オレンジバーグ平原会戦(中編)
「何をしている!中央軍、すみやかに
アーノルド・モーガンの怒号は、旗艦の司令室を超えて、甲板まで響き渡った。
会戦の幕開けとなったニューヨーク守備隊の不意打ちは、モーガンから常の冷静さを奪い去り、すでに五回にわたるキングストン軍の突撃は、すべてニューヨーク守備隊にかわされていた。
さらには、巧妙な逆撃により無視できない量の出血さえ強いられている。
「おのれおのれ、惰弱な商人崩れが・・・!」
ガギリと、モーガンは歯を食いしばる。まるで悪い夢を見ているようであった。
もとより勝利を疑いもしないモーガンにとって、守備隊に対する名乗りは、敵に対して華を持たせる行為であった。栄光あるキングストン軍によって全滅する哀れな敵。せめてキングストン貴族が名乗り口上を示すことで、その死のたむけとせん、と。
だが、礼儀を知らぬ”泥潜り屋の
「何をしているか! 中央軍の突撃命令はすでに出したであろう!」
無謀とも言える突撃を強行するモーガンのこめかみには、どす黒い血管が浮かび上がっていた。
「モーガン様、どうか落ち着いてください。我らキングストン軍にかかれば、ニューヨーク軍など敵ではありません。ここはひとつ隊列の整理を行うのがよろしいかと愚行いたします」
精いっぱいの勇気と忠誠心を振り絞って、副官が
「だまれ! 貴様は余の指揮が誤っているとでも言うつもりか!?」
だが、その諫言はモーガンのさらなる怒りを招いただけだった。
「い、いえ。そう言うわけでは。ただ、待ち伏せをしていたことといい、敵軍の指揮官はなかなかのくせ者と思われます。安全策を取ることも一つの策かと」
「キングストン軍は最強無比。貴様は軍の栄光に泥を塗るつもりか!」
キングストン軍は最強無比。
そう。自ら吐いた言葉により、モーガンの心は雁字搦めに縛られていた。司令部において、副官だけはかろうじて冷静であったが、激したモーガンの
一方、激するモーガンに救われた形になったのがニューヨーク守備隊である。
ジョンは、多数の小型輸送船を高速機動し、遠方から間断ない射撃を加えることで、キングストン軍の消耗を誘うことを考案した。いわゆるパルティアンショット戦術である。
これは現在のところ、ほぼ完璧と言って良いほどに作動していた。
戦闘が始まってすでに三時間。兵の数、質ともに劣勢なニューヨーク守備隊が、まがりなりにも善戦し得たのは、このジョンの戦術に負うところが大きい。
もちろん、それだけが理由ではないことを、誰よりもジョンが理解していた。
「……最初の不意打ちがよほど効いたらしいね。敵将は完全にペースが乱れているようだ。このまま最後まで行ってくれればいいのだが」
後方に控える予備隊の艦橋にまで前線の戦闘音は響き渡っていた。その音を背景に、ジョンはため息をついた。
敵将モーガンが冷静さを取り戻すその時がいつ来るかは分からないが、いずれ近い未来であろう。その時までに、可能な限りキングストン軍を削り取る。それが、現在の戦局でもっとも求められることであった。そして、その意味では、さらなる戦果が必要となる。
だが、その焦りを表情に表すことを、ジョンは総司令官として厳しく己に戒めていた。
「全くですな。ただ惜しむらくは、初撃で命を奪えなかったことです」
横に控える副官のライアンが、ジョンの言葉を拾った。
総司令官であるジョンのため息に触れないのは、彼なりの配慮だろう。そう苦笑しながら、ジョンも応じた。
「あれだけの距離があったんだ。敵将に心理的な圧迫を加えられただけで充分だよ」
「その圧迫は、まだ続くでしょうな」
「そう願っているさ。我々にはまだ時間が必要だからね」
覚悟していたことだが、やはりキングストン軍は、質・量ともに守備隊を圧倒している。今はまだかろうじて均衡を保っているが、少しでもミスを犯せばたちまち我々は虎狼の餌食となろう。
ここまでの事態に至らせてしまったのは、やはり私の覚悟が不足していたということか。そもそも事前にクーデターでも起こし、名士層の蠢動を抑え込んでいれば、少なくとも外敵の介入を許すことはなかったのかもしれない……。
「キングストン軍左翼、突っ込んできます!」
悲鳴にも似た部下の報告にジョンの思索は中断された。
まさに敵軍左翼は、守備隊右翼めがけて泥を切り分け突進している。すでに両軍は指呼の間にあった。
「35番隊から40番隊までただちに後退! 中央軍及び最右翼は突出してきた敵軍に斉射!」
即座に命令が伝達され、キングストン軍の前面にあった部隊が後退する。そして、目標を失って戦場に取り残されたキングストン軍に苛烈な斉射が加えられた。
「続いて敵中央も突撃の構え!」
「敵左翼を攻撃中の中央軍が危ない。ただちに下がらせろ。開いた穴には、先程の35番隊から40番隊を充当」
それは薄氷の上を渡るがごとき攻防であった。指揮官のみならず兵士にも多大な精神的負担をかけることで成立する、もろい氷橋。
軍の運動にわずかでも綻びが生じれば、たちまちキングストン軍はその獣性でもって守備隊を鏖殺するであろう。彼我の戦力差を見れば、守備隊の善戦は奇跡的であったと言える。
だが、それもいつかは潰える。
「38番隊、キングストン軍に捕まりました!」
それはわずかな遅れであった。
急進した敵中央をかわしきれなかった一隻の輸送船が、たちまちキングストン軍に補足された。
「隊長、救援を向かわせますか!?」
一瞬首肯しかけた頭を、ジョンは鋼の意思を持って止めた。
「だめだ……。救援に向かうことは厳に禁止する」
その言葉を吐き出すのには、多大な精神力を必要とした。
一瞬、ライアンは眼をむいたが、ジョンの表情を見て悟ったように目線を落とした。
その間にもキングストン軍は、巨大なフックでもって守備隊輸送船と数珠繋ぎになると、陸戦兵を送り込み、たちまちに守備隊兵士を血祭りにあげた。
「……周囲の船は後退。突出した敵軍に一斉射撃!」
守備隊からはただちに逆撃が行われたが、侵入を許した輸送船には、すでに生存者はいなかった。
船体を真二つにしながら泥中へと没していく輸送船を見ながら、守備隊兵士は涙を流した。
もし魂というものが存在するのであれば、それは遺体とともに泥の海を永遠に漂うのであろうか。
きつく噛んだ唇からは血が溢れたが、その痛みを感じたことさえジョンは恥じた。
すでに死んだ仲間と、これから死ぬ仲間。それを思うと、彼の双肩は潰れんばかりであった。
泥中都市パピプリオ 斧間徒平 @onoma_tohei
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