Uターンすれば名探偵
乙島紅
Uターンすれば名探偵
とある山奥の、ゲレンデ付近にある小さなペンション。
大雪で外へ一歩も出られないような夜に、殺人事件が起きた。
被害者はペンションのオーナー。ほぼ密室状態のそのペンションで共に一晩を過ごしたのは、オーナー夫人、学生カップル、小説家、そして一人の探偵である。
探偵の要請で、ペンションの一室に集められた容疑者たち。
果たして彼は犯人の正体を暴くことができるのだろうか……!?
***
「犯人はそう……あなただ!」
探偵の視線が、まっすぐに向けられる。
「まさか、私ですか?」
小説家はきょとんとしたような表情を浮かべる。
「いや、あなたじゃないですよ」
探偵は拍子抜けしたように肩を落とし、首を横に振った。
涙目になりながら抗議したのはオーナー夫人だ。
「待ってください! 私はやってません! 夫を殺すなんて、そんな……!」
「で、でも、あたし、確かに見ました! 夜中の十一時ごろ、お風呂に行こうとしたら、オーナーと奥さまが口げんかしているのを」
女学生は慌てた様子で説明する。
「学生さん。あなたのアリバイを証明する人が他にいますか?」
「確かだと思うよ。十時ごろかな? 彼らの部屋からはずいぶんとお楽しみの声が聞こえたからね」
小説家もすっと手を挙げて言った。
初々しい二人は恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「俺たちはその、昨晩は部屋にいて……後で別々に風呂に入りました」
「とすると、つまり……」
探偵は腕を組んでうーむと考え込む。
「作家先生のことは何より僕自身が昨晩その姿を見ているんだ。あなたはオーナーと仲良くコーヒーを飲んでいましたね」
「その通り。昨晩は万年筆のインクが切れてしまって、替えのインクを持ってないか聞きにいったんだよ。そしたら、ずいぶんと苛立っているようだったから、コーヒーを飲みながら話を聞いていたんだ」
「なるほど……」
「ああ、朝起きたら冷めたコーヒーの入ったマグカップが二つキッチンにありました。もう洗ってしまいましたけど」
オーナー夫人は思い出したように言う。
「そこには何もなかったですか?」
「え? ええ……」
「奥様が第一発見者なんですよね」
だとするとあなたが一番怪しい、と探偵は呟く。
「私の容疑は晴れたかね? 申し訳ないがすぐに東京に戻らなければいけないんだ。締め切りが迫っていてね」
もう議論を始めて何時間になるだろうか。小説家はついにしびれを切らして言った。
探偵はぐったりしたような様子でうなだれる。
「まだ、何かがひっかかるような気がするんだが……」
***
思い返せばなかなかに痛快で、刺激的な夜であった。
東京へ向かう高速道路の途中。サービスエリアで停車して、小説の続きを書こうとして胸ポケットから万年筆を手に取る。だが、ペンからインクが出なかった。
「……ああそうか、コーヒーの隠し味に使ったんだった」
ずいぶんと使い古したインクだった。執筆が進まない腹いせくらいの気持ちだったが、まさかあんなことになるとは。
「まぁ、今Uターンさえしなければ気づかれまい」
小説家はにやりと笑うと、万年筆をしまって車のエンジンをかけた。
〈おわり〉
Uターンすれば名探偵 乙島紅 @himawa_ri_e
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