Uターン

羽間慧

Uターン

 ポケットに手を突っ込む癖が抜けない。今日はパーカーも革ジャンも着ていないため、手の置き場に困る。

 あたしは彼氏を待っていた。これからのデートを思い、期待と不安がないまぜになる。

 同じ学科に在籍しているため、大学に行けばすぐに会える関係だ。だが、学内では知り合いの目が気になり、いちゃつけない。お互いバイトのない休日は、恋人としての貴重な時間だった。

 彼氏が溜め込んでいる日頃の疲れを癒すこと。それがあたしのミッションだ。そのミッションに、今回は新たな項目が加えられている。


 服装の見直し。

 イメチェン、なんて生易しくない。パンクファッションから綺麗めコーデへの転向は百八十度の変わりようだ。

 車はUターンするとき、三十メートル手前から方向指示器を出して後続車に知らせる。直前のサインなしで、想定外の事態を切り抜けられる訳がない。

 いや、スマートに切り抜けてもらっては困る。


 事の発端は、二週間前のデートだ。付き合って半年記念という節目でもあった。


「待った?」

「ううん。今、来たとこ」


 そう会話をしたのはあたし達ではない。

 待ち合わせ場所にいた隣のカップルに、彼氏は視線を離せずにいた。


「何であたしを見ないの?」


 袖を掴んだあたしに、彼氏は我に返った。


「ごめん。ちょっとだけ、ああいう関係が羨ましくなっただけ」

「そんなことより、今の時間を楽しもうぜ」


 強気に言ったものの、あたしの方が別れ際まで引きずっていた。本当は清楚で女の子らしい服装をしてほしいのかも。

 そう思うと淋しかった。

 今年の四月、大学に入学したてのときは違う考えを持っていたから。

 擦れ違う度に「ださい」「よくこんな服着れるよね」などと囁かれていたあたしに、彼は「僕は好きだよ。似合ってる」と言ってくれた。


 あたしは別れ際に啖呵を切った。


「次のデート、覚えてろよ」


 天使過ぎる彼女に変身して、直視できなくさせてやる。


 こんな経緯があり、あたしは着慣れない服に袖を通したのだった。タータンチェックの巻きスカートや、有刺鉄線を模したネックレスが恋しくないと言えば嘘になる。でも、彼氏の笑顔のためなら頑張れる。


 駅の改札口付近にいたあたしは、彼氏の姿を見つけて手を振った。一瞬だけ視線が反れたものの、すぐに近付いてきた。


「絵麻? いつもと服が違うから、別人だと思ったよ」


 服装の変化に気付いたことに拍手を送った。あとは、彼女が自分好みの服を着た感想を言ってくれさえすればいい。


「どうかな?」


 あえて、「そんなに変なの?」とか「似合う?」などというパスは送らない。彼自身の言葉が聞きたかった。

 ドキドキしながら返事を待つあたしに、彼は頬を掻いていた。

 

 おっと、これは照れているのか。

 初めて見る反応に、心の中でガッツポーズを取る。

 自分では絶対に買わない、空色ニットや白レースのタイトスカートが効いたらしい。おかんに土下座して借りた甲斐があった。

 さぁ、どんな反応を見せる。

 彼は決心したように口を開いた。


「行こうか、映画館」

「へっ?」


 私の手を握って歩き始める彼に、嬉しさよりも悔しさが勝った。

 出かける前、おかんは「ナイスよ、絵麻。ギャップ萌えでイチコロね」と上機嫌になっていたのに。全然効いてないじゃん。


 不満ばかり膨れていくおかげで、自分が見たがっていた映画なのに半分も楽しめなかった。パンケーキで有名なカフェで、下がりまくったテンションを立て直せればいいが。


 大好物の葡萄に、ちょっぴり慰められた。

 クリーム山盛りのパンケーキだぞ。「クリームついてる」って言いながら拭う、定番の気遣いは見せてくれるよな。


「く~。四連勤した甲斐があった」


 彼氏は美味しそうに食べ進めていた。ポメラニアンのような人懐っこい笑顔にきゅんとくる。


 それ以上の恋愛イベントは、清々しいほど何も起きなかった。


 会計を終えた彼氏に続き、重い足取りで階段を下りた。


「あ、忘れものした」


 椅子にスマホでも置き忘れたのだろうか。

 取って来る。そう言ったあたしの手首を彼は掴んだ。


 あたしの唇を舐めた。クリームがついていないはずのところも丁寧になぞる舌触りにゾクリとする。


「こうしてほしいんじゃなかったの?」

 予想していない。

「……っるせぇな。階段でこんなことしたら危ないだろ。今日はスニーカーじゃなくてパンプスなんだぞ」


 彼は笑顔を見せた。白い歯が光る。


「いつも通りの絵麻だ」

「悪いかよ」


「いいや。僕の予想通りにイメチェンしてくれて、安心してる」

 

 手のひらで踊らされていたのか。あたしは頬を膨らませた。


「似合ってないならストレートに言えよ」

「何着ても似合うと思うけど、絵麻の着たい服を着てほしいから」


 何でお前は、あたしのほしい言葉ばかりくれるんだろう。


 ふと、Uターンの派生語を思い出していた。それは別の場所へ行った人が元の場所に戻る現象だ。背伸びしたあたしは、明日から元の服装に戻るだろう。


「ごめんね。悪い男で」

「奏太の全部、受け止めてやる」


 あたしの名を紡ぐ前に、愛する人の唇を奪った。

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Uターン 羽間慧 @hazamakei

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