第11話 ナターシャ・トワの成り上がり

 

 魔王様から働きを認められ、あまつさえ、部下にならないかとスカウトされた。間に他人を介してではない。呼びつけられてでもない。

 魔王様からこちらへ出向き、直接、顔を合わせてスカウトされた。


 存外のことだ。この方のことを知った今となっては。

 心が揺れている。

 首を縦に振れば、きっと私は魔王様の庇護下で今よりいい暮らしができるのだろう。金がない、とあくせく働くこともなくなるし、書斎付きのでっかい家を用意してくれて、ワイン片手に「ふっ、愚民どもめ……」ごっこをできるようになるんだろう。


 あー、いいかも。


 なんて、思うわけだけれども。こちらも少し、いや、かなり込み入った事情がある。


「あの……」


 断る、というのははばかられる。やりたいし。しかし。

 けじめがいる。これは魔王様や魔界がどうとかいう話ではない。私個人の事情だ。

 深呼吸をする。

 ある意味、これからする行為は死ぬよりも勇気がいるからだ。

 魔王様は黙ってこちらを見ている。いらだって続きを促すことをしない。私から切り出すのを、忍耐強く待っている。

 私にとって、そういう態度がありがたいことを、この御方は知っている。

 まあ、そうだろうな、と思う。

 あれほど聡い御方なのだから、初対面の頃から見抜いていたのだろう。私の正体について。といっても、大層なものじゃない。その逆だ。

 本当に、くだらない正体。

 下賎げせんで、救いようがなくて、誰にも理解され得ない。そういう、私の正体について。


「はぁ……」


 観念して、息を吐く。覚悟を決める。

 手を、耳の方にやって。私は髪の毛をかきあげた。

 尖った耳がそこにあった。長寿族エルフ。亜人とも、人間が進化した種族とも呼ばれている、見目麗しい幻想種のトレードマーク。


「私の母は、エルフです」


 そう。私の母親はエルフだ。そこはいい。そこまでは問題ではない。

 私の顔立ちは、美しくない。眉や目や唇は、まあ普通といえるの造形をしている。けれども鼻が、顔の中央にある鼻が不自然につぶれていて、総合的にみるとひどく醜い。


「私はエルフのハーフで、片方はオークの血が流れています」


 ハーフ・エルフ=オーク。

 オーク。豚人とも呼ばれる、人間以下の種族。最下級の魔族であり、魔界においてすら害獣として駆除対象になっている。獰猛どうもうで、性欲が旺盛おうせいで、女となれば見さかいなしに襲いかかる、クズみたいな種族。

 御多分にもれず、母親は被害者だ。

 遺伝学上の父は、とっくに殺処分された。

 私の性別が男だったら、この世に産まれた瞬間に生涯が終わっていただろう。


 まあ、そういうことですよ。

 さかき京四郎から、魔王の身の上話を聞いた時にさ。すんなり理解しちゃったでしょ。普通ならドン引きするような悲惨な話。

 作り話だろ、とか。

 この世にそんなことがあるなんてあり得ないでしょ、とか。

 悪い奴らが言ってるんだから、お涙頂戴ちょうだい捏造ねつぞうなんじゃろ、とか。


 ひとかけらも考えなかったでしょ?


 分かるのよ。

 産まれてすぐに、お前なんか産まれなきゃよかったって言われまくった人の身の上話って。

 臭いからして違うのよ。本物と似非えせって。


 というわけで、私は魔族が嫌い。魔王様は好き。でも魔族は嫌い。

 私にあるジャーナリストとしての正義感は母親譲りだけれども、他人の死を喜ぶっていういかんともしがたい変態性癖はまず間違いなくもう片方のせい。

 この血のせいで、まともな職業にもつけなかったし。記者は天職だと思いますがね。成人して生まれ育った施設から放り出された後、いろんな仕事を転々としたもんだわさ。


「貴方個人ならばともかく、人間をしいたげる魔族のために働くつもりはありません」

「やって欲しい仕事の内容だが。ご存知の通り、現在の魔界は数千個ある惑星で人間を養殖していてな。一つの惑星に一名ずつ、人口をほどよく管理をするためそれなりに高位の魔族を置いている」


 えー。

 無視して続けるんすか。めちゃくちゃ勇気を出して言ったのに。


「いや」

「困ったことに、その管理者の中に」

「あの」

「目に余る狼藉ろうぜきを人間にする者もいるようでな」

「ですから」

「羽目を外した馬鹿どもを調べ上げて、死刑宣告をして欲しい。殺すのは私がやる」

「……」


 えっと。

 待って、ちょっと待って。

 どういうこと?


「も、ももも」


 震えるな、私の声。たかぶるな、私の性欲。


「もう少し、分かり易くですね」

「要するに。高官として登用している魔族に少なからずクズがいる。人間を無用にしいたげるやからだ。誰がクズか、けいが調べて欲しい。見つけたら、卿の好きなように死刑宣告をして欲しい。私が後ろ盾になる」

「う、うそですよね……?」


 理想的な職場なのでは――?

 ドッキリ?

 ねえドッキリ?


「嘘をつく必要がどこにあるのかね?」

「めちゃくちゃ大役ですけど、なんで私なんですか?」

「逆に聞くが、卿以上の適任はおらんぞ。何故そんなことを言うのかね?」

「て、適任っすか」


 とてもそうは思えないんですが。


「目の前にクズがいる。君の一存で死刑宣告できる状況だ。相手が賄賂わいろを出してきた。さて卿は、金で転ぶかね?」

「ないっすね」

「ではもし、相手が強迫してきた場合。命欲しさに脅しに屈するかね?」

「ないっすね」

「クズだと思った相手が、じっくり調べたが実はクズではなかった。その時に卿は、自分のメンツや、私からの叱りを恐れて、死刑宣告をしたままにするかね?」

「撤回します」

「だろう? 他にいるのかね、そんな奴」

「あー……」


 納得してしまう。

 私のは本能に根差した性癖だからなあ。

 確かにまあ、いないと思う。正義感でも金でも面子でもなくて、ただ純粋にクズが死ぬのを見るのが大好きっていう変質者。その上で、クズじゃない奴だったら何としても生きてもらうってプライドがある奴。

 ただね。ちょっとね。

 あまりに話が美味し過ぎるので、保険はかけておきたいかなって。


「すみません。一つだけ。引き受けたいんですけども、一つだけ、条件があります」


 性癖のままに生きてきた。

 私はどうしようもなく、腐りきった権力者が死ぬのが大好きなので。政情不安定で危険な場所に出向いたり、危険な相手に対面したりはしょっちゅうだ。

 死ぬのは怖かったけれども、常に自分の命よりも性癖を優先させてきた。どこか、自暴自棄なところがあるんだと思う。

 気持ちよくなれるのなら、いつ死んでもいいって。


 魔王様は、私の全てを理解されているんだろう。このいかんともしがたい性癖はもとより、自分の出生のことも話した。隠し立てするようなことはもう何もない。

 理解のある上司。

 やりがいのある、理想的な仕事。

 待遇だって、ものすごくいいはずだ。

 夢のような生活がそこにある。

 だからきっと、私はいつか調子に乗ってしまう。


「何かね?」

「もしも陛下の目から見て、私が調子に乗って、初心を忘れて腐ってしまったら。その時は容赦なく、私の命を奪っていただきたいのです」

「ふ」


 魔王様が、微笑する。


「ふふふ。卿は、筋金入りだな」

「ですか」

「クズは嫌いか……それがたとえ、自分自身であろうとも」

「おっしゃる通りでございます」


 そこだけは、言い切れる。


「ああ。分かった。意趣返しではないが、その時はきっちり聞かせてもらうとしよう。“ナターシャ・トワ君。君はもうすぐ死ぬが、今どんな気持ちなのかね”と」


 ゾクリ、とした。


 身体がさざ波のように震えて、止まらない。

 自分の全身を覆うこの感情が、歓喜なのだと気づく。

 どうしてだろう。

 胸が熱い。

 いや、分かってるのだ。上手く言語化できないだけで。

 たぶんだけれども、理由をつけるとするなら、分かってもらえたからだろう。

 私がこれまでの生涯で抱えてきた、性癖の複雑骨折の苦しみを。

 どうしようもない変態である私を、忌むべき出生の私のことを、憐れみでも同情でもなく、魔王様はそのままに受け入れてくれた。

 そんな相手がこの世にいるなんて、思ってもみなかった。


「ありがたき幸せ」


 声を絞り出すようにして言っていた。


「では、契約を交わす。卿には騎士ナイトの称号を与えよう」


 叙勲の作法なんて、よくは知らなかったけれど。とりあえず私は、ひざまずいた。


 どうやらそれが、正解だったらしい。


 魔王が、部下から剣を手渡される。

 鞘から抜かれた儀礼の剣が、ひざまずく私の肩に軽く触れた。古来から伝わる、忠誠の儀式そのままに。


 こうして私は、生涯の主君を得た。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔王様へ。貴方はもうすぐ死んじゃいますけど今どんなお気持ちですか? 鶴屋 @tsuruya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ