拡散する種

λμ

拡散する種

 定時に帰らなくなってどれくらいになるだろう。

 はじめは残業代で稼げると喜んでいたが、常態化すると疲労しか残らない。

 使う時間のない金は、あってもなくても変わらない。


「……疲れてるな」


 おれは自分の発想にため息をつき、電車を降りた。

 空に月、道に風、足元に花――いや、足元というか道端に、花屋があった。

 行きは始発の一本あとで、帰りは終電間際の繰り返し。

 おれは初めて店の存在を知った。

 花屋から若い女性の店員が出てきて、一呼吸いれて空の花筒に手をかけ、


「――ウッ!」


 と、呻いた。

 店員は片手を膝に、もう片方の手を腰に当てた。


「手伝いましょうか?」

 

 言ってから、しまった、と思った。

 残業パレードがはじまる前に口にした言葉だ。

 癖になっていた。

 店員は弾かれたように顔を上げ、


「ニャーーーッ!!」


 と、猫めいた悲鳴をあげて膝から崩れた。

 放っておけなかった。


「――すいません、手伝ってもらっちゃって……」


 若い女の店員はもうしわけなさそうに言い、カウンター傍の椅子に座った。


「えっと、救急車とか呼んだほうがいいですかね?」

「あ、いえ! 大丈夫です! ちょっと休めばきっと……」

「……あんまり無理しないほうがいいですよ? 腰はヤバいって言いますし」

「ですかねぇ」


 ははは、と浮かべられた困ったような笑みは、路傍の花を思わせた。

 おれは愛想笑いを返しながら、店内を見回した。

 こじんまりとした店とはいえ、売れ残りは少ない。


「……花って、けっこう売れるんですか?」

「え?」


 店員の驚いたような声に、おれは慌てて口を隠した。

 子どものころから疑問だった。

 なぜ、花が売れるのか。


「あ、いや……すいません、おれもちょっと疲れてるみたいですね」

「あー、そんな顔されてますもんねー」

「え?」


 今度はこちらが頓狂な声をあげた。

 ガラスケースに萎びた顔が映っていた。

 

「……そんなに疲れた顔に見えます?」

「見えます見えます。そんなかたに、お花はオススメですよー」


 店員の言葉におれは吹き出した。


「商魂たくましいですね」

「ですねー。でも、これもなにかのご縁ですし、どうですか?」

「どうですかって」

「あなたの日々に潤いを」


 嘘偽りのなさそうな笑みを浮かべつつ、言葉の上ではぐいぐい押してくる。

 ほんとに商魂たくましいな……と、おれは苦笑した。


「それじゃあ、なにか、日々の潤いになりそうなのを」

「やった!」


 店員は嬉しそうに腰をあげ、ウッ、と小さく呻いた。

 

「だ、大丈夫ですか?」

「大丈夫……じゃない……かも……そこの棚の、一番、下……」


 そこまで言って、店員はそろそろと椅子に腰を下ろした。

 おれは本当に大丈夫かなと心配しつつ、示された棚を見た。

 木箱がひとつ置いてあった。

 手にして店員に見せると、彼女は涙目で首を縦に振った。


「……種?」


 黒いクッションに、親指大の種が乗っている。

 店員は両手で腰を支え、えいや、と立った。

 脂汗が浮いていた。


「そ、それは、拡散する種、です」

「……拡散する種?」


 店員の腰も心配だったのだが、種の名前も気になった。


「そうです。拡散する種です。なにが咲くかは咲いてからのお楽しみ」

「……なるほど」


 ネットニュースかなにかで紹介されていた、種の福袋を思い出した。

 色々な種類の種をひとつの袋に入れ、なんの種か書かずに売る。

 育てて、なにが咲くのか楽しむ。


「……うち植木鉢とかないんですよね」

「鉢と土、お安くしておきますよ?」


 店員の、青で彩られた笑みに、おれは肩を揺らした。


「商売人だなぁ。じゃあ、お見舞いということで」

「まいどありー!」


 言って店員は意気揚々と歩き出し、


「ッウヤーーー!」


 と、短な悲鳴をあげた。

 おれは種の他に土やら植木鉢やらあれこれ買った。

 買わされた、と言ってもいい。

 しかし、不思議と嫌な気持ちはしなかった。

 さっそく種を植え、水をやった。


「潤い、ねぇ……」


 おれは土から顔を覗かせる種を指で撫で、写真とともにツイートした。


『拡散する種』


 シュールだ。

 遅い夕食をすませ、シャワーを浴び、寝る前にツイートを見た。

 いいねが五つ。

 寝て、起きて、身支度をして、家を出る前に種を撫でた。

 電車に揺られながら昨晩のツイートを見た。

 リツイートが七件。

 珍しい。

 誰が引用しているのかは見なかった。

 帰宅する途中に花屋を覗くと、


『腰やっちゃいました! しばらくお休みです!』


 ふざけているのか本気なのか分からない張り紙があった。

 自画像らしきコミカルな絵に、おれは苦笑した。

 家に帰って、店員に言われたとおりに土の乾き具合をみて水をやり、三日。

 帰宅ラッシュに揉まれながらツイートを見た。


『拡散する種、三日目』

 

 リツイートは二件。

 ぜんぜん拡散しないし、と胸のうちで呟きながら駅を出た。

 花屋が開いているのを見て、空がまだ明るいことに気づいた。


「いらっしゃいま――あ!」


 若い女の店員が、背筋よく働いていた。


「この前はありがとうございましたー。病院で叱られちゃいましたよ」

「そんなに? もう働いて大丈夫なんですか?」

「よくないっぽいんですよねー。だから、お客さんとの秘密ってことで」

 

 店員の神妙な表情に誘われ、おれはつい笑ってしまった。


「おお! 日々に潤い、出てきたみたいですね!」

「え? あー……おかげさまで」

 

 何気ない会話を楽しむ自分に内心おどろきながら、おれはスマホを見せた。


「でもこれ、拡散しないんですけど……詐欺では?」

 

 冗談で言ったつもりだった。

 だが、店員はやけに真剣な目をしてツイートを見ていた。

 

「あれー? ほんとですねぇ」


 細い指がスマホに伸び、数回すべった。


「えっと、フォローさせてもらってもいいです? 様子みたいので」

「え?」

「ダメな感じです?」

「いえ、まぁ、いいですけど……」


 そのあと、どう種を育ててきたのか尋ねられた。

 正直に答えると、


「いいなぁー。私も撫で撫でされながら水だけもらって生きていきたいなぁー」

「いやいや、水だけじゃ死んじゃうでしょ」

「比喩ですよ! 比・喩!」


 そんな他愛のない話をし、客が来たのをきっかけに、その日は帰った。


『拡散する種、五日目』


 横ばいだったリツイートといいねが、一件ふえた。

 それからしばらくして、種の先が割れた。

 おれは嬉しくなり、店員に報告しようと思った。

 写真を見ているので彼女も種の状態は知っているはずだ。

 だが、会って報告したくて、はじめて残業を断った。

 店員は自分のことのように喜んで、


「愛されてるなぁ、羨ましいなぁ」


 久しぶりに早い時間だったので、おれは食事に誘った。

 彼女は、水! 恵みの水! と冗談をいいながら快諾してくれた。

 おれは家に帰り、種に水をやり、花屋に戻った。

 少しばかり早い終業を手伝い、ふたりで食事に行った。

 帰宅時間が早くなり、種から芽が伸び始めたころ、変なものを見つけた。

 

『植物女子』


 ツイートのまとめだった。

 自分を植物の種にたとえて、のろけ話を延々と呟いているという。

 おれは何の気なしにまとめを開いた。

 伝説のはじまり、とあった。


『五百円でお持ち帰りされて嘆いてたらめっちゃ撫で撫でされた。ヤバい』


 ん? と、おれはスマホから顔をあげ、種を見やった。

 種その他で五百円。

 芽が十センチくらいまで伸びていた。

 まるでアンテナのように、まっすぐ立っている。

 おれはまとめを追った。


『めっちゃ水もらった。ヤバい。嬉しい。でも溺れる』


 なにがどうヤバいのか分からないが、おれは笑った。

 最初のころ、店員に聞く前、水加減が分からなかったのを思い出したのだ。

 一人暮らしなのをいいことに、おれはニヤけながらまとめに目を通し、


「……あ?」

 

 言葉を失った。

 いままで気にせず見ていた、つぶやいているアカウントの名前。


 Spreading Seed

 

 拡散する種。

 おれは植木鉢とスマホを交互に見比べながら、ツイートを追った。


『ヤバい。花の匂いつけて帰ってきた。鼻ないからわかんないけど。花だけに』


 その日付は、花屋の店員と食事に行った日だった。

 気味が悪かった。

 拡散するって、そういう意味か? と。

 ありえない、と。

 おれは種を視界に入れないようにベッドに入った。

 眠れなかった。

 芽が、また少し大きくなっていた。

 悩んだ末、おれは会社を休んで、昼前に花屋に行った。


「ありゃ、どうしました? ちょっと元気なくなってません?」

「あの、これ……」


 おれはツイートのまとめを見せた。

 店員はやけに真剣な目をしてまとめを読んだ。


「あー拡散しはじめましたね。まとめに乗ったんで、こっから一気ですよ」


 うなづきながら言い、黙っているおれを見て、慌てた様子でつけたした。


「冗談ですよ、冗談! 種がツイートするわけないじゃないですか!」

「……だ、だよね……?」


 おれはそう答えたのだが、どうにも不安なままだった。

 すると店員が、


「えーっと、じゃあ、私に種の様子、見せてもらえません?」

「……もってこいって?」

「あ、いや、あの……私が見に行こうかなって……ダメな感じです?」

「見に行く……え? あ、まぁ、おれはいいけど……」


 想定していなかった流れだが、彼女がおれの家に来た。

 種を見て、しばらく話をし、ふたりで夕食をとって、その日は別れた。

 

『ヤバい。女つれこんだ。泣く。種だから泣けない。でも水はくれる』


 その数万回も引用されるツイートに戦慄し、おれは店員に電話をかけた。


「どうしよう。どうしたらいい!? 絶対あの種がツイートしてる!」

「あ、あれ? ……えっと、もしかして、泣いてます?」

「泣くよ! あの種と一晩中ずっと一緒だったんだぞ!?」

「あ、あの、ちょっと落ち着いて」


 彼女は慌てた様子で言って、間をとった。


「えと……あのアカウント私のだって言ったら、怒ります?」


 怒らないからウチに来なさい、と、おれは言った。

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