桜人のラプソディ

ろくごう

「桜人」達

「斎藤、オレと一緒に学生起業しないか?」


 春先のある日、三橋が大学サークルの後輩にそう話を持ちかけたのは、もう5年近く前になる。

 大学の中庭沿いに植えられた桜の樹は、二人の会話を聞きながら春を待っていた。


「僕で大丈夫ですかね?」

 斎藤は、大学では口数が少なく目立たない存在だった。

 しかし、アウトドアのサークル内の活動を通じて、イベントの計画性や先を見通す能力、何よりロジカルな思考ができることを三橋は高く買っていた。


「ああ、もちろんだ。お前となら成功できると確信したんだ。お前じゃなきゃ駄目なんだ!」

 熱血漢の三橋の勢いに、斎藤はすっかり押されていたが、少し考える素振りを見せた後に小さく頷いた。

「分かりました。先輩のお手伝いをしたいと思います」

 三橋は、珍しく照れた表情を浮かべた後輩を見て満足そうに微笑んだ。


 二人の未来を見守っていた桜の樹は、未だ蕾だった。



 1年後、二人が起業した会社は、「企業向けトラベル予約サービス」をインターネットサイトで開始した。


 一般ユーザ向けのトラベル予約サイトは、大手が参入障壁として立ちはだかっている。

 競争の激しいレッドオーシャンを避ける戦略として三橋達が選択したのは、企業向けの出張手配サービスを専門に扱うトラベル予約サイトだった。

 当初、限定する対象として「学生向け」サービスを想定していた三橋だったが、斎藤の助言により企業向けビジネスのいわゆる「B2B」に方針を変更していた。


 この狙いが当たった。


 一般ユーザ向けと異なり、企業向けサービスには企業ならでの手続きや事務処理が多い。

 例えば、請求書の簡易な発行する仕組みや、企業側のITシステムとの連携した決済サービス等だ。

 二人の会社は、こういった大手サイトでは対応しきれていない細やかな部分を丁寧にすくい上げて対応していった。



「斎藤、お前のアドバイス通りに、ビジネス向けにターゲットを絞って良かったよ」

 麻布十番の和食の店で、社員数が30名を越えた記念として、2人でささやかな祝杯を上げていた。

 三橋が斎藤を誘って起業してからもう3年ほど経っていた。


「いえ、先輩が立てた事業計画書の完成度が高かったから、あっすいません、また『先輩』と言ってしまいました、『社長』でしたね」

 副社長となっていた斎藤は、今では社長の懐刀の「切れ者」として社内で通っている。

「いいさ、それくらい」

 起業を持ちかけたあの頃と同じ、少し照れた表情を浮かべたかつての後輩の背中を三橋は笑いながらやさしく叩いた。


 起業から4年ほど経った。


 社員数も当初の2名から200名以上に拡大していた。それに合わせてビジネスターゲットを企業向けだけでなく、一般ユーザ向けにも拡大し魅力的なサービスを導入するようになった。


 それらのサービスはことごとくヒットし、売上高も飛躍的に伸び、業務量も桁違いに増加していった。

 社長の三橋や副社長の斎藤を始め、会社のスタッフは、みな一丸となって慌ただしく必死に日々の業務をこなしていった。



 ついに新興市場向けの株式上場が決まった。


 上場に向けた準備が進む最中、証券会社主催による上場記念パーティが開催された。

 今や時の人となった三橋は、関連取引先からの称賛の言葉や浴びながら、各種メディアの取材を精力的にこなしていった。


「斎藤、大丈夫か?具合が悪そうだぞ」

 そんな姿を誇らしげに遠くから見守っていた斎藤の元に、三橋がふいに寄ってきた。

「大丈夫ですよ。少し疲れただけですから」

 やや強引な作り笑顔に、三橋は心配な面持ちになる。


「そうか、くれぐれも無理するなよ」

「それより社長、もう記念スピーチの時間です。壇上へ向かってください」

「そうだな、俺の勇姿を見守ってくれよ、ははは」

 そう笑いながら壇上へ向かう三橋の背中を見送った。


(こんなに重要なパーティでも、社員一人ひとりのことを見ていてくれる。だから、みんな着いてきてくれたんですよ、社長… いえ、「先輩」)


 三橋の上場を記念したスピーチが華々しく始まった。

 上場後のビジネス展開が語られることもあって、投資家たちの関心も高く、ネットでも生中継されていた。


「上場から3年以内に、AIの導入よる『トラベル需要予測サービス』を旅行会社や観光業者向けに展開することを計画しています。このサービス展開により…」


 ふいに会場で小さな悲鳴が上がった。

 会場の「誰か」が突然倒れたらしい。


 壇上の三橋は、その「誰か」がすぐに分かった。


「斎藤!」


 壇上から文字通り飛び降りた斎藤は、気を失った様子で床に倒れ伏す副社長の元に走り寄った。



「僕は3日も寝てたんですね…」

 意識の戻った斎藤は、病院のベッドの上で点滴を受けていた。


「ああ…」

 ベッド脇に座る三橋は、沈鬱な面持ちだった。


(社長の記念すべき大事なスピーチを台無しにしてしまった… きっとお怒りに違いない…)

 斎藤は、申し訳ない気持ちがいっぱいになり、溢れる涙が止まらない。


(謝らなければ、なんとしても… たとえ許してくれなくても…)



「すまん!」

 謝ったのは三橋の方だった。


「本当に俺って駄目だな。大事なお前が倒れるほど無理させてたことに気付かないなんて…」

 意外な言葉に、斎藤の方が逆に戸惑った。


「いえ、こちらこそ、その、せっかくの記念スピーチを…」

「そんなものは、どうでも良いんだよ」


 涙で霞んで社長の顔が見えず、もう言葉にもならなかった。



「実はな、会社は大手企業に売却することにしたよ」

 斎藤が落ち着くのを見計らって、さらに驚くようなことを言う。


「会社の拡大や上場に向けて、お前と『一方通行』でずっと走ってきたけど、ここらで人生の『Uターン』するのも悪くないと思ってさ」


 少し照れくさそうなまま三橋は続けた。

「それでさ、また2人で一から小さなサービスを始めるというのはどうだろう?、『後輩』」

「…悪くない提案です、『三橋先輩』」


 病室の窓から、病院の中庭にある満開の桜が見えていた。


「それと、な…」

 珍しく自信なさげな様子で切り出した。


「お前が倒れた姿を見て、どれだけ大事な存在だったか、今更なんだが、その、分かったんだ」

「大事、ですか…」

「社長と副社長の関係も『Uターン』したことだしな、これから新しい関係になるのはどうだろう?、その『美也子』さん」


 三橋は隠し持っていた「指輪」を斎藤美也子に差し出した。


「僕は… あ、こんな時にも『僕』っていう癖が治らなくて」


 小さく頷く。


「『英治』さん、私…」


 英治は、美也子の肩をやさしく抱き寄せた。



 病室の開いた窓から、待ちくたびれていた桜吹雪が舞い込んできた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

桜人のラプソディ ろくごう @rokugou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ