オレンジバーグ平原会戦(前編)

 太陽が中天へと差し掛からんとしていたころ、ニューヨーク守備隊は、オレンジバーグ平原への展開を完了した。

 日差しは刺すほどに強く、視界の隅には、触れられそうなほどに濃い陽炎かげろうがうつった。


 兵士たちが腰に備える剣と弓は、抜かれる時を待っているかのように、日の光を浴びて鈍く光る。彼らの神経は興奮に高ぶり、あたりにはアドレナリンによる発汗の匂いが立ちこめた。

 彼らが背を向けるはるか後方には、ニューヨーク集住地が控えている。敵の勝利と彼らの鏖殺おうさつを願ってやまない名士層の待つ、ニューヨーク集住地が。


 そろそろだな。そう呟いたジョンは、椅子から立ち上がり、傍に立つライアンにマイクを持ってくるよう頼んだ。

 ライアンからマイクを受け取ったが、ジョンはすぐには話し始めず、しばらく掌の上でそれをもてあそんだ。まるで、兵士たちに語りかけることを逡巡しゅうじゅんしているかのようだった。

 バツの悪さを感じて、ライアンはジョンの表情をつとめて見ないようにした。


 だが、やがて静かにジョンは口を開いた。


「……天上には絶対善たる神がおわすが、この泥の大地の上には、絶対悪など存在しない。我々も敵も、この大地の上では等しく悪であり、ただそれぞれの生存に全力を尽くしているだけだ」


 それは兵士たちに飛ばすげきというよりは、まるで預言者による託宣たくせんのように始まった。

 兵士たちは皆、神から新たな啓示けいじを下されたかのように静かに耳を傾けた。


「……我々の父祖ふそは、あの巨大地震さえも生き残り、ニューヨークに新たな文明の明かりをともした。だからこうして我々は生きている。そして、それはキングストンも同じことだ。父祖が艱難辛苦かんなんしんくを必死に乗り越えたからこそ、彼らは存在している。それは美しいことであり、尊ぶべきことだ」


 託宣はなおも続く。兵士たちは、彼らの父母を脳裏に浮かべた。


「我々も敵も等しく悪であるがゆえに、そこに正誤はない。あえて言おう。生き残るためのあらゆる行為はすべて正当化される。生き残るために足掻あがくことは、誇るべきことだ。泥に這いつくばろうとも戦うことは、美しいことだ!」


 ならば。と、ジョンの声は熱をおびた。

 身体が打ち震えるような戦慄せんりつと興奮に包まれ、兵士たちは腰から剣を抜きはなった。


「ならば、美しい敵を美しいままに殺してやろう。崇高な敵を崇高なままに葬り去ってやろう。

オレンジバーグ平原、ここを奴らの墓場とする!」


 ―――オオオオオオッ!!


 啓示のごとき檄が下された瞬間、場の空気は沸騰し、士気は最高潮に達した。

 兵士たちは、手にした剣を天に突き上げ、戦意の高まりを指揮官に示した。


「キングストン軍を確認!ハドソン川上流より、縦列陣じゅうれつじんでオレンジバーグ平原に侵入せり!」


 偵察隊がキングストン軍をその視界に認めたのは、まさにその時であった。ほどなくして、守備隊もその姿を視認した。


 きらびやかな輸送船に乗り、統一された軍装に身を包んだキングストン軍は、圧倒的兵数と質量を持って、陽炎かげろうを食い破りながら前進してきた。それは、猛々たけだけしい暴力の具現化であった。

 だが、旗艦きかんの先頭に立つアーノルド・モーガンは、守備隊の突然の出現に、わずかな動揺を心に宿したままであった。


「敵の兵数に変化はないか?」


「はっ。目視するにおよそ400人。ニューヨークからの報告と合致します」


 圧倒的な兵数を誇る我が軍に対し、正面から会戦を挑めば敗北は必至。この愚行に何の意味があるというのか。いや、そもそも何故オレンジバーグ平原を戦場に設定したのか。

 答えが見つからないまま彼我ひがの距離は近づき、守備隊兵士の顔すら視認できるほどになった。

 迷った結果、モーガンはただ漫然とキングストン軍の常のしきたりを踏襲した。


「キングストン軍の進軍が止まりました!」


 前線からの報告を聞くまでもなく、ジョンは自らその光景を確認していた。

 キングストン軍の船団は左右に分かれ、中からひときわ華美な旗艦が現れた。その旗艦のへさきに立つモーガンは、軍楽隊の奏でる行進曲とともに、朗々と名乗りをあげた。


「我こそは、ジェームズ・モーガンが第一子にして、モーガン家第二代当主アーノルド・モーガンなり。ニューヨークの横暴なる振る舞いを膺懲ようちょうせんと正義の軍を起こした!」


 それは将帥にふさわしい、華麗な響きを待つ声であった。振る舞いも礼儀にかなっている。

 だが、その振る舞いも口上もニューヨーク守備隊には何の感慨かんがいももたらさなかった。


「ほう、都合がいいな」


 ジョンは口の端を持ち上げながらそう呟くと、隣に控えるライアンに向き直った。瞳には猛禽類のような猛々しい光が宿っている。


「ライアン」


「はっ!」


「敵将を撃て」


「よろしいので?」


「時と場所が違えば、いくらでも敵の礼儀に乗ってやろう。だが、今はその時ではない。敵のなど知ったことか」


「承知いたしました!」


 ライアンはニヤリと笑うと、数少ないライフル銃の一つを構え、ためらうことなく引き金をひき絞った。

 とたん銃口から放たれた弾丸は、瞬く間に彼我の距離を駆け抜け、


 ーーーボッ!!


 モーガンの隣にいた兵の口内に飛び込み、脳幹を貫いた。

 主人の赫々かくかくたる武勲ぶくんを読み上げていたその兵は、モーガンの鎧に脳漿のうしょうをまき散らしながら甲板に崩れ落ちた。

 最後の言葉が「気高き我が主人には、敵ですら畏敬の念を覚え」であったことは、強烈な皮肉であっただろう。


 一方、あまりのことに、モーガンはおろか周囲の護衛すら一歩も動けずにいた。彼らにとって、戦いの前の名乗りは神聖不可侵の時間であり、それを破る者がいるとは想像だにしなかったのである。

 ジョンはその隙を逃さなかった。


「ライアン、第二射撃て!弓兵隊、細かい狙いは良い。敵将めがけて乱射!」


「「ははっ!!」」


 すでに第一射を放ち、精神的なルビコン川を越えていたライアンと弓兵隊は、直ちにその指示に反応した。

 さきほどと同じ弾丸に加え、鈍色にびいろに光る無数の矢がモーガンめがけて放たれた。


 ーーーガガガガッ!!


 その弾丸と矢は、惜しくもモーガンの命を奪うには至らなかったが、彼の周囲にいた護衛の胸と額に風穴をあけた。

 ここでようやくモーガンとキングストン兵は正気を取り戻した。盾兵が慌ててモーガンの前に回り込む。

 モーガンは怒りに打ち震え、金切り声を上げた。


「な、な、な、なんたる野蛮人だ!武人の口上の間に仕掛けてくるとは!戦場の礼儀を知らぬ無礼者めら!貴様ら、今に見ておれ!」


 モーガンだけではない。主人の命を直接狙われたキングストン兵も怒りの頂点に達していた。


 しかし、


「ライアン、撃ち方やめ。敵将が兵に囲まれた。これ以上は弾丸の無駄だ」


 モーガンの怒りの声を聴いてもなお、ジョンは泰然としていた。

 彼にとっては、モーガンの怒りなど、人を虐げることを当然の権利と考える者の理不尽な怒りでしかなかった。

 ゆえに、その論評には遠慮というものがない。


「武人なら常に死を覚悟しながら生きるべきだと思うがね。虚礼を守ってほしいなら、ちゃんとに付き合ってくれる敵を選ぶんだな」


 その皮肉が届いた訳ではなかろうが、キングストン軍はモーガンの号令一下、ついに行動を開始した。だが、激しい怒りに駆られたその動きは混乱を孕んでおり、足並みはついぞそろわなかった。


「全軍、距離を保ちつつ後退」


 ジョンはキングストン軍の動きを見ると、その分だけ後退を命じた。再びキングストン軍との距離をとった守備隊は、遠距離から弓とライフル銃の間断かんだんない斉射を加えた。


 AE28年8月7日、後の世に言うオレンジバーグ平原会戦の、それは鮮烈な幕開けであった。

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