月〇日
松江さんの日本舞踊の発表会に行ってきました。とてもとても綺麗で、輝いて見えました。
体を動かすというのはやはりいいみたいね。帰りに病院に寄ったら、先生もそう仰っていました。もし貴方がここに居たら、畳の部屋でダンスをするのに。
マイの引越し準備も順調なようです。何かお手伝いがしたいんだけど、体も思うように動かないのでお邪魔になるだけかもしれません。修司さんが、私の筑前煮を美味しい美味しいと食べてくれたのを思い出したので、明日沢山炊いておこうと思います。でもあまり沢山炊いても腐らせてしまっては勿体ないですね。沢山食べる貴方もいないことですし。
私は食べる量がどんどん減って、以前の三分の一ほどになってしまいました。少し掃除をするくらいでほとんど動くことがないので、一日一食でも十分なくらいです。もしかすると、私は元々少食だったのかもしれません。旅行先で大きな海鮮丼を完食出来たのは、貴方が目の前で海鮮丼を二杯食べていたからなのかもしれませんね。
〇月〇日
今日はスーパーのあの子が我が家に遊びに来てくれました。ご丁寧に羊羹の手土産も持って。
沢山お話しました、貴方のこと、娘夫婦のこと、映画のこと。持ってきてくれた羊羹を全部食べて、家にあったお茶の缶が空になるくらいお話出来ました。
今度あの子が、駅のお洋服のお店に連れて行ってくれるそうです。勿論お断りしました、貴方もこんなおばあさん連れていくのは恥ずかしいでしょうって。でも、それを恥ずかしいと思うこと自体がもっと恥ずかしいです、って。自由だ自由だと言われるご時世に、男の子と女の子の境目も無くそうっていうこのご時世に、着てはいけない洋服なんてないんですよって。倍以上歳の離れた子なのになんだか言葉に妙に説得力があって、思わずそうねぇなんて答えてしまいました。貴方がいたら、上手いこと断ってくれたでしょうか。いえ、でも、正直とてもわくわくしています。もしかしたら私も─勿論見た目こそおばあさんではありますが─もう一度お姫様に戻れるのではないかなんて、年甲斐もなく思っているのです。
貴方が見たら何と言うでしょうか。馬鹿馬鹿しい、でしょうか。そんなことをしてどうなるんだ、でしょうか。
どちらにせよ、一緒に行く約束はもう取り付けてしまいました。約束を破るわけにはいきませんので、行ってみようと思います。
〇月〇日
マイが最後に顔を見に来てくれました。筑前煮の鍋は空っぽになって帰ってきました。修司さんもなんだか可哀想なくらい頭を下げて、何かあったら飛んできますのでと何度も何度も言ってくれましたので少し安心です。でもそうは言っても、やはり少しのことで連絡するのは気が引けますね。
マイ達の乗った車を見送ったら、本当に家の中が静かになってしまいました。また電話するからね、とマイが言っていたのを思い出して、さっきからずっと膝の上に携帯を置いたままです。まだきっとマイ達は新居に着いてもいないはずなのに、情けない母親になってしまいました。
今日、いつものように貴方のライターを掃除しようと思ったらつい手を滑らせて落としてしまいました。棚の下の隙間に入ってしまって、取ろうとはしたのですが腰も痛いので屈むことが出来ず、棚も重くて動かせず、まだライターは棚の下にあります。ごめんなさい、でもマイも忙しそうでしたのでお願いすることが出来ませんでした。
貴方がいなくなってからというもの、無い物や出来ないものばかりに目がとまります。貴方がいた頃は考えもしなかったのに、なぜか考えてしまうのです。ああもし今貴方がいたら、貴方がここにいたら、貴方がこの話を聞いていたら、貴方がこれを見ていたら、一体何と言うのだろうかと、そればかりです。でもいつも分からないのです。貴方と長く共に時間を過ごし、貴方のことは知っていると思っていたのに、私はこんな時貴方が何と言うのか、それすらも思いつかないほど貴方を知らなかった。私は歳を取りました。きっと貴方のそばに行くのも、それほど先のことではないはずです。そうは分かっていても、それまでの間私が過ごすべき時間が、長く長く感じられてしまいます。
なぜ私が先でなかったのか、今はそればかりが悔やまれてなりません。
〇月〇日
少し日が空いてしまいました。この期間、洗濯機を回すのも忘れてずっとただテレビを見ている毎日でした。久しぶりにカーテンを開けたら、名前の知らない鳥が二羽、つがいで貴方の作った鳥の餌場に止まっていました。そこでようやく、あの餌場に何も置いていないことに気付いて外に出ました。
外の空気はすっきりしておりました。やはり散歩には行かなければなりませんね。久しぶりにパンくずを置いておいたら、鳥が沢山来てくれました。今日はとても良い天気です。
松江さんが心配して訪ねてきてくれて、おまんじゅうの差し入れをくださいました。松江さんはやはりお元気で、今日もまた日本舞踊を一緒にどうかと勧めてくれました。楽しそうだけれど、やはり恥ずかしいからとお断りしました。皆様の前で発表会をするだなんて、やはり私には似合いませんもの。貴方と家で静かに過ごしているのが、私には合っていたのだと思います。
松江さんは私のお部屋を開けて、こんなお部屋じゃ塞ぎ込むに決まってるでしょ、お花の一つくらい飾りなさいなと切り花まで買ってきてくれました。何年ぶりでしょうか。花瓶を出して花を生けたら少し家の中が明るくなったような気がします。貴方は花粉が飛ぶからと嫌がっていましたが、やはり生け花はいいものよ。
まだ書きたいのだけれど、もうそろそろインクが無くなるようです。新しいものを買ってこないと。
〇月〇日
今日はスーパーのあの子と、お洋服を見にお店に行ってきました。直前までやめておくと言ったんだけれど、なかなか彼女は強情でした。せっかく来たんだからと中に入って見たら、それはそれは夢のようなお店。可愛らしいお洋服が沢山あって、本当に驚いたわ。彼女はそのお店の常連さんのようで、店員さんととても親しそうにお話しておられた。私はお店をゆっくり一周して、ああ素晴らしかった、こんなに綺麗なお店がある今の子はなんて幸せ者だろうと思って出ようとしました。そうするとふとあの子に呼ばれて、一度好きな服を着てみないかと言うの! そんな訳にはいかないと言ったけど、店員さんも更衣室の中だったら恥ずかしくないでしょうと言って促されて、あの時ほど貴方にいて欲しいと思ったことはないわ。貴方がいてあの場から引っ張り出してくれたらと思ったけど、やっぱり貴方は来ないので、結局更衣室の中に詰め込まれて、あの子が洋服を持ってきてくれました。
薄いグリーンと茶色が基調になった、長いワンピース。まさにあの大家族のドラマみたいな、袖のフリル。腰より少し高い位置にぎゅっと絞ったくびれがあって、背中には大きなリボンがついたもの。文章で書くのはとても難しい、でもそれは私がずっと着てみたいと思っていた洋服そのものでした。あの子がカーテンを閉めて、あとはおばあちゃんに任せるね、なんて言うものですから、そうなったら仕方ないじゃありませんか。
貴方が見たら、貴方がその光景を聞いたら、なんて言うでしょうね。いい歳して何をしとるんだと、呆れた声で言いますか?
でもね、鏡に映った私は確かにおばあさんでした、でも、ずっとテレビの中にあったあの服が今手の中にあって、それを自分が着ているのを見るのは、恥ずかしいと同時にとても感慨深いものがあったのです。あの時一瞬だけ、ほんの一瞬だけではありますが、私は紛れもなく映画の中の主人公になれた。狭い部屋の中で、鏡しかなかったけれど、でも私の頭の中ではシャンデリヤと大理石の床が確かにありました。
お恥ずかしい話ですが、でも本当にそう思ったのです。忘れたくないので思い出せる限り書き留めておきます。
結局全部服は脱いで、店員さんにお礼を言いました。あの子は、着て出てきて欲しかったなぁと言っていましたが、さすがにそれは恥ずかしかったのです。でも何も買わずにおいとまするのは申し訳無くて、可愛らしい鏡を買ってきました。ピンク色の、可愛らしい枠のついた鏡です。あれは私の部屋にかけておきました。
あの子にお礼を言ったら、初めて会った時にぶつかってしまったお詫びです、って。近頃の若い子は本当に礼儀正しいのね。
貴方のボールペンは使えなくなりましたが、ここに置いてあります。そのお店でボールペンも買ってきたので、今はそれで書いています。フリルの柄とリボンの飾りのついたボールペンです。少し書きづらいですが、とても可愛いでしょう?
そう、思い出しました。あの服を着て鏡を見た時、一体貴方はこんな私を見てなんと言うだろうかと考えたのです。呆れた顔で、またそんなものを、と言うかしら。まだそんな物が好きだったのか、と頭を抱えるでしょうか。でも、もしかしたら案外、悪くは無いな、と言って手を差し伸べてくれるのではないかとも思うのです。
私がそちらに行く時には、どうにかあのお洋服と共に行けないかと考えています。そうしたらそちらで、また手を差し伸べていただけますか。お姫様になるのが夢だと言ったときのあの呆れた笑顔で、仕方のない人だと、もう一度笑ってはくれませんか。
夢の中、再びワルツを 本間 海鳴 @mazi_Greensea
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