約束などしなくても

シィータソルト

第1話

「はぁ、やっと、金曜日の終業時間か……。一週間が長かった」

 東風谷美波は、仕事で凝り固まった背筋を伸ばして元に戻そうとする。時計が終業時間の十八時を指しているの確認し、パソコンの電源を落とす。プレミアムフライデーがやっと謳歌できる。帰りには、スーパーに寄って、酒と肴を買って晩酌だ。金曜日はお惣菜がお得だからついつい買ってしまう。

 学生時代は、酒も煙草も嫌っていたが、社会人となり、付き合いをしているうちにどちらにも依存するようになってしまった。酒は、定期的に行われる食事会の席で勧められてから。煙草は休憩の時の上司から差し出された一本から。どちらも最初は不味いと思ったはずなのに。どうして、食事のように必ず口にするものとなったのか。いつの間にか、付き合いのために弁えるものから、ストレス発散に欠かせないものにさえなった。

 いや、それは、まやかしだということも知識として学生時代に身につけているのだが、中々依存から脱することができないでいる。病院に通わねばならないのだろうか。自分で蒔いた種は自分で刈り取らねばなるまいとはわかっているが、誰にも迷惑かけていないしいっか、みたいになっていて行く気になれないでいた。仕事中は仕事に集中できているし、休憩も煙草を吸わないでいられるし。酒だって同じだ。禁断症状みたいなものはない。イライラなどして相手に当たることもない。

 口寂しいぐらいだ。だけど、寂しい原因は何?一人暮らしをしているから?それなら、職場では嫌という程大勢に囲まれて過ごしているというのに。ただ、心は開いていない。当たり障りのないことばかり話している。仕事だと割り切っている。愛想笑いしている。

 心通わせるやり取りをしていないことは確かだ。仕事は家族や友達付き合いとは違うものだと思っている。中には家族のようななんて表現する職場もあるがただ気持ち悪いとしか思わない。公務員を選んだのは安定の為だ。将来食いっぱぐれないように。一人者でも生きていけるように。美波の所属する市役所は、体育関係で年功序列な旧体制なところだ。

 会社員だったら新体制なところも増えてきているが公務員はそういかない。あくまで、国民のために奉公するのが求められるからだ。人の役に立ちたいという思いと安定から総合して公務員を選んだが、心擦り切れる毎日である。社会の闇を見せつけられる。

 ここに相談に来られている国民はまだ救いがある。世の中には救いの声を求められずにしてもがき苦しんでいる方が溢れている。自分の手を差し伸べられる限界を悔やむ。だが、図々しく簡単に救いを求める人もいるのが確かだ。法の目をかいくぐり甘い蜜を欲する輩もいるからそこには厳格に対応しなければならない。正直、辟易している。不毛な駆け引きに付き合わされて。稼ぎは一見面倒のように感じるかもしれないが、自由を手に入れる通過儀礼だ。滅びゆくかもしれないという国に縋り付いていたいのか。自分が生きるための技能を伸ばす機会を自ら無くすとは。どこでも生きていけるようにするには技能と他人と一緒にやっていこうとするちょっとした協調性があればいい。

 他人任せに生きていてはいずれ弱さにつけこまれ搾取される。この国の方針は弱者に厳しくなってきている。法律の改正で現状が改善されるはずが余計に福祉を悪化させている。本当に救いを求める人すら排除されてしまいそうな基盤が成り立ってしまった。それでも、気軽に要求する輩を見習って声が上げられない人も来て欲しいものだ。この思いがどうか届きますように。そう思いながら、周囲にお疲れ様でしたと会釈しながら帰る美波であった。



 家に着いた。仕事のことは一旦、休みの間は忘れて酒を浴びるように飲むとしよう。酒は甘いのが好きだから、カシスオレンジとカルアミルク。肴には、カシューナッツ、チー鱈、メンチカツ。自炊の方が安上がりなのだが、調理時間すら惜しくて晩酌に当てたいのだ。一人暮らしだし、誰にも干渉されず気楽に好きなものを飲めて食べられる。メンチカツを電子レンジで温めながら、カシスオレンジの缶を開けて、一口。

 健康のことを考えたら、無添加のオレンジジュースを飲んだ方が良いのだろうけど酒が入っていないとすっかり飲む気になれない。それに、社会人になってからストレスで痩せていく日々。積極的にカロリーを摂取していていもこれだ。

 ピピピと電子レンジの温めが終了した合図を聞いて、立ち上がりメンチカツを取りに行く。メンチカツの乗った皿をちゃぶ台の上に乗せて箸でつつく。一口サイズにして口へ運ぶ。噛めば噛むほど肉汁が口の中に広がる。

 またカシスオレンジをちびちび飲む。つまみも食べたくなった。カシューナッツとチー鱈の袋を開けて、交互につまんでいく。メンチカツも頬張る。ささやかな幸せが口の中で広がる。しかし、虚しさもある。仕事の終わり際で結論に至った心通ったやり取りをしばらくしていないことが原因であろう。

 社会人になってからは、一人暮らしを始めて家族とは疎遠、友達とも都合がつかず遊べない。家族はさっさと抜け出したい集団であったのでいい。離れられて清々している。良い子を求められて、常に自分を殺して演じて息苦しくて。親元を離れたことを良いことに煙草や酒に依存しているなんて知ったら驚きのあまり卒倒することだろう。模範的な子に育てあげたと思ったらグレたとは。知ったことか。私は操り人形ではないのだから。私の意思を持って行動している。だが、自滅的なのは確かだ。将来を考えると健康の負債を抱えることになってしまう。お金だってそうだ。いくら、投資する趣味とかが欠乏しているとはいえ、お金の使い道が酒や煙草なのは不健全である。       

 外出して何か買うのも生活用品と食品が主だ。洋服とかアクセサリーには興味がない。本は図書館の利用で十分。運動もしない。楽器も弾かない。テレビも見ない。スマホも見ない。本当にあらゆることに無関心だ。普段、寝て過ごしていることがほとんどだからか。もっとプライベートを有益にしたいのだが、何をし始めていいのかわからない。昔は何に夢中になっていただろう、思い出せない。与えられたばかりで、自分から何かを求めたことがなかったのだろうか。

 頭のもやもやを振り払い、ビジネスバッグの中からスマホを取り出す。通知は一切ない。アドレス帳を開き、「ほ」の蘭に移り、北西水面を選ぶ。水面は保育園より幼馴染である大切な存在だ。

「なも、元気かな……。会いたい」

 美波は水面のことを「なも」と呼び、水面は美波のことを「なみちゃん」と呼ぶ。これは、保育園からの愛称であった。

「連絡取っていいかな。向こうがくれるまで待とうかな」

 スマートフォンの画面を閉じて、鞄に戻してしまいそうになるが、

「いや、だめだ、それを、お互いにやっていたらいつまでも事態は平行線だ。私から行動しないと!」

 美波は、メールの入力画面を出してフリックして文字を打っていく。

“久しぶり。元気?私はなんとか仕事こなしています。水族館の仕事はどうですか?大学を卒業してから、一年は会えなかったね。今年は会える?会えるなら、また話をしたい。遊びたい。返事待っているね。”

 メールを打ち終わる頃には、なんだか心が満たされたような気がして、いつもの食欲が抑えられた。カルアミルク、飲まなかったな。また、残りは明日とかにでも。カシューナッツとチー鱈は、ビニール袋に移して冷蔵庫に入れておいた。皿やコップは、洗剤を入れた水につけ置きしておいて、朝に洗う。

 晩酌のしめは煙草をふかす。メンソール入りで苦味を抑えられる煙草。だけど、これで依存の病巣を自ら作っている。苦味を感じにくくすることで体の警告を発しにくくし、さらには本数を吸えてしまうというジレンマに。ヘビースモーカーになるわけだ。だけど、煙草もまた、いつもなら三本を吸うところをこの一本で抑えられた。たかがメールでも、水面と繋がれた気がした。今日は返信来ないかな。寝て待つことにした。

 水面から返信が来たのは、次の日の土曜日の朝であった。

“おはよう、昨日はメールをありがとう! 久しぶりだね!なみちゃん! あたしも、なみちゃんに会いたいなぁ~。仕事は大好きな動物とじゃれ合うのが楽しいよ! 今度遊びに来てね!! なみちゃんは、土日休みだけど、あたしの場合は不規則シフトだから、都合つくとしたら、もうすぐ夏休みをもらえるね。その時に遊ぼうよ! 土日に希望休み出したらいいかな?”

 水面は、隣の市にある水族館で働いている。北西家は家族仲が良く、実家暮らしで支え合って生活している。その優しさは、動物へも同じように注がれていることだろう。動物の為なら、苦手な数学を頑張っていた水面。理系な職業の為、よく美波を頼り、学生時代は勉強を教わっていた。そのおかげで無事に就職するための必須資格を取り、水族館スタッフとなり、働いている。仕事が順調で何よりだ。

“土日でもいいし、平日でもいいよ。私ももうすぐ夏休みもらえるから、何日がいいとかある?”

送って、一、二分くらいで返信が返ってくる。

“あたし、なみちゃんの家に遊びに行ってみたいな! 一人暮らし始めたんだよね? お家見せてもらいたいなぁ~。早く会いたいなぁ。あたしの夏休みは、七月ニ十五日から!”

私の夏休みはいつからだったっけ?前に上司から送られてきたメールを探し、読み直す。同じ日であった。なら、初日に希望を出して早く会いたい。月曜日に希望を出しておこう。少し前までは、どこでもいいと思っていた希望休。計画を立てることができて良かった。

“私も休み、七月ニ十五日からだったよ! 希望をこの日に出すから、早くに会わない?”

 またしても、送ってから一、二分の間に返信が来る。

“本当! なら、あたしもこの日に出そう!! あ、良かったらなんだけど、しばらくぶりだから長く遊びたいな。お泊りしてもいい?三日くらい。希望休連続して取ってみる!”

 お泊りか……。久しぶりに会って、しかも、初めてのお泊り。記憶をたどれば真っ先に思い出すのは、やはり大学。大学の時は、お互い寮暮らしで、部屋に行ってご飯食べたりはしたけど。寝るということは一緒にしていない。それこそ学生の修学旅行の時以来ではないか。保育園、小学校、中学校、高校も共にした幼馴染であり、片時も離れなかった。だけど、そこには、もちろんクラスメイトがいた。

 今回は二人きりなのだ。なんだか、緊張してきた。気心が知れているとはいえ、生活を共にする。一人暮らしをするようになって、何事も全部自分でするようになったわけだけど、客観的に見られるのはこれが初となる。今まで誰もこの家の敷居を跨いでいない。誰かを呼びたいということがなかったからだ。社会人になってからは、友人と呼べるプライベートを共にしたい人がいなかったのだ。職場は仕事をする場所と弁えている。だから、昔の友人を大切にしたいと思う。環境が変わったら縁が切れるなんて話もあるが、その時はその時だ。

“お泊りいいよ。大した料理とかは振る舞えないけど。それに、遊べるものとかないけど。積もり積もった話、しよ?”

 美波の返信が少し遅くなっても、即レスで来る水面の返信。

“やった~! あたしも食材とか持っていくから一緒に料理しよう。遊びのものは、今だったらスマホさえあればゲーム一緒にできるよ。話もいっぱいしよう!!じゃあ、またね!”

 今日は、六月三十日。一ヶ月は切っている。仕事を淡々とこなしているうちに七月二十五日が来ることだろう。



 有給の願いが互いに叶った七月二十五日。約束しているのは、十一時から。現在、十時五十五分。まだかまだかと、スマホの時計を睨みつける。ピンポーンと玄関の呼び出しチャイムの鳴る音が聞こえる。水面かな。急いで玄関へ駆け寄る。

「なみちゃん、久しぶり!早く着いちゃった!……え、瘦せた?」

「なも、久しぶり。待っていたわ。早く来てくれて嬉しい。えぇ、瘦せたわ。仕事ダイエットって巷では流行っていないけれど、とても効果があるわ」

「えぇ~、そんなに効くかなぁ。あたしは、逆に太ったよ~。体動かしているからお腹すいちゃって」

「いいことじゃない。さ、続きは中で聞くね。上がって」

「は~い、お邪魔します」

 水面を中に招き入れ、居間のテーブル近くの床に座らせる。

「何飲みたい? なもの好きなオレンジジュース買ってあるけど飲む?他には、コーヒー、紅茶、緑茶があるけど」

「本当! 覚えててくれてありがとう! オレンジジュースください!」

「わかった。今、持ってくるね。くつろいでて」

「は~い」

 台所へ行き、冷蔵庫から冷やしてあるオレンジジュースのペットボトルを取り出し、コップと共にお盆に乗せて居間へ戻る。水面がキョロキョロしていた。

「何? 気になるものでもあった?」

 オレンジジュースをコップに注ぎながら聞いてみる。

「いやぁ~。なみちゃんの部屋は、あまり物がなくて落ち着いているなぁと思って」

「そうね。あまり、物を買うことないわね。買うものなんて、食品と生活用品くらいだもの」

「えぇ!! せっかく自分で稼いで自由なのに、使わないの!?」

「使いたいことなんて、ないもの。趣味とかこれといってない」

「そっか……。あたしは、欲しいものいっぱい……」

「何が欲しいの?」

「そうだね。ゲーム、ストラップ、ぬいぐるみ~かな?」

「ふふふ、昔から好きなものは変わらないものね」

「そうだね。動物の見るとつい仲間を集めなきゃと思って買っちゃう。ゲームは最近、スマホのアプリだから無課金で遊んでる」

「場所取るものだから、ほどほどにね。ゲームは本当、今はゲーム機を持たなくてもスマホでプレイできるの便利よね」

「そうなの~。もう部屋がストラップとぬいぐるみで埋まってきたからこれ以上は買えないや~。ゲームは、カードゲームとか、ボードゲームとか、なみちゃんが知っているゲームがアプリになっているから、それをダウンロードして一緒にプレイしよう」

「あらあら、そんなに買っているのね。もう、十分仲間は集合したね。へぇ、それならすぐにでもゲームできるわね。スマホならではのゲームかと思っていた」

「それももちろんあるけど~。ある程度進めたりしてレベル上げたりしないと面白くないと思うから、なみちゃんが気に入ったゲームがあったら、それを今度一緒にやろう! 今ならネットで離れてても一緒にプレイできるし!!」

「そうなの。それは楽しみね。あ、お昼もそろそろ取りましょうか。弁当買ってきてあるから、食べましょう」

「うん! あ、そうだ! あたしも食材持ってきたんだった! 冷蔵庫借りるね~」

「わぁ、ありがとう。美味しいもの一緒に作りましょうね。昼は、ぬっくぬく弁当の親子丼を買ってきたんだけど好き?」

「あたし、好き嫌いないから何でも食べるよ~。ぬっくぬく弁当久しぶりだなぁ~。親子丼好き!」

「良かった。なもの買ってきてくれた食材、冷蔵庫に入れるから、弁当電子レンジで温めてくれる?」

「わかった~」

 水面から袋を受け取り、食材を冷蔵庫に入れていく。出したものを見ていると、野菜、肉、魚と幅広く買ってきてくれている。それにしても、この量は……。普段、冷蔵庫が埋まることはないのだが、水面からの食材で隙間がなくなってきた。

「なみちゃん、お弁当二つとも温め終わったよ。テーブルに持っていっておくね」

「よろしく。食材たくさん買ってきてくれてありがとう。色々な料理ができるわね」

「えへへ~。レシピに迷った時は、とりあえず食材を集めておくに限るね。あたしはたくさん食べるぞ~」

「レパートリーないけど。料理アプリとかで、レシピ調べてみようかしら」

「あたし、お母さんから料理教わっているから、レパートリーあるよ! でも、料理アプリも便利だよね~。あたしもよく見る~」

 冷蔵庫に食材をしまい終わる。居間へ行き、水面の向かいに座る。テーブルの上では、電子レンジで温まった親子丼が匂いを漂わせている。

「おまたせ、さぁ、食べましょう」

「はーい! いただきま~す!!」

ふわふわとした卵と肉汁がぎっしり詰め込まれている鶏肉の美味しさが口に広がる。昔より美味しくなっている。

「ぬっくぬく弁当美味しくなっている……」

「近くにコンビニあるのに、わざわざ遠くのところで買ってきてくれてありがとうね~。親子丼美味しいよ!」

「それは良かった。たまには奮発したいなって思って。けど、お弁当専門店なだけあって、食材の味が、原材料本来の味を感じる。いかに普段添加物の味で食事をしていたかを痛感したわ」

「えぇ~。なみちゃん、ご飯、買ったもので済ませているの~? 作ってあげたいなぁ。体は資本だよ! 良いもの取り入れなきゃ」

「わかってはいるだけどね。つい、調理時間すら惜しくて、晩酌の時間に当ててしまうのよね」

「あ……、やっぱり、お酒飲んでいたんだね。部屋にお酒の匂いを感じたから。あと、煙草も吸っているでしょ?」

「え?うん。なもは、お酒も飲まなくて、煙草も吸わないの?」

「しないよ~。動物さんが匂いに敏感だもん。嫌われちゃう」

「そっか。それもそうよね。私は、職場の人付き合いで勧められたのがきっかけで依存している状態なの」

「そんな……。なみちゃんなら、お酒と煙草がいかに体に悪いかわかっているでしょ……?」

「ええ、頭ではわかっている。だけど、すっかりないとダメにはなっている。仕事には支障は出ていないけど、家では寂しさから、つい手が出てしまう」

「わかった……。なら、このお泊りの間に、なみちゃんが禁酒・禁煙できるようにお手伝いする!!」

「えっ……?」

「あたし、接客業の勉強した時、心理学を少し学んだの! 依存症についても本で読んだことある! だから、なみちゃんを健康にしたい! 迷惑かな?」

「いや……。むしろ、私もこのままじゃダメだと思っていたから嬉しい……。よろしくお願いします」

 思わず、首を垂れて水面にお願いをした。依存症外来にかからないといけないかと思っていたが、幼馴染が協力してくれることになるとは。この三日で依存症から脱却するための知識を学んでいかなきゃ。親に、喫煙・飲酒していることがバレたとしても何とも思わないのに、目の前の幼馴染に心配されるのは、大変心が痛いから。



 親子丼を食べ終わり、容器を洗い袋に入れる。居間に戻ると、ふわ~とあくびをしてすっかりくつろいでくれている水面。

「眠くなった?」

「うん、お腹いっぱいになると眠くなる~」

「このまま寝ちゃわないでよ。そういえば、なもの仕事の近況教えてよ」

「いいよ。さっき、玄関で話しの続きね。、あたし、シャチの担当なんだけど、ショーの訓練って体動かすからお腹すくんだもん」

「なもは、シャチの担当なんだ! ショー見てみたい」

「ぜひ、見に来て!! 割引券あげるね~」

そういうと、鞄から財布を取り出し、紙の割引券を渡してくる。

「いつも持ち歩いているのね。ありがとう」

「身近なところからファンを増やせって上司から言われているからね! そして口コミをしてもらうの!」

「そうね。やはり身近な人を大切にしつつ、さらに範囲を広げていくのが大事よね。遠方のお客さんでもリピーターになる方だっていらっしゃるだろうし」

「うんうん、特にあたしのところは、シャチ、ベルーガ、シーラカンス、ダイオウグソクムシ、クリオネなど珍しい海の生き物がいっぱいいるからね!! 遠方のお客さんも来る来る!!」

「そうなのね。珍しい生き物も気になるわね。休みの日行ってみようかしら」

「うんうん、来て来て! 待っているからね!」

「あ、そろそろ、煙草……」

「なみちゃん、メッ!!」

 そう言って、煙草の箱と取り出した一本を没収する水面。

「あ、さっそくありがとう……。でも、辛い……」

「なみちゃん、水と氷もらうね」

「え、うん。どうぞ」

 水面が台所へ行き、氷水を入れたコップを持ってきた。

「冷たいお水は吸いたい気持ちを抑えてくれるの。飲んで」

「あ、私のために持ってきてくれたのね。ありがとう」

 ごくごくと飲み干していく。確かに、少し抑えられた。

「ガムも噛んで。ミント味で良いよ」

 ボトルタイプものを差し出してくれた。一粒もらって噛みだす。

「うん。あ、ミント味のおかげか、煙草吸っている感覚と似ている」

「え、煙草に味ついているの?」

「えぇ、私の吸っているのメンソール入りだから」

「すーすーしてたら、煙草の味に鈍感にならない?」

「なる。だから、これに変えてから吸う本数増えた」

「原因わかっているのに……。まずは、習慣となっている時を自覚して、本数減らしていかないとね。まず、食後。吸うでしょ?」

「うん、食後の一服って美味しいわ」

「はぁ。他にも吸っている時、見つけないとね」

「ははは……」

 やはり、的確に指摘してくれる人が身近にいるとありがたい。まるで、恋人みたいだ。水面は良いお嫁さんになりそう……。あれ、誰かのところに嫁ぐのを想像したら、胸の痛みを感じる。そ、そうだ。恋人の有無も聞いてしまえばいいんだ。話題はたくさんあった方がいい。

「ね、ねぇ。なも。なもはさ、社会人になってから良い人に会えた?」

「ん? 職場の人は皆、良い人だよ~。おかげで仕事が楽しい!」

「そ、そういう意味じゃなくて……。その、恋愛的に……」

「いや、だって、あたし好きな人いるもん」

「!?」

 水面に好きな人がいる!?

「えぇ、なみちゃん、なんで驚いているの? 前に教えたじゃ~ん」

「えぇ!? 嘘!? 本当にわからないのだけど!?」

 心臓が激しく脈を打っている。こんなにも水面に好きな人がいることに対して取り乱すだなんて。心の奥深くで何かが引っかかっている。だけど、それが思い出せない。

「んもぅ。それなら思い出して。このことを聞くってことは、なみちゃんは恋人できちゃったの?」

 うるうるとした目で訴えてくる水面に、思わずたじろぐ美波。どうしてこうも、悪いことをしていると思ってしまうのだ。

「いや、私は興味ないし……。職場での人間関係なんて、上っ面だけの関係よ」

「そうなんだ……恋人がいないことにはほっとしたけど、職場の人と仲良くないんだ……」

「そうね。仕事する場所と割り切っているから。事務的に話せれば問題なく仕事回るし」

「なんか、寂しいね。一人でもいないの? 同僚とかさ」

「あぁ……。同僚なら話している人もいたけど……体調不良で休職しているわ」

「えぇ!? 大病でもしたの?」

「まぁ、精神的にね。接客業ってどうしても、対人関係で悩みが発生する。同僚の場合は、相談に来られた方とも、上司とも上手くいってなかった。一生懸命やる子ゆえに、感情的に言われたことをいつまでも引き摺っていたから」

「そっか……。真面目だったんだね。早く治るといいね」

「そうね……。治っても以前みたいな接客は無理でしょうね。裏で事務仕事になるかな。裏は裏で電話対応とか大変だけど」

「だよね。電話対応も組織の印象を左右するから重労働だよ~」

「うん……。私は直接だろうと、電話だろうと苦手だからパソコンだけカタカタしていたいわ」

「あたしは並行作業なんて器用なことできないなぁ~。動物にしか目がいかないや~」

「十分じゃない。専門知識を有しているのだから。私にだって、動物に関する知識を持って接することなんてできないよ」

「えへへ~。得意を活かして働ければいいよね!」

「理想だけど。あとは、人間関係に恵まれることよね」

「そうだね。やっぱり、現場に出てみないとわからないことも多いし。そこを丁寧に教えてくださる先輩方に恵まれたことは幸運かも!」

「羨ましいわ。こっちは体育会系だから、見て覚えろだから丁寧になんて教えてもらえない」

「そっか……。なみちゃんはすごいや。荒波に揉まれても凛として仕事ができるなんて」

「いや、煙草やお酒に走っているのが私の弱さだよ」

「だって、それは人に勧められたのを断れなかったからなんでしょ? これから断ち切れば大丈夫! あたしが協力するから!」

「まぁ、そうだけど……あ、もうこんな時間か。夕飯作ろうか」

 ふと、スマホを見たら十四時になっていた。良かった。昔みたいに話せている。だんまりな時間ばかり過ぎたらどうしようかとも心配していた。それは杞憂に過ぎなかった。美波と水面の仲は途切れてなどいなかったのだ。

「そうだなぁ~。オムライスとビーフシチューが食べたい気分かな」

「洋風ね。では、作りましょう。あ、でもその前にたば……」

「ダメッ!! それに今、ガム噛んでいるでしょ!!」

 うぅ、またしても止められてしまった。料理作る前も吸っていたんだ……。清涼感が……欲しい。

「味がもうないのよ~」

「新しいのをあげるから~。口寂しいのはガムで解消して。料理しよう!」

「はーい」

 噛んでいたガムをティッシュにくるんでごみ箱に捨て、新しいガムを口に含み咀嚼する。ミントの爽やかさが、煙草を吸わなきゃという強迫観念を薄らげてくれる。

「あ、また落ち着いた。じゃあ、分担して作りましょう。私はビーフシチュー作るから、なもはオムライス作ってもらっていい?」

「任せて! ふわふわの卵でチキンライスを包んじゃうよ~!」



 完成。テーブルの上には、オムライスとビーフシチューが二つずつ並んでいる。スプーンを用意して、飲み物も用意して座る。飲み物の中にはお酒がある。もちろん水面と一緒に飲みたいからだ。

「ねぇ、夜は一緒にお酒飲んでみない?オレンジジュースのお酒があるよ~カシスオレンジって言うんだけど」

「お酒だったら、二十歳になった時、家族で一緒に飲んだことあるよ~。あの時もカシスオレンジ飲んだなぁ~。あたしがオレンジジュース好きだからって飲みやすいお酒だよって教えてくれて。なみちゃんは、あたしのことわかってくれているね。嬉しい。本当はお酒も止めるつもりだったけど、今夜だけだからね。ただし、飲みすぎるようだったら止めるからね」

「やった!」

 カシスオレンジの缶を開けて、ガラスのコップに注いでいく。そして、思わず祝杯を挙げる。水面も応えてくれて乾杯をした。

「久しぶりの再会記念にかんぱ~い」

「かんぱ~い」

 ガラスの甲高い音が響くのを聞いて、お互いにお酒を少量飲み干す。

「わぁ~甘い。お酒だってこと忘れちゃいそうだよ」

「そうなのよ~。カルアミルクっていうのもおすすめだよ。コーヒー牛乳みたいな味でさ」

「あ~、知ってる。だけど、アルコール度数が高いんだよね。もう、なみちゃんは~。煙草もお酒も量を取っているようですね~」

「あはは……。なもが止めてくれるのをきっかけにやめられるといいけど……」

 口を開いているとボロがどんどん出てきそうだから、塞ぐようにオムライスを口にする。昼間に食べた親子丼以上の卵のふわふわさが出ている。本当に料理頑張っているんだな。毎日食べたいな。頼んだら作ってくれるだろうか。……料理を毎日食べたいって、何だかプロポーズの言葉みたい。

「卵液に牛乳を混ぜると、ふわふわになるんだよ~。お母さんが教えてくれたんだ~」

「そうなんだ。私もオムライス作る時、この方法使わせてもらうね」

「その時はあたしも呼んでほしいな。しっかり技を伝授できているかを見届けたい」

「師匠! その時はあなたを超えてみせます! なんてね」

「美波よ……。我を超えられるか、しかと見せてもらうぞ……」

「なんか、師匠みたいな人が言いそうな台詞ね」

「うん、ちょうど最近、ゲームで師匠の台詞見たばっかりだから真似しちゃった」

 お酒を飲んでいて気分が高揚しているからか、食が早い。あっという間にオムライスもビーフシチューも平らげてしまった。お酒も一杯だけと決めたからこれ以上は飲まない。


 美波は使った食器を洗っていると、顔が赤くなってすっかり出来上がっている水面が近づいてくる。

「なみちゃ~ん、あたしも食器拭くの手伝うよ~」

「いえいえ、いいのよ。食器洗いは大した労力じゃないし……。あ、じゃあ、お風呂の準備してくれる? 浴槽に浸かるわよね?」

「うん、入る~。じゃあ、入れてくるね~」

 ……艶っぽく見えてしまう。お酒で酔っているだけだというのに。思考が鈍っているというのもあるのだろうか。ワンナイトラブが発生するというのも頷ける。水面がなんだかとても可愛く見えて仕方がないのだ。いや、普段から可愛くて優しいのだけど。顔が赤くなっていて、目も潤んでいると大人の色っぽさも追加されてしまい、目のやり場に困ってしまう。水面に恋愛の話を振られてから、忘れていたような感情を露わにされたような感覚に陥っている。

 それにしても、水面の好きな人を知っている……?誰だろう。昔からの付き合いみたいだし、おそらく美波も会っていると思うのだが、思いつく宛てがない。そもそも、水面から好きな男の子の話を聞いた記憶がない。おかしい。身近にいたのは美波なのだから、好きな人がいるということを知っていても不思議ではない。なのに、何故そこの記憶だけぽっかり空いてしまっているのだろう。余程思い出したくない記憶なのだろうか。……ダメだ、お酒のせいで思考が回らない。酔いが醒めてから考えよう。お泊り中に思い出せると良いのだけど。

「なみちゃ~ん。お風呂入れてきたよ~」

「ありがとう。沸いたら先に入って。あ、でもお酒飲んだあとだから、入っても大丈夫そうだと思ったら入って」

「うん。お水飲んで酔いを薄めているから大丈夫。お腹いっぱいなのが落ち着いたら入らせてもらうね。でも、良かったら一緒に入りたいなぁ」

「えぇ!! そ、そりゃ昔は修学旅行で入った仲だけど……。恥ずかしいから一人で入って~」

「えぇ~、じゃあ、明日は~?」

 間髪入れずに問答してくる水面。またしても、たじろぐ美波。

「何で、そんなに入りたいの~? わかった、考えておくから~!」

「今日は我慢するから、明日は入ってほしいな~」

 上目遣いと潤んだ目で見られてしまえば抗えない何かが働いているように感じる。どうして、こうも幼馴染にときめいているのか。

「もう少しだけ休ませてもらってから入るね~。ふわぁ~。食後なのとお酒飲んだから眠いや~」

 水面はテーブルの上で突っ伏している。猫が丸くなっているみたいで可愛い。わかった。水面も動物っぽいような可愛さがあるからときめいているのだ。そうに違いない。……ん?でも、そうしたら、嫁に行くかもしれないと思った時の心の痛みはなんだったのだろう?……やめやめ、頭が働いていないっての。そろそろ、脳の容量が爆発するわ。食器を洗い終えて、拭き始める。

「すーすー」

「なも? 寝てしまったの?」

 返事がない。本当に眠ってしまっているようだ。休憩にもなるしもう少し眠らせてあげよう。とりあえず、食器が拭き終わるまで。



「なも? 起きて。お風呂沸いたよ。でないと、私が先に入るよ~」

「ん~? はっ、完全に気持ちよく寝ちゃっていたよ。この体で寝ちゃったら、なみちゃんの家のお布団汚しちゃう。入ってきます!」

 勢いよく立ち上がり、そそくさとお風呂場に行く水面。

「あはは、ごゆっくり~」

 さて、水面がお風呂に入ったし。煙草吸っちゃおうかな。手持ち無沙汰だし、そろそろ一本吸いたいし。換気扇つけてその下で吸っていればばれないよね。灰皿を持って、換気扇の下で煙草に火をつけて、味わう。あ~、苦味と清涼感がたまらない。


 十五分後、水面は洗面所から出てきた。

「なみちゃん、お先にお風呂ありがとう。気持ちよかった~」

「あ、ドライヤー使ってていいよ。私もお風呂入ってくるね」

「ありがとう。洗面所で使えばいいかな?」

「好きな場所で乾かしていいよ~。あるのは、この棚だから」

「わかった。なみちゃんがこれからお着替えするし、居間で使わせてもらうね」

「あ、そうね。じゃあ、入ってくる」

「待って、なみちゃん。あたしがお風呂入っている間、煙草吸っていたでしょ?」

「うぇ……!? ど、どうして!?」

「あたし、鼻が敏感だからね。微かにでも残っていたらわかるもん」

 本当に動物のようだ。換気扇で誤魔化せると思った自分が愚かだったと思う美波。

「もう。五感が鋭くないと動物の変化に気付いてあげられないからね。人間にも言えるみたいだよ。匂いからもわかる情報があるってこと」

「そうなんだ……。旦那の浮気も発見できそうね」

「それは、大丈夫。部屋からなみちゃん以外の匂いを感じなかったからね」

「え……? そうはどういう意味?」

「あぁ、何でもない! 何でもない! いいから早く入ってきて!」

「うん? わかった」

 お風呂に入っている間も、水面の言葉が気になってしょうがない美波。聞くたびにもやもやとするのだ。自分の心が制御できない苦しさが。しかしそれは仕事で感じるような苦しみとは違う。解放すれば心地よさが待っているような期待を寄せられる何かも感じる。思い出すということは、何かを約束したのだろうか。口約束だって十分な証拠となる約束だ。煮詰めていると脳も体ものぼせてきそうになるから、温めるのはほどほどにして体を洗って、さっさと上がることにした。

「お待たせ~。あら、また、なもったら寝ちゃってる」

 さっき見た時と同じように突っ伏して寝ていた。本当、猫みたい。猫を飼ったとしたら、見るたびに和みそう。ここで髪を乾かそうと思ったけど、洗面所で乾かしてこよう。

 髪を乾かし終わっても目が覚める気配は一向にない。水面を抱えてみる。

「うわっ、軽い」

 いくら本人が太ったと言っても大して見た目には変化がないと感じていた程だ。せいぜい、二、三㎏太ったぐらいだろう。身長はどれくらいだったか。一五五㎝くらいだったか。私と身長差が十㎝だったと思うから。でも、どこが太ったのかしら。さっぱりわからない。こんなに、軽いし。抱き上げても、ベッドに寝かせても目を覚ますことはない。お酒に弱いのね。美波ももう寝ることにした。目覚ましはかけず自然に起きるまで寝ることにした。



「は、寝ちゃっていた! 今、何時? なみちゃん?」

 隣を見ると、床に布団を敷いて寝ている美波の姿。テーブルの上に置いていたスマホを見ると二時三十分を指していた。

「うわぁ~ぐっすり寝てた。もう、あたしのバカ! なみちゃんと夜更かしするつもりだったのに~」

 ベッドから抜け出したついでに、美波の横に座ってみる水面。微かに聞こえる寝息。横に来ても気づかないくらい深い眠りのようだ。

「あたしとの約束、思い出してくれるかな。なみちゃん……。そりゃ、確かにしたのは四歳くらいだったと思うけど。あたしはこの約束をしてから、なみちゃんのことずっと想っているよ……」

 そういいながら、美波の髪を撫でる。それでも気づかないことをいいことに言葉を続ける。

「どうか、気づいて。ううん。何だったら約束のことなど思い出さなくてもいい。あたしのこと好きになって。約束などしなくても、あたしのこと好きにさせてみせる。その為に、お料理とか頑張って覚えたんだから……」

 顔を近づける。そして、左頬に口づけをした。良かった、起きなかったと安堵して、いそいそと音を立てないように水面はベッドに戻る。唇にしてしまったらこの気持ちを抑えられそうにないから。それに、お互い起きている時に好きだと言いながらキスすることを夢見ている。実現できるように、このお泊りの間でアピールしていきたい。美波のことを思いながら眠る水面であった。



「うん……。今、何時だ?」

 美波が起床する。スマホを手に取ってみると13時を過ぎていた。

「わぁ、完全に爆睡だ。お酒が効いたかな。でも、一杯しか飲んでいないのに。珍しくはしゃいで疲れたかな」

 隣を見ると、水面はまだぐっすり寝ているようだ。休みの日はどうしても長く寝てしまう。起きるまで、寝かしておいてあげよう。それから遊べばいい。スマホの天気予報のアプリを見ると暑いようだ。冷房を入れておこう。そして、台所に行こうとすると

「……なみちゃん」

 え、呼ばれた!?

「なも? 起きたの? ご飯にする?」

「……好きだよ」

「!?」

 え!?告白されたんですけど、え?何で!?夢の中にまで、私がいるのと驚く美波。それに、告白されたことがとても嬉しくてたまらない。

「なも、起きてて言っているの? からかっているの? どっちなの!!」

 感情が昂っているせいか、叫んでしまった。

「ん……、あれ、すっかり寝ちゃってた~。おはよ~う、なみちゃん」

「……。寝ていたのね。もうお昼よ、お寝坊さん」

 素っ頓狂になってしまったが何とか体裁を整えて返事する美波。

「え、本当だ!! ご飯にしよう!」

「簡単に済ませましょう。食パン焼いてくる。座って待ってて」

「うん。お願い!」

 オーブントースターに食パン二枚、その隙間にフランクフルトを四本入れてタイマーをセットする。飲み物は牛乳で良いか。あとオレンジジュースも合うな。両方持っていこう。テーブルの上に運び、戻っていったらちょうど焼きあがる音が聞こえる。

「お待たせ~」

 皿に食パンとフランクフルトを載せて運ぶ。麦と肉の匂いが混じり、どちらも香ばしい匂いが漂う。

「パンもいいね! いただきます!」

「いただきます」

 挨拶をしてから、黙々と食べる二人。さっきの告白は、夢を見ていたからなのか。夢を見ていたとしても告白をするものだろうか。どのような夢を見ていたんだ?

「ね、ねぇ、なも。さっき、私に好きだって言ってくれていたけど、どんな夢を見ていたの?」

「えっ!? あ、あたしそんなこと言っていた~? 気のせいじゃない? 覚えてないよ~?」

「そ、そうなの……。わかった。覚えてないならいいや」

 やはり、寝ぼけていたのか。夢の中の自分が羨ましいと思う美波。水面に好きだと思われたい……?そうか、これは恋愛感情なのかもしれない。嫁に行ってしまうかもしれないと傷ついた気持ち、好きだと言われて嬉しいと思った気持ち。さらには、自分だけに言って欲しい気持ち。なら、それを素直に伝えよう。もしかしたら、これが思い出せたということなのかも……。

「なも。覚えていないのかもしれないけど、さっきあなたは私のこと好きだって言ってくれた。とても嬉しかった。わ、私も、なものこと。好き、だよ」

 持っていた食パンを皿の上に落としてしまう水面。みるみるその顔は赤くなる。お酒が入っていないというのに。

「その言葉、ご飯食べ終わってからまた聞かせて。胸いっぱいになってせっかくのご飯が食べられなくなっちゃうから……」

「わ、わかった」

 釣られて顔が熱くなってくる美波。鏡を見られないからわからないけどおそらく水面と同じように顔が赤くなっていることだろう。また、黙々と食べることに集中する二人。その頭の中は、互いのことを想い合っていることで埋め尽くされている。昼ご飯が終われば、二人の距離はさらに近づくに違いない。

 皿を洗い終え、拭くのも終わり、居間のテーブルに正座して向かい合う美波と水面。お見合いをしているみたい。気さくな仲のはずが、今は初対面かのように気まずくなっている空気が漂う。

「なみちゃん、さっき言ってくれたこと、本当? 思い出してくれたの?」

「……。昔の約束はごめん。思い出せない。だけど、私は、なものことが好きなんだってことはわかった。なも、好きだよ」

「あたしも、好きだよ。でも、なみちゃん。その好きってどういう意味の好き?」

「それは……なもが誰かのところに嫁ぐのが嫌だと思う。好きだと言われた時とても嬉しくて、私だけに言って欲しい気持ち。これは、恋愛感情の好き、だと思う」

「あたしも同じだよ。約束を忘れちゃっていても、またあたしのこと想ってくれて嬉しい」

 そう言って、四つん這いのまま近づいてきて、美波の左頬に口づける。この唇の感触が懐かしい気持ちを感じるし、最近感じたようにも感じる。

「えへへ、また、キスしちゃった」

「また?」

「うん、夜中に目が覚めたんだけど、その時、なみちゃんのほっぺにしちゃった」

「……ずるい。私もする」

 そう言って、水面の肩に手を置いて、右頬に口づける。

「……嬉しい。次は口にしてよ。あたしね。なみちゃんと好きって言いながらキスするのずっと待っていたの」

「う、うん。好きだよ。なも」

「あたしもだよ、なみちゃん。初めてのキス、奪って」

目 を瞑り、いつでも受け入れる体勢を作ってくれた水面。それに応えるように背中と後頭部に手を回し、徐々に距離を詰めていく美波。少し触れ合うと、すぐに離してしまう。ただ、これだけでも十分、互いの心臓の打つ速さが増したのは言うまでもない。

「……。苦いよ、なみちゃん。ファーストキスはレモンの味って言うのに」

「ごめん。私が煙草吸っているせいね」

「やめて欲しいな。健康のためにも。それに、今度の時までには、ヤニの味を感じない甘いキスを楽しみにしているね」

「今度まで待てない。二回目も三回目もさせて」

「じゃあ、わかった。ガム噛んで」

「……。はい、いただきます」

「あたしが起きる前に、吸っていたでしょ?」

「……またバレた」

いつもなら、起床後に吸うが、さっきの朝食兼昼食準備中に少し吸ったのだ。やはり、水面の前では、嘘を貫き通せないようだ。犬のように嗅ぎ分ける。

「そろそろ、いいかな」

 ガムの味が薄くなってきたくらいで、ティッシュに出し、包んだものをゴミ箱に捨ててくる。そして、水面とまた見つめ合う。

「うん、口の匂いが爽やかになった。さっきより美味しい味になりそう」

「う、うん」

 二人同時に顔を近づけながら目を瞑る。ふにっと唇の当たる感覚を感じる。柔らかい。それに、甘い匂いも感じる。近距離になると、匂いを感じるんだ。心地よい匂い……ということは。美波は水面を抱きかかえる。

「え、何々!?」

「行くよ。ベッドへ」

「ベッド!?」

 大人しく縮こまったまま抱かれる水面は何回も例えられている猫のようで、美波は可愛いなぁと思いながらベッドへおろす。枕を頭にあてがうようにして。

「え、え。その……。これから、大人なこと、しちゃうの!?」

「大人なこと? よくわからないけど、ここなら、より、なもの匂いが感じられるかなって」

 一晩寝ていたベッドはすっかり、水面の匂いが沁みついていた。

「匂いを嗅がれるなんて恥ずかしいよ~」

「散々、私の煙草の匂いを感じていた人が何を言っているの。これはお返しよ」

 そう言って、顔を右肩あたりに埋めて匂いを吸いこむ。呼吸の流れが、水面の首筋や肩に当たりくすぐったさが出てくる。

「なみちゃん、犬みたい」

「それなら、なもが丸くなって寝ていたの、猫みたいだった」

「うふふ」

「あはは」

 これで二人共動物になってしまった。笑い合って穏やかな気持ちになる。抱きついていることがこんなに心地よくなるなんて。今は、一人でいる時の寂しさを感じなくなってきている。やはり、心が通じる幼馴染が目の前にいるからだ。

「あのね、なみちゃん。さっきの嫌がってたわけじゃなくて、心の準備ができていなかっただけなの。だから、その……。なみちゃんにだったら、あたしの初めてあげちゃう!! キスだけじゃなくて!!」

「……。えと、私は結婚してから結ばれたいかな。責任感を持った上で、なもと……イチャイチャしたい」

「なみちゃん……。お堅いなぁと思うけど、やっぱりなみちゃんは真面目ななみちゃんのままなんだね。じゃ、今日は、このままあたしを抱きしめていて」

「冷房つけているから体が冷えてしまうよ。ベッドの中に入ろう」

 掛け布団をめくり、二人で入り込む。そして、またすぐに抱きしめ合う二人。口づけを交わすと今度はいかに長くくっつけてられるかを始めた。キスの心地よさに微睡みながら寝てしまうのであった。



「はっ、今、何時だ?」

 スマホを見ると、十九時であった。

「なも、ご飯にしよう」

「ううん……いらない。お手洗いに行ったら、またあたしのこと抱きしめてて欲しいの」

「え? わ、わかった……」

 順番にお手洗いを済ませてから、ベッドの中に戻ると水面は美波の胸に顔を埋める。

「なみちゃん、あのね。良かったらなんだけど。なみちゃんの家で一緒に暮らさない?」

「え、それはとても嬉しい提案だけど……ご家族と離れてしまうけどいいの?」

「いいよ。なみちゃんのお嫁さんになるって決めていたんだから」

「え!? そ、それがもしかして、昔、交わした約束?」

「そうだよ。なみちゃんもその時、あたしのお婿さんになるって言ってくれたよ」

「あはは……。私、男の方なんだ。どちらでもいいけど。お洒落に興味ないし、スカート嫌いだし」

「それは、あたしがお嫁さんになるって宣言してたから譲ってくれたんだと思うよ。あたしはウェディングドレス来て、なみちゃんはタキシード着たら格好いいだろうな~って。あたしより身長高いから映えると思うの!」

「ありがとう。いつか、式を挙げましょうか。最近では同性同士の籍とか式とかできる地域が増えてきたもんね。あと企業のサービスも」

「あたし、この時代に生まれてよかった。みなちゃんと一緒に幸せになれるもん!」

「そうね。なもも考えてくれていたのね。私も毎日、なもの料理食べられたなって考えていたの」

「そのために頑張って嫁修行していたの! ちなみにお母さんは知っているよ! なみちゃんならいくらでもこんな娘差し出すって言ってた!」

「あらら、なものお母様にご挨拶に行かないと」

「いいよ、いいよ。あたし達が幸せになってくれればいいって。今日こそ射止めてきなさいよって背中押されてきちゃった」

「……。親の理解があるっていいわね。同性同士だから反対されるかと思った」

「お母さんはそういうの気にしない人だから。好きな人と添い遂げなさいって。あ、なみちゃんのお母さんにはご挨拶どうかな」

「うちは……」

「そっか、仲良くなかったもんね。じゃあ、内緒でもらいます。なみちゃんのお母さん!あたしがなみちゃんを幸せにします!伝われ!」

「あはは、届いたとしても認めてくれるかはわからないわね。なもの家とは違って世間を気にする人だから。煙草やお酒だってバレたら殴られると思うよ」

「もう、とにかく煙草やお酒はやめて、あたしとの健康な日々を末永く過ごそうね」

「ありがとう。なものおかげで依存症から脱却できそうだよ。だって、もう寂しくないから」

「うん! あのね。考えたんだけど、冬になったら、またお泊りしてみない? 冬なら長く休み取れるから。もう、同棲みたいに過ごしてみて改善点とか見つけよう」

 そして、尽きたように水面は寝てしまった。美波も後を追うように眠りについた。結局、初日に話していた一緒にお風呂もゲームもすることも忘れて。



 お泊り最終日は、朝から起きて、ご飯もちゃんと作り、その他の時間は、美波の酒・煙草の改善点をまとめたメモ作り、同棲生活の計画を立てていた。そして、夕方頃には、名残惜しいが帰ってしまった。別れ際のキスは少し塩辛い味がした。





 なもとの夏休みを終えて日常に戻る。パソコンで資料を作成していると、上司が話しかけてくる。

「東風谷さん、表情が柔らかくなったね」

「そう、かもしれませんね。温かい笑顔をくれる人との時間が増えましたから」

「それは、良かったね~。何、恋人?」

「そうですね。大切な人、これからも一緒にいたい人です」

「へぇ、それはめでたいね。今度紹介してよ」

「嫌です。顔を見て奪おうなんてさせませんよ」

「そういうつもりで言ったわけじゃないよ~。つれないなぁ」

「とにかく、内緒です。では仕事がありますので」

「はいはい、頑張ってね~」

 わざわざ、話しかけて言われる程、表情が変わったのだろうか。きっと水面のおかげだ。職場の人とも今からでも打ち解けていくことに努めよう。



 八月ももうすぐ終わる最後の週の日曜日。今日は出かけることにした。約束などしなくても縁ある人とは会える。事前の約束なしに水面の働く水族館に遊びに来たが、シャチのコーナーには、お客さんに笑顔を振りまく水面の姿がある。私は見ているだけで、自然と笑顔になれた。水面がこちらの方に目線を向けている。気づいてくれるだろうか、手を振ってみる。いずれ妻となる恋人であり幼馴染が手を振り返してくれる。本当に彼女の笑顔は美波を幸せにする。美波も仕事も、水面を幸せにすることもこれからも頑張っていこうと決意した。また、学生の時の様に約束などしなくても一緒にいられる日々を続けていくために。

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