プラットホームに、舞えよ春風
おぎおぎそ
プラットホームに、舞えよ春風
この路線を使って下校するのも今日で最後だというのに、恐ろしいくらいに実感が湧かなかった。
それはたぶん隣を歩く君がいつも通りに隣にいるからで、制服の胸元に留まったリボンがいつも通りに揺れているからで、通過する急行列車が春と君の甘い香りをいつも通りに巻き上げるからで。
君の笑顔だけがいつも以上に眩しいからだ。
初めからそういう約束だった。
将来、海外の医療団での活躍を目指す君と、実家の町工場を継ぐことが確定的な僕とが、高校卒業以降も一緒にいられるわけなどなく、お互いの道を塞ぐことがないようにと僕から提案した約束だ。
「高校を卒業したら、僕たちの関係も終わりにしよう」
今になって思いだされるのは、大人ぶった僕のそんな言葉と、君の苦い顔。僕がその日以来見ていない表情だ。だから、今日こそはその表情を見れるかもしれないなんて、我儘な期待をしてしまう。
後悔をしているわけではない。そもそも僕にとって彼女は高嶺の花。高校入学直後に玉砕覚悟で告白してから、今までお付き合いを続けられていたこと自体が奇跡みたいなものだから。これ以上彼女の道の上に居座ることはできない。
急行がまた通過する。隣で微笑む君の髪が揺れる。
僕らが乗るのは同じ路線の上りと下り。だから一緒に帰れるのはいつもこのホームまで。ほぼ同時にやってくる電車に乗って、夕日に照らされながら僕らは引き裂かれる。
身体に染み込んだダイヤグラムと構内アナウンスが僕にタイムリミットを告げる。君はやっぱり笑顔のままで、僕に背を向けた。それが僕らの、いつもの、別れの合図だった。
結局、僕は一言も言えずに、自分の乗る車両に向かって歩を進めた。黄色い点字ブロックが歪んで見える。涙は流さないと決めていたんだけどな……。自分の弱さが嫌になる。
でも。
でも、もう少しだけ、僕の弱さを許してくれ。
君の姿をどうしても見たくて、目に焼き付けたくて。
僕は、振り返った。
* * * *
卒業式の帰り道。
もう二度と並んで下校はできないっていうのに、君はどうしてそんなに平然としてられるんだろう。私は泣かないようにするだけで精一杯なのに。
いつも頼もしい君の大きな背中がこんなに妬ましいのは、初めてだった。
私は、あの約束を思いだす。
君から初めに聞いたときは心の底から嫌だと思ったし、そう叫びたいほどだった。でもそれは君が、私たちのことを真剣に考えて出した結論だってわかっていたから。喉に込み上げてくる熱いものを、なんとか飲み込んだ。
もしそれを聞いたのが今の私だったら、間違いなく言える。大声で言える。嫌だって、別れたくないって、ずっと一緒にいたいって。
でも約束は約束だ。守らなければ彼に迷惑がかかる。そんな怖い約束を使ってでも彼が守ろうとしたものを傷つけることになる。彼の勇気に対する冒涜になる。
急行が通過した。
そんなことを思うと、私の気持ちはいつまでも言葉になれず、君に向かって微笑むのが私の精一杯だった。結局、勇敢なのはいつも君で、私はずっと臆病なままだった。
構内アナウンスがホームに響く。時間だ。
やっぱり臆病な私は、別れの言葉の一つも言えずに君に背を向けた。これ以上君を見ていると、離れられなくなってしまいそうだったから。
制服の袖で目を拭いつつ、車両に向かう。
嗚呼、神様。
せめて。
せめて最後にもう一度だけ、彼の大きな背中を見ることを許してください。我儘を許してください。
暖かな春風に巻かれるように、私は振り返る。
振り返った君と、目が合った。
プラットホームに、舞えよ春風 おぎおぎそ @ogi-ogiso
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