初恋は形を変えて

月之 雫

初恋は形を変えて

 ハルキが帰ってくる。母から聞かされて私の胸は久しぶりにときめきを覚えた。


 ハルキは私の幼馴染みだ。この小さな島で、唯一の同級生だった。島に一つきりの小学校では常に机を並べていたし、一番近い本土の中学校、高校も同じところに同じ船で通っていた。一番の親友であり、兄弟のようでもあり、初恋の相手でもあった。あの頃の私は人付き合いの全てがハルキ一人で完結していた。人見知りで、本土の同級生とは表面上の付き合いしかしていなかった。いつだって隣にハルキがいるからそれでいいと思っていたのだ。

 そんな私の小さな世界は大学生になるときに崩壊した。ハルキは島を離れ、東京の大学に進学してしまったのだ。私は何も知らず当然のように地元の大学に進んだ。気付いたら私の世界にハルキはいなくなっていた。


 大学を卒業し、私は相変わらずこの小さな田舎の島で生きている。島で就職をし、実家暮らしだ。何も変わらない。きっとこのままだらだらと島で生きて島で死ぬのだと思う。穏やかな日々は嫌いじゃない。けれどそんな何もない人生でいいのかと時折不安になる。

 ハルキは大学を卒業してから東京の会社に就職したとハルキの母から聞いていた。もうこのまま私とハルキの人生は交わることなく終わるのだと思っていた。

 けれど、戻ってくるという。ただの帰省ではなく、仕事を辞めて島に戻ってくるのだという話だ。何故なのかは知らない。向こうで何かあったのか、島でやりたいことができたのか、あるいは家庭の事情で呼び戻されたのか。詳しい話は聞いていない。そういう事はハルキ本人の口から聞けばいいと思ったのだ。

 私ははやる気持ちを抑えながら港へ向かった。ハルキが帰ってくる船を出迎える。

 ハルキに会うのは6年ぶりぐらいになるだろうか。東京に出てから一度も帰省していないのだ。東京からこの辺境の島までまで往復する交通費を考えれば仕方のない事なのかもしれない。

 向こうから何度か連絡はきたが、私に内緒で東京の大学に行くことを決めたことが許せなくて無視していたらやがて来なくなった。わだかまりがいつまでも続いていたわけではないが、そのうちにそれが当たり前となり、彼が向こうでどんな生活を送って何を思っているのか全く知らないままに年月は過ぎていった。




 観光客すら滅多に来ることのない島に小さな連絡船が着く。ハルキはこの船で帰ってくると聞いていたのだが、降りてきたのは若い女性一人だけだった。長い黒髪を海風になびかせながら、テレビや雑誌の中でしか見ないようなおしゃれな服を着たその人は、誰かの客人だろうか。少なくとも島の人間ではないなあと思いながら下船する姿を目で追っていた。

 それにしてもハルキはどうしたのだろう。船に乗り遅れたのだろうか。だとしたら到着は明日になる。

 仕方ない、今日は帰ろうと船着場に背を向けたその時、私を呼ぶ声がした。懐かしい、かつて日に何度も名を呼ばれたあの声だ。

「ハルキ?」

 振り向くと、そこには先ほど船から降りてきた女性がいた。

「迎えにきてくれたんだね、ミオ」

「は?ハルキ!?」

 よく見れば女性だと思っていたその人は私の幼馴染みの男の子だった。頭の天辺から足の先までどう見たって綺麗な女性だけれど、化粧をしたその顔はよく見ればハルキだし、声もハルキだ。間違いない。

「ええと、何?どういうこと?」

「まあ、深く考えないで。人間6年もあったら変わるってことで」

 変わりすぎでしょうという突っ込みもできないほどに混乱したまま丸め込まれるように背中を押されて歩き始める。

「折角だからこのまま飲みに行かない?積もる話もあるしね」

 聞きたい事は山のようにある。何から聞けばいいのか見当もつかないが。

 ハルキの提案には大賛成で、お酒はあまり強くないけれど、近くの居酒屋の暖簾をくぐることにした。




 空白の時間は記憶との違和感を生む。何の変化もなく生きていると思っている私でも変わっている事はある。

「ミオが化粧とかしちゃってるし」

 もうじき20代も後半に差し掛かろうという年だ。化粧など当たり前なのだが、ハルキの中の私は高校生で止まっている。私の中のハルキもそうだ。お酒も飲まないし女装もしない普通の男の子だった。

「それはこっちのセリフだわ」

 私の地味な変化とはびっくり度合いが格段に違う。

「うちの親、どんな反応すると思う?怒られるかな。勘当されたらミオの家で匿ってくれる?」

 田舎の人間というのは異質なものを受け入れにくい。都会の人間の反応とは違うだろう。

「そんな怖がるぐらいなら男の格好をしたらいいじゃない?」

「一時的な帰省ならそうしたよ。けどこれからずっとここで生きてくつもりなのに、そんな最初だけ取り繕ったって意味ないでしょ」

 確かにそうだ。隠れてできる趣味でもないし、この島でそれをするなら腹を括るしかない。怖くても乗り越えなければいけない。それがわかっているからハルキは覚悟をして完全武装で帰ってきたのだ。ただ、私を目の前にして弱音を吐きたくなっただけだ。いまだにハルキにとってそういう存在であることが嬉しかった。

「ところでいつからそういう願望が?」

 もしかしたら島にいた頃からそうだったのだろうか。あんなに一緒にいたのにハルキが男の子であるのに何の疑問も違和感もなかった。私が気付いていなかっただけだとしたら悪いことをしたかもしれない。

「向こう行ってからだよ。別に性同一性障害とかじゃないし」

 それを聞いて少し安心した。そういえば言葉も昔通りだし、女になりたいとかそういうのではないのかもしれない。

「喋り方がいつも通りなのは私が相手だから?」

「まあそうだね。時と場合によって女言葉も使うし声色を変えたりもするけど、ミオにはそうする必要はないなと思って」

「ふうん」

 正直よくわからない。見た目が女性という事以外、内面的には昔のハルキと何も変わらないように思えるが、私は彼を男性女性どちらとして接するのが正しいのだろう。どっちにしたって私にとってハルキはハルキなのだけれど、もしかしたら男扱いをしたら傷つけてしまう事もあったりするのだろうか。

 そんな心配はあるけれど、どこまで問いただしていいものなのか判断が難しい。私とハルキの仲なのだから疑問は全てぶちまけても大丈夫なのかもしれない。けれどそれも6年間の空白があるために少し尻込みしてしまう。距離感を推し量ってしまう。

「ミオは、嫌じゃない?」

 少し遠慮がちになってしまうのはハルキも同じらしい。恐る恐るといった感じで上目遣いにこちらを窺う。

「嫌じゃないよ。びっくりはしたけど、ハルキはハルキだし」

 自分のことは棚に上げ、いざ自分がそうされると遠慮なんてしなくていいよと歯痒く思う。私とハルキの間にはそんなものなかったはずだ。昔みたいにゼロ距離でいたい。そう思ったので思い切って突っ込んでみることにする。

「ねえこれからは女友達として接した方がいい感じ?私これでもハルキは初恋の人だったんだから、ちょっと複雑よ」

 全てを曝け出すつもりでそんな告白をぶちまけてみた。恋心なんて、あの頃は絶対に曝け出せなかったけれど、時間がたった今ならば言える。時間とは不思議なものだ。

「それは初耳だ。僕の初恋もミオだったな」

 ハルキは破顔した。やっと見せた、あの頃と同じ笑い方。気持ちと記憶があの頃に戻る。

「私たちしかいない狭い世界だったからね」

 お互いにお互いしか知らなかった。あれから別々の世界を見て、ハルキは他の女性に恋をしたのだろうか。私は、それほど親しくなれた男性はいなかった。相変わらず人付き合いは下手くそなままだ。

「でも僕は今でもミオが好きだよ。だから男扱いして」

 さらりと、ハルキが告げる。私よりも綺麗なくせに、そう言ったハルキの顔は男の顔だった。赤い口紅にアイメイクもばっちりなのに、男の目をしていた。一緒にいる間にも見たことがない大人の男。

 心臓がピッチを上げていく。あの頃のときめきが生々しく戻ってくるような気がする。

「女装をしているからって恋愛対象が男なわけじゃないよ。女になりたいわけでもないし」

 物欲しそうな顔で私を見る。

「じゃあどうして女の格好をするの?」

 女になりたいわけでもなく、男として扱って欲しいのになぜ女装をするのか私には理解できない。

「んー、ファッションの趣味の一つと思ってくれたらいいかな」

「ファッション?東京ってそういう感じなの?」

 確かに理解できないファッションというものは世の中に存在する。それはもう人それぞれの感性なのだから、家族であれ親友であれ理解できなくても仕方がないしどうにもならない。そういう事なのか。

「いや、これはどこでもマイノリティーだよ。だから不自然じゃないように女性を演じる事もある。でも僕としては今のこの感じが普通」

 つまりハルキはハルキ。男の子という認識のままでいいらしい。しかし見た目がこれだとちょっと頭が混乱する。

「だってハルキすごい綺麗なんだもん」

 私が頭を抱えると、ハルキは完璧な女の顔で笑った。

「ファッションだからね。似合うと思ってるからやってる」

「気持ちがこんがらがるわ」

「そのうち慣れるよ。何しろ6年ぶりだからね」

 ハルキの趣味を否定する気はないが、いつか記憶の中の男の子と目の前の美人とが違和感なく一致する日が来るのだろうか。

「ところで、ミオの恋心はもう過去のものなのかな?今はどう?女装野郎にはときめかない?」

「えっ…」

 テーブルの上の手を握られ、私は困惑する。

「ミオを口説くつもりで帰ってきたから、覚悟しといて。この島への未練なんてミオ以外なかったんだから」

 そのうち、私よりも綺麗なこの人に、あの頃みたいにときめくのだろうか。想像はつかないけれど、あの頃みたいに心臓が躍り始めているのは間違いない。手が触れただけで、こんなにも。


 私はあまり強くはないお酒をいつもよりちょっと多めに飲んだ。


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