また、今度

かさごさか

夜は長い

 青年はただ一人、歩いていた。その速度は競歩に近く、時々、後方を確認するように振り向いては雑踏の中での衝突を間一髪で避けていた。その腕の中には先ほどファストフード店で購入した食料が音を立てながら揺れていた。


 ここは歓楽街。太陽の下では廃れた通りに見えるが、夜となればネオン煌めく秩序ある無法地帯へと一変する。娯楽施設と一括りにするには多少、常識を疑いたくなるような店もあるが、どこを見ても賑わっていた。青年はその中を急ぎ足で進む。メッシュの入った色素が薄い長髪を一つに束ねた姿は目立つようで、このネオン街ではありふれたものとなってしまう。

 色とりどりに光る看板を掲げた雑居ビルと入り口で豆電球が光っているだけのシアターの間にできた隙間に青年はその身を滑り込ませる。壁を這う管や室外機で圧迫された狭い空間を中程まで進んだところで青年は振り返る。縦に細長く切り取られた雑踏がこちらを見向きもしないことを確認し、近くにあった室外機の上に抱えていた紙袋を置く。移動してる間にいくらか水分を吸ってしまったようで、紙袋だけではなく中の包み紙も湿っていた。

 

 歓楽街が作り出す光がギリギリ届く路地の奥で青年は手に入れた食料に齧りつく。色とりどりの光を人影が遮ってはまた表われる光景を眺めながら湿った包み紙を剥いた。すっかり冷たくなってしまった夕食を立ったまま味わっていると、後ろで硬質な音がした。その音に青年は身を硬くするが、聞き慣れた音だと判断し上顎に貼り付いてしまったレタスを剥がすことに奮闘する。

 軽やかに近づいてくる足音は青年の背後まで来るとぴたりと止んだ。青年は振り返る。

「―― ミカミ」

「なんだ、三下みのしたか」

 後ろには給仕のような格好をした人物が立っていた。一見、この歓楽街で働くボーイかと思うようなその足下には鮮やかな色のハイヒールが、路地に微かに届くネオンサインの光を反射していた。

「まだ煙草やってんの?」

 三下みのしたと呼ばれた青年は呆れた声を出しつつ、手の甲で口回りを拭う。彼が指摘した通りにミカミの手には行為に必要な一式が握られていた。

「やめろと誰にも言われないんでね」

 死ぬまで吸ってんだろうなぁ、とミカミは笑う。

「ボクがやめてって言ったら?」

「それで、お前にメリットあるのか?」

「・・・ないかな。あ、ある。あるよ」

「何?」

「じゅどーきつえんしない」

 指に付いたソースを舐め取りながら三下は包み紙を丸める。その様子を見ながら「どこでそんな言葉覚えたんだか・・・」と呟き、ミカミは取り出した一本の嗜好品に火を付けた。

「世の中からいろいろと、ね」

「あ、そう」

 三下は室外機の上に置きっぱなしだった紙袋の中に丸めた包み紙を入れる。煙と共に何か諦めたような声がミカミの口から吐き出された。


 ミカミは三下の恩人だ。また逆も然り。要は互いに恩を感じているが、二人ともそれを言葉にしたことが無い。その上、三下が一方的に距離を置いているので不定期で不規則な場所で会うことが多い。会う、というよりは遭遇すると言ったほうが適切かもしれない。

 三下がミカミと距離を置くこととなる要因は様々あるのだが、端的に言うと「巻き込んで、傷つけた」。ミカミ自身、気にしてはいないのだが対人関係に関して幼稚園児以下の知識しか持たない三下は距離を置くことしかできなかった。

 こうして二人は奇跡の巡り合わせのような確率でしか会うことは無くなってしまった。この歓楽街では約束無しに再会できることは課金してでも難しいと言うのに。


「ミカミは仕事?」

「いや、もう出番は終わったけど・・・まだ呼ばれてる所があるな」

「そっか」

「・・・」

 会話が続かない。歓楽街に背を向け、逆光のせいで三下の表情がよくわからない。いや、長く伸びた前髪のせいでいつも表情がわかりづらいのだが。

 三下は再び、細く切り取られた雑踏に目を移す。その時、独特な規則性を持ったメロディが数秒流れた。ミカミはポケットからスマートフォンを取り出すと、画面には来店を促す文面がいくつか並んでいた。内容に軽く目を通したミカミは咥えていた嗜好品を惜しげも無く地面に吐き捨て、ハイヒールのつま先部分で磨り潰す。わざとらしく吐き出された溜め息に三下が振り向く。

「行く?」

 それなら道を譲ると言わんばかりに三下は雑居ビルの壁に身を寄せる。そうでもしないと歓楽街へと通り抜けることができない。

「悪いな」

 ミカミは路地を数歩進む。それに合わせ、すれ違うように三下が路地の奥へと進んだ。このまま会話は終わり、また互いの日常が続くだけだ。

 そのはずだった。

「ミカミ、」

 あと二、三歩で雑踏の仲間入りを果たす、といったところでミカミは立ち止まる。声がした方を向くと三下がいた。どうやらUターンして戻ってきたようだ。

「これあげる」

 貰ったやつだけど、と手渡されたのはネオンサインにも勝るとも劣らない発色の小さな袋。“のど飴”と表記されていた。

「・・・お前から貰ったなら、お礼しないとな」

 それは世間一般に染みついた定めにのっとった発言ではあった。貰い物にはお返しを。

「次、でいいよ」

「そ。何が良い?」

「任せる」

 そう言い、三下は口角を上げる。おそらく笑ったのだろう。相変わらず下手な笑い方だと思いつつ、ミカミは貰った飴をポケットにしまう。

「じゃー、

「おう、

 三下は光の届かない路地の奥へ、ミカミは色鮮やかに煌めく歓楽街へそれぞれ歩み出す。歓楽街では約束も無しに再会するのは難しい。特に夜となれば、口約束はほぼ無効である。


 路地の奥は光が届かない。暗闇が広がるだけである。それは深海のようで、人は無意識の内に路地を避けるように、歓楽街の光へと誘われる。影すら飲まれる路地から出てきた給仕ボーイらしき人物が一人、歓楽街に溶け込んでいく。その足下でネオンサインの光を反射しながら。


 路地に置かれた室外機の上には皺が寄った紙袋だけが残されていた。

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また、今度 かさごさか @kasago210

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