21世紀にもなって米を炊くのに魔法を使うな!

御徒町こげ

第1話

またこの土地を踏むことになるとは。

ハルは大きなボストンバッグをドスンと地面に落とし、眼前に広がるレンガ色の谷を見下ろした。

このバッグの中には、ここから汽車で3時間ほどのところにある大都市ミッドランドで買った洋服や小物がぎっしり詰まっている。どれも、この土地では手に入らないものだ。


ハルが町を出たのはわずか2年前で、反対する両親と喧嘩の末、なかば家出のように出ていった。それにも関わらず今回の「帰省」を両親はとても喜び、歓迎していた。

今谷へ降りる道を登ってくる赤い車は、ハルの父親カイトのものだ。


「もっと古風に、箒とかで迎えに来るかと思ってた。」ハルはぶっきらぼうに車から降りてきたカイトに向かって言い放った。

「いやぁ、久しぶりにハルちゃんと会えるから、ゆっくりできる車にしたんだよ。ほら、運転しなくていいから、おしゃべりに集中できるじゃない。」相変わらずの大きな黒ぶちのメガネをかけたカイトが、心底嬉しそうに笑っている。

無人のはずの車は勝手に方向転換し、谷を降り始めた。

「ああぁっ、待って待って!ハルちゃん急いで乗って!」

慌てて車を追いかけるカイトを見て、ハルは大きなため息をついた。

こんなところに、帰ってくるつもりじゃなかったのだ。


このレンガ色の谷は、古くからのレンガ造りの教会や家が森の中の谷に現れる姿が物珍しいことや、建物が多く残っていることから観光客がよく訪れる。

しかし、それは田舎の町によくあることで、取り立てて目立つところもなければ、何かで取り沙汰されることもない。外から見れば、だ。

この町「ルルギア」は、古くからの魔法が残る町。住人はみな先祖代々魔法使いだが、そのことを知っているのはここに住んでいる者たちと、ほんの少しのお役人だけ。

ハルの両親も、そしてもちろんハル自身も魔法使いである。ここで使われているのは古い魔法で、魔法薬や魔法陣などが引き続き活用されている。

当然洋服や化粧品を売っているショッピングモールは無く、町の商店街では天井からコウモリがぶら下がっていたり、薬用のハーブ屋が異様な香りを放ち、キッチン用品を売る金物屋や星見用のランプを売る店などが立ち並んでいる。

2年前、ハルはこの町が嫌で嫌で仕方がなく、家を飛び出したのだった。

都会に行って、稼げる仕事をして、オシャレをして恋愛を楽しむ。スーツも着てみたいし、金融系がいいなぁ。高層マンションに住んで、同じくエリートの恋人を作って、犬なんか飼っちゃったりして。そんな夢を抱いて都会へ出たものの、都会のことは右も左もわからないハルは歯も立たずアルバイトで暮らす日々を続けていた。

そしてある日突然折れてしまったのだ。これと言ってきっかけがあるわけでもなく、朝目が覚めた時に「ここは私の家ではない」と気付いてしまった。

そしてハルは恐る恐る実家へ電話をし「帰省」することとなった。両親には一時的な帰省と言っているが、実は部屋は解約し、アルバイトも辞めてきた。


キッチンを開けると、そこは食事の準備の真っ最中。

花柄のエプロンを付けた母ライぜが、長いオレンジ色の髪をまとめて炊事に勤しんでいる。

チラリと火元へ目をやると、米を炊いているであろう鍋の下には、魔法陣が煌々と光り輝いていた。

「まだ魔法陣で米炊いてんの?!」ハルは驚いて大きな声を出した。

「あらハルちゃん!おかえりなさい。すぐご飯にするからね。」ライゼはハルの驚きも気にせず笑顔で出迎えてくれた。「お母さんお料理下手だから、火で炊くよりもこっちのほうが美味しく出来るのよね。」

そうじゃなくて、炊飯器とか便利なものがあるんだけど。思ったまま口に出さず、荷解きもそこそこに席に着く。


ハルの家は3人家族。昔は祖母も一緒に暮らしていた。稼業は「魔法薬」である。両親ともに薬を作るのがとても上手く、町の魔法使いからも頼りにされている他、お役人さんからこっそり紹介された住人以外の人がやって来ることもある。

ハルもその血を継いで魔法薬は大得意だった。家系だろうか、ハルは薬草の声を聞くことができたのだ。


ご飯の支度をしながらライゼが話しかけて来る。

「今日ね、これから町の外の方がいらっしゃることになっているの。小さなお子さんなんだけど、なんだか塞ぎこんじゃってるみたいで。ハルもよかったら一緒に見てよ。久しぶりに薬草触りたいでしょ?」

そんなわけない。薬草は手が変な匂いになるから嫌いだし、都会で化粧品や洗剤ばかり触っていたハルの手は、薬草の感覚だって忘れているに違いない。


訪れてきたのは、本当に小さな、まだようやく喋れるようになった程度の男の子だった。

ルキくんというその子はたしかにとても暗い顔をしていた。

ハルはつい気になって、母の仕事の場に同席してしまった。


「最近ずっとこうなんです。なんだか暗くて、話しかけても上の空。全然笑わなくなったし、食欲もない。」ルキのお母さんが嘆く。

「まぁ大変。そうねぇ、最近何か嫌なことがあった?ねぇルキくん?聞いて教えてくれたらここには来ないかしら。」

ライゼが話しかけてもルキは黙って机の上を眺めている。

ルキくんのお母さんとライゼからの質問が繰り替えされるたびに、ルキの周りの空気がどんどん重くなっていく。

実は、ルキがこの家に入ってきた時から、ハルには見えていた。ルキの周りだけ、空気の流れ方が違う。なんだかクルクルふわふわとしていて、ルキを隠しているみたいだった。そのクルクルがいまや何重にもなりルキを囲んでいる。

よっぽど健康面に問題があるのだろうか。ルキの全身を必死になって見つめたハルは、あることに気付いた。

健康面?いや、これは━━

「ねぇルキくん、ポケットにあるもの、ちょっと貸してもらってもいい?」

ハルはルキのポケットに勝手に手を突っ込むと、そこから細い紐状の革を引っ張り出した。

途端に、ルキの全身がブワッと白い煙のようなものを吐き出した。

「わっ!」

この煙はさすがにライゼやルキの母にも見えたようだ。

「それ、先日亡くなった犬の首輪です。ルキがとても可愛がっていました。なんでそんなところに……」

ルキを見ると、顔に生気が戻っているような気がする。そして同時にルキの感情も見えてきた。これは、怒りだ。ルキは怒っていた。

「ルキくん、何かに怒っていると思います。」

「えっ?怒っているの?どうして?」ライゼとルキの母が同時に驚く。

「わからない……この首輪が関係ありそうなんですが。」

「その首輪、すてないで」

急にルキが喋り出した。

「すてないでよ」

「ルキくん、この首輪どうして捨てちゃダメなのか、教えてもらってもいい?」

「みんな、すぐ忘れちゃうから。サスケのこと。」

「飼ってた犬のことかな。」

「ままもぱぱも、サスケのことなんかすぐに忘れて、すぐ新しい犬をかってこようとした。」

「まぁ!」ルキの母親がますます驚く。

「どうして?ぼくはもっと、サスケとの思い出の中にいたいよ。どうしてすぐに、新しい子をつれてこようとするの。ままもぱぱも、それで平気なの?」

平気ではない。きっとルキくんのために、ルキくんが寂しくないように、新しい子を連れて来ようとしていたのだろう。でもルキくんにはそれが許せなかった。そして隠し持っていた愛犬サスケの首輪に、そんなルキくんの想いが入り込み、煙となってルキくんを世界から遠ざけていた。

「ごめんねルキくん、ママもパパもそんなつもりじゃなかったの。」母親はそう言ってルキを抱きしめた。



ルキたちを見送りながら、「魔法薬使わないで解決しちゃったね」とライゼがいたずらっぽく笑いかけた。

「ほんと、意味ない。」ライゼは目を合わせずに返した。

ルキが帰る時、ハルの袖を引っ張って一言「ありがとう」と言った。

あ、と思った。久しぶりに見たなぁ、人の心からの「ありがとう」ってやつ。

ハルは、なんだか自分が救われてしまった気持ちになっていることに気付いた。


大嫌いな田舎に帰ってきて、こんな気持ちになるなんて思わなかった。

遠くからまだこちらに向かって手を振るルキくんに、手を振り返しながら、ハルは思う。


もう一度、好きになれるだろうか。この町を、ここに住む人たちを。訪れる人たちを。

自分の力で、自分にしかできないことで、誰かを助けられるなら。

自分のことも、もう一度好きになれるかもしれない。

本当は全部全部嫌だったのだ。こんな自分に両親が優しいことも、周りの住人のあたたかいまなざしも、ここを頼って来る、何かに心底困ってしまっている人たちも、「どうして自分なんかに」と思ってしま自分なんかに優しくする人、自分なんかを頼りにする人、そんなすべてが嫌だったのは、「自分なんかに」というのが理由だ。

何もできないくせに、何者でもないくせに、偉そうに嫌だ嫌だとばかり言う自分のことが、一番嫌いだった。

でも、私の力が必要な人がここにはいる。こうして頼って来てくれる人に、何かができるなら。



これから一晩かけて、薬草の感覚を思い出さなくてはいけない。

夕日が沈みかかり、レンガ色がさらに色濃いオレンジになっていく町のなかで、ハルは力いっぱい家のドアを引いた。

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21世紀にもなって米を炊くのに魔法を使うな! 御徒町こげ @okachimachi

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