口の虎は身を破る

熊坂藤茉

勢い余って空回り 結果御覧の大惨事

 ごうごうと風を切りながら、巨大なからすが少女を背に空を駆ける。時折翼をばさりと羽ばたくそれに必死にしがみつき、顔にまとわり付く金の髪をどけようと頭を振り乱して声を荒げた。

「ちょっとエボニーまだ着きませんの!? ていうかホントにこっちで合ってんですのよね!?」

「あるじさまマジうっせえです! えぼにーだってひっしにとんでんだから、したぶっちぎってちっそくししないようだまれです!」

「お前飛んでるんじゃなかったら上製本の魔道書投げ付けてますわよ!? ああもう、このフェリエ・シルヴェリアにそんな口聞くの、お前とあの女くらいですわ!」

 苛立いらだちで使い魔エボニーを怒鳴り付けて正論で返されれば、少女が苦々しく舌打ちを鳴らす。

 魔女見習い、フェリエ・シルヴェリア。現在飛行使い魔速度制限を大幅超過し、憎きクラスメイトたるレミュリス・フォン・ロレンツの元へと全力Uターン中である。


* * *


 そもそも何故こんな事になっているのか。摘発待ったなしの速度で彼女が移動を始めた原因は、フェリエが一方的に敵視するレミュリスが週末前というタイミングで学校を欠席したことにある。

 この日は実技中心だったものの、それでも座学の時間は存在しており、その授業終わりにチャイムと共に二冊のノートを閉じたフェリエに向かって、教授が声を掛けて来た。


「そういえばミズ・シルヴェリア。貴女の書くノートは大変綺麗で分かりやすいですね。配布物を渡すついでに、今日のノートをミズ・ロレンツに見せてあげて下さい」

「えっ、教授それはちょっと私情によりご勘弁願いたいのですが」

 フェリエは有無を言わそうともしないその頼みを断ろうとしたものの、相手は既に視線を外して片付けを始めている。「教授、教授!」と声を上げるも、完全にどこ吹く風だ。

「週明けには今日の内容で筆記試験をしますから、帰りに必ず寄って行くんですよ」

「あ……はい……」

 去り際に数枚の書類を渡しながら、そう駄目押しで告げられる。最早フェリエは諦めたような表情で曖昧に返すしか出来なかった。


「――で、この家で合ってますのよねエボニー」

「しらねえです。えぼにー、あるじさまにいわれたじゅうしょまでとんだだけです」

 術で巨大化させていた鴉の背から降りて問い掛ける主に対し、当の使い魔はつっけんどんに言葉を返す。しゅるしゅると元の大きさに戻る鴉を見つめながら、フェリエは溜息と共に己の額へぺたりと手を当てた。

「何でこんなに主に対して口が悪いのかしらねこの使い魔……」

「あるじさま、さっさとようじすませるっていってたです。はやくわたしてかえるです」

「分かってますわよ! 呼び出しベルは無いようだし、ノック一択ですわね」

 第三者が見ればそっくりだと感じるであろう一人と一羽が、人の家の前でぎゃいぎゃいと言い合いながら扉を叩く。幾度目かのノック音が響いたところで、開錠音と共に扉が押し開かれた。

「頭痛に響く。レディ・シルヴェリア、何の用向き?」

「本日分の講義をまとめてあるノートの貸し出しと、配布物の引き渡しに伺いましてよ、ミズ・ロレンツ」

 気怠けだるげな声で玄関から出て来たレミュリスに、フェリエが持っていた配布物を押し付ける。更に鞄からノートを取り出したところで、むっとした顔の彼女に気が付いた。

「何か言いたそうですわね、ミズ・ロレンツ」

「配布物は助かる。でも、ノートは要らない」

「そう言われましても、週明けの試験範囲ですし。教授にもきちんと見せるよう言われてますのよ」

 ふるふると首を横に振るレミュリスの言葉を流しながら、フェリエは掴んだノートを彼女に押し付ける。しかしかたくなに押し返そうとする彼女との拮抗によって、ノートは二人の間で宙ぶらりんだ。

「どうして、そう、かたくなですの……! さくっと受け取れば、そこで話は終わりますの、よ……っ!」

「要らないって、言ってるのに、押し付ける、から……! それに……っ」

 強引に渡そうとするフェリエの手を押し止めながら、レミュリスが苦しげに言葉を紡ぐ。

「レディ・シルヴェリア、ノートなしだと、試験で困る……っ!」

「な――」

 悪意のない、善意から来たその一言が、フェリエの頭にかちんと来てしまった。

「っ、馬鹿にしないで下さいまし!」

 声を荒げるフェリエがレミュリスから引ったくるようにノートを掴み直すと、力の限り彼女に叩き付ける。突然の強行にぽかんとするレミュリスに向かって、わなわなと震えながら彼女を指差した。

「授業を聞いていたわたくしが、欠席していた相手からたった一冊のノートで試験結果を左右される程度の実力だと思われるのは心外ですわ! これは置いていきますから、試験後に返していただきます!」

 くるりと踵を返しながら、手早く使い魔へと術を掛ける。あっという間に大きくなった鴉の背に乗ると、フェリエは一度も振り返ることなくその場を去っていく。残ったのは玄関先に落ちたノート達と、ぼんやりとその背を見送るレミュリスだけだ。

「……レディ・シルヴェリア、いつも予習復習頑張ってるから、ノートないの困るのに」

 呟きながら、投げ付けられたノートを拾い上げる。すると、レミュリスは不思議なことに気が付いた。

「座学、今日は1コマなのに、二冊……?」

 授業の科目と氏名が記されたそれとは別に、表紙に何も書かれていない、使い古された一冊のノート。幾度も首を傾げたものの、レミュリスは両方を持って玄関を後にした。


* * *


「ああもう、要らないにしても言い方というモノがあるでしょうに!」

 ぷりぷりと怒りの収まらないフェリエが、エボニーの背でがなり立てる。主のそんな様子に対し、エボニーは呆れた顔でばさばさと飛び続けた。

「全く愚痴の一つや二つや三つや四つ、いつものノートに書き連ねておかないとやっていられません、わ……」

 ぴたりと、フェリエの動きが止まる。愚痴を書き連ねる為の物。授業中に日々苛立ったことや、レミュリスへ積もり積もった思うところを綴った、一冊のノート。無言でがさがさと鞄を確認すると、表情を失くした彼女が口を開いた。

「エボニー」

「はいです」

「戻って」

「あるじさま?」

「戻れっつってんですのよバフ掛けるから急いで! 急げ! ハリーハリーハリー!!!」

 ばしばしと背を叩きながら、慌てた様子でフェリエがエボニーを無理矢理今来た方へと向かせようとする。しかし空中で無茶な姿勢を取らされる方はたまったものではない。

「えっ、まってあるじさまきゅうにもどろうとしたらおちちゃ、ちょ、びあぁああああ!!!!!」

「ぎゃぁあああああああ!!!!!!!」

 かくて突然のUターンによって行った事のない街の端へ墜落した彼女達は、この後速度超過に手を染めることとなるのであった。


* * *


「ミズ・ロレンツ! 出て来なさいミズ・ロレンツ!」

 けたたましく玄関を叩く少女に道行く人々が眉をひそめていると、再びレミュリスが顔を出した。その手には二冊のノートが握られている。

「レディ・シルヴェリア、今度はな」

「手違いがありましたので片方返していただけます!?」

 喰い気味で叫ぶフェリエの形相に、何とも言えない顔をしながらレミュリスがノートを手渡した。渡されたのは両方共だが、フェリエは貸し出しの諦めと回収出来たことへの安堵が入り交じった息を吐く。


「そんな風にツンケンしてなければ可愛いのに」


 レミュリスの口からこぼれた言葉に、フェリエが弾かれたように顔を上げる。


「嘘でしょノート読みましたの!?」

「ノート?」

「だからわたくしが愚痴ノートに“あんな風にツンケンしてなきゃ可愛いのに”って書いて二重線引いたの、を――」


 そう、その一言を見られたくなくて、ここまで急いで戻って来たのだ。見られたのかと焦ったフェリエだが、不思議そうな様子のレミュリスを見て、じわじわと蒼褪あおざめる。


「……読んで意趣返しをしたわけでは」

「ないしそもそも読んでない」

 ぴしりと、フェリエが硬直する。つまり今のは完全に先走った結果の発言であり――

「レディ・シルヴェリア、自爆」

 こくりと頷きながらトドメを刺す。レミュリス自身に悪気はない。ないので余計につらい事故だ。


「いっそ殺しなさいぃいい!!!!!!!」


 あまりの事態にしゃがみ込んで叫びを上げるフェリエを、エボニーは可哀想なモノを見るように見つめている。そんな彼女と視線を合わせるように腰を落として、レミュリスは顔を覗き込んだ。

「やだ。それと“魔女たるもの淑女たれ”って言われてるから、口悪いとまた教授に呪われると思う」

「呪いなんてまだマシですわ! よりにもよって、お前を可愛いと思ってしまったという愚痴を自白するハメになるなんて……!」

 涙目で己の迂闊うかつさをなげくフェリエに、彼女を見ながらやや思案していたレミュリスが声を掛ける。


「レディ・シルヴェリア」

「何ですのミズ・ロレンツ!」

「フェリエって呼ぶね」

「はぁああ!?」


 突然の呼び捨て宣言に、一体何事かという反応が飛び出した。あまりの急展開に、フェリエの脳が追い付かない。


「好きな相手は家名じゃなく個人名で呼びたい」

「は――」

「前から何となく感じてたけど、今日ので“あ、好き”って思ったから」

わたくしはお前が嫌いです!」


 一方的な自覚はあれど、それでも憎たらしく思っていた相手への微かな肯定的感情を期せずして知られた挙げ句、当人から好意を告げられてしまい、今日だけでフェリエの情緒は滅茶苦茶だ。


「私は好きだよ。予習復習を忘れない努力家だし」


 網で風を捕らえるかのようなレミュリスの流し具合に、フェリエは思わず天を仰ぐ。

「お前のそう言うところが嫌いなのよ……」

「そう。じゃあ諦めてね」

 肩をぽんと叩かれて、遂にフェリエは地面へ突っ伏す。――二人の関係が、スタート地点までUターンした貴重な瞬間であった。

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口の虎は身を破る 熊坂藤茉 @tohma_k

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