Uターンライフ
五木友人
道の形は人それぞれ
人生は、常に選択肢の連続だ。
誰だってそう。
「あの時、別の道を選んでいたら」
「もしも逆の答えを選んでいたら」
後悔の連続。
挫折の記録。
苦難の前進。
そうやって人は生きていく。
これは、過去を振り返ることを良しとしない、とある男の話。
俺が前のめりに生きると決めて、故郷を飛び出したのは四年前。
退屈な田舎に嫌気がさして、都会の大学を片っ端から受けた結果、どうにか進学先が決まり、意気揚々と社会の波に帆を張った。
大学生活は貧乏との闘いであり、都会の濁流にも揉まれに揉まれてすっかりくたびれてしまったものの、どうにかやってこれたのは、俺の自慢である。
それでもたまに思うこともある。
そもそも、勉強下手の俺が大学進学をするべきだったのか。
これは大きな疑問である。
貧乏な上に親からの経済支援だってない。
勉強そっちのけで学費と生活費を稼ぐ日々。
それらで得たものは何だ。
若い時の苦労は買ってでもなんて言うヤツは、大概本当の苦労なんてした事のない大人である。
食うに困って三日間水だけでしのいだり、日に三つのバイトを掛け持ちした挙句過労で倒れた経験を本当に買ってでもしたいのならば、ぜひそうしてくれ。
俺が売ってやる。
言い値で売ってやる。
送料だって俺が負担してやって良い。
それの上でなお、若い時の苦労の価値を語るのであれば、もう何も言わない。
俺とあなたは価値観が違いすぎるようである。
過去を振り返らない事を信条にしてきたものの、さすがに心が折れそうだ。
大学の卒業を間近に控えて、俺は就職先が決まっていなかった。
何十社、いや、もしかしたらもう一つ桁が増える程度には就職活動だってこなした。
しかし、田舎生まれ田舎育ちで何のコネもない。
学業そっちのけで学費のために勤労を続けた結果、留年こそないものの、成績は散々な結果。
エントリーシートに書ける資格だってない。
一体、何度「バイトリーダーで得た経験を」と面接官に語っただろうか。
「では、その経験が弊社にとってどのような価値となるでしょうか」
黒縁メガネの面接官が言う。
「そんなもの、何の役にも立ちません!」
そう叫んでやりたかったが、その結果得られるものは心に負う切り傷と、気の毒な顔をした周囲の視線くらいのものである。
それでも俺は前を向く。
両親の反対を押し切ってまで都会に出てきたのに、何も得ないまま朽ち果ててなるものか。
向こう見ずに生きるのが俺の信条ではなかったか。
「おい、あっちの席で飲んでる子に声かけてみようぜ」
「そりゃいいな! 楽しい夜になりそうだ」
「早く行こう! 他の男に取られちまう」
何かのツテでも得られたらと、藁にも縋る様な思いで参加したゼミの飲み会だったが、所詮は藁である。
溺れている時に掴むのだったら、浮き輪が良い。
それが無理でもせめてロープくらいは欲しい。
「お前は行かないのか?」
一応俺にも声を掛けてくれる気遣いは嬉しかったが、とてもそんな心境ではない。
「俺はいいよ」
「そうか。分かった」
彼だって、「うっひょー、行く行く!」と俺が答えるなんて思っちゃいないはずだ。
楽しそうにはしゃぐゼミ仲間を眺めながら、せめて会費の元を取ろうとハイボールをグビグビやっていたところ、ポケットに入れておいたスマホが震えた。
同時に俺も震えた。
きっと、採用試験を受けた会社から合格通知に違いない。
俺は相手の名前も見ずに、すぐさま通話ボタンを押す。
「もしもし!?」
電話の相手は母だった。
「は……? 親父が、倒れた?」
目の前の景色が歪んだのは、飲み過ぎたせいだけだったろうか。
翌日。始発の新幹線で、俺は故郷へ向かう。
窓ガラスに映る顔は酷いものである。
得体の知れぬ窯を煮立てる魔法使いだってもう少し血色が良いだろう。
電車を乗り継ぎ、見覚えのある無人駅で電車から叩き出された俺を見つけて、声をかけてくる女性がいた。
「先輩! 先輩ですよね!?」
「……よう。久しぶり」
彼女は同じ高校の一つ下の学年で、学級委員を毎年こなすような優等生だった。
家が近いと言う接点がなければ、俺なんかとはおおよそ関りのない人種である。
彼女が車で迎えに来る事は、母からの連絡で知っていた。
「都会はどうですか? 有名人とかに毎日会えるんですよね? みんなオシャレで、クラブ? とか行ったりして!」
「……まあ、そんな感じだ」
彼女が無理をして話してくれているのが分かっているのに、俺は仏頂面で流れる景色を見つめている。
田畑が多く、古くからある商店街はシャッターだらけ。
国道沿いにできたショッピングセンターだけが多少賑わいを見せる。
俺のよく知った、故郷の景色。
二度と戻るまいと前だけを向いて飛び出した、故郷の景色。
「車の免許、取ったんだな」
「はい。ここでお仕事するためには、車は必須ですから」
俺は運転免許すら持っていない。
都会からはみ出した結果、この田舎にすら拒絶された気分になる。
自分から拒絶しておいて、なんと虫のいい話か。
「先輩はお仕事決まりましたか? 今年大学卒業ですよね?」
「いや、まだ。……お前は? スーツ着てるけど」
「私は高校卒業と同時に、役場に就職しましたよ。お父さんもお母さんも喜んでくれましたし、私としても良かったかなぁーって」
「そうだな。それが良い。親が喜ぶのが、一番だ」
まるで自分に言い聞かせるように、俺は言う。
一人息子が勝手に家を飛び出して、両親はどう思っただろうか。
馬鹿が。今更、何を考えている。
景色の変化もないままに、彼女の運転する車は俺の実家の前に到着した。
「じゃあ先輩。私は仕事に戻りますから! 何かあったらお声かけて下さいね! 車出しますよ!」
「なんだよ、俺が免許持ってない事知ってたのかよ」
「あっはは、実は、おばさまに聞いてました。だって先輩、何の連絡もくれないんですから、気になっちゃって! あっ、いけない、私ホントに行きますね! ではではー」
田舎の地味な女だと思っていたのに、久しぶりに見る彼女は輝いて見えた。
——彼女の目から、今の俺はどう見えただろうか。
「……ただいま」
「おかえり! 時間かかったろう? さあさあ、上がんなよ」
母が玄関で待ち構えていた。
なるほど、後輩のヤツと結託していやがったか。
用意周到なことである。
「親父は? まだ生きてる?」
「あっはっは! 残念だけどまだピンピンしてるよ! 床の間で寝てるから、手洗いとうがいしたら来るんだよ」
「おい、俺がいくつになったと思ってんだよ? ガキじゃないんだから」
「母親にとっちゃ、あんたはいつまで経っても子供のままだよ。はっはっは」
父と顔を合わすのは、勝手に受けた大学の合格通知片手に家を飛び出した時以来である。
普通はこんな時、「一体どんな顔して会えば良いのか」と悩むのかもしれない。
そんな考えが露ほども湧いてこないのは、心がすっかり荒んだせいか。
流れるように襖を開けると、床の間のど真ん中に布団があり、そこから顔を出している父と目が合った。
「よう。帰ったか」
「ああ。親父が死んだって聞いて」
「馬鹿言うな! ちょっと心臓が止まっただけだ!」
「やっぱり一瞬死んでるじゃないか」
「やだよ、この人たちは! 死んだとか死んでないとか、縁起でもない!」
母が麦茶を携えて部屋に入ってくる。
まだ冬なのに、なぜ麦茶なのか。
昔から、夏だろうと冬だろうと麦茶を作る、俺の母。
「あのねぇ、お父さん、心筋梗塞って言うの? 畑で倒れてねぇ。お隣のおばあちゃんが気付いてくれたから良かったけど」
「えっ、隣のばあちゃん、まだ生きてんの?」
「そうなんだよ。あの婆さん、わしがお前くらいの頃にはもう婆さんだったのにな! まさかわしの方が先に倒れるとは」
「はははっ、けっさくだな」
「お父さん、なに笑ってるの! あんたも! 笑いごとじゃないでしょ!」
不意に沈黙が重なり、俺は麦茶で口を湿らせた。
思いのほかそれが美味しくて、ゴクリと喉を鳴らした瞬間、父親が言った。
「……帰ってこんか?」
「はあ?」
「わしもこの体じゃ、いつまでやれるか分からん。ちょうど、役場で求人が出ててな」
「だって俺は——」
俺は、この田舎が嫌いで。
——久しぶりに田舎の景色を見て、郷愁の念に駆られたのは誰だ。
俺は、父みたいな生き方をしたくないから家を出て。
——そんな俺に声をかけてくれる人間が世界にまだいたではないか。
俺は。
——なんだ、もう否定材料がないのか。
——ならばもう、答えは出ているのではないか。
春が来て、夏になったら秋が来て、冬になってまた春が来る。
それを何度繰り返しただろうか。
「あなた! この子に言ってあげて! 急に都会で暮らすなんて……!」
「あたしは好きなように生きるの! もう、こんな田舎なんて懲り懲りよ!」
「待ちなさい!」
「行かせてやりなさい。若い時の苦労は買ってでもしろって言うだろう」
「あなた! ……まったく、似た者親子なんだから」
旅立つ我が子に掛ける言葉は。
「前のめりで生きろよ。ただ、人生は歪に入り組んでいる。前に進んでいるつもりが、気付けばUの字に軌道を描くこともある」
「はあ? なに、意味わかんないんだけど」
「大丈夫。俺も意味が分かったのはつい最近だよ」
人生は、常に選択肢の連続だ。
誰だってそう。
「あの時、電話に出なかったら」
「もしあの車に乗らなかったら」
生きる喜び。
別れの悲しみ。
順番が来れば、次は自分が。
そうやって人は生きていく。
これは、過去を振り返ることを良しとしなかった、とある男の話。
前だけ向いていても帰る場所には戻って来られる。そんな話。
Uターンライフ 五木友人 @Itsuki_Tomohito
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