夕暮れ時が似合う君
史澤 志久馬(ふみさわ しくま)
夕暮れ時が似合う君
その日は晴れ渡った春の土曜日だった。夕方なので風が吹くと寒いが、昼間はポカポカしていい日和だ。いつもの僕なら、ボールやグローブを持ち、誰か同じように暇な友達と公園に遊びに行く所だ。
だが、今日の僕は混乱していた。今まで考えもしなかった事を、母さんから何気ない口調で突きつけられたのだ。
「今、何て?」
「だから、サヤちゃんが明日引っ越すんやって。何か遠くの高校に行くらしいで。」
僕はパッと立ち上がり、ジャンバーと帽子を引っ掴んだ。母さんは驚いた様子だ。
「ちょっと、どこ行くんよ。」
「サヤ姉ちゃんの所。まだおるんやろ。」
「サヤちゃんも忙しいやんか。別に急いで行かんでも……。」
「いや、行くんや。母さんは何も分からんやろけど。」
僕は玄関から出て、サヤの家へ走った。サヤの家は、うちから五分ほどのところにある。
サヤは、近所に住む四歳年上の女の子だ。母親同士の仲が良いのもあって、幼い頃からよく遊んでもらっていた。上にきょうだいがいない僕にとってずっと姉のような存在で、一人っ子のサヤも弟としてかわいがってくれた。
でもサヤが中学生になってからは、サヤは忙しくて僕に構う暇なんかなくなってしまった。僕は別にサヤがいなくたっていい、と口では言っていたが、内心は寂しかったのだ。
サヤの家の前に着くと、丁度サヤが庭に出ている所だった。僕を見ると、サヤは驚いたように目を見開く。
「ユウキやん。どないしたん。」
「……別に用は無いけど。引っ越すって聞いたから、見送ってやろうと思って。」
「生意気な奴や。」
サヤはそう言いながらも笑って、庭を通り抜けて僕のいる門のところまで来てくれた。サヤが目の前に来ると、なぜか急に自分の周りが熱くなって、モジモジしてしまった。
「わざわざ来てくれてありがとうな。」
「ふん。」
本当は色々話したいのに、言葉は出なかった。顔を背けた僕を見て、サヤはまたケラケラと笑う。
「ちょっと砂浜行こか。」
「忙しく無いん?」
「少しくらい大丈夫や。」
僕はサヤと並んで、夕方の道路を歩いた。サヤは何もしゃべらず、僕は何を話していいか分からなかった。
地区にある砂浜は、海水浴や潮干狩りのシーズンになると嘘みたいに人が多くなるが、それ以外の時期は過疎しかけの村に似合って静かだった。曜日や時間帯によっては学校の運動部がトレーニングしていたりもするが、今日はそれもなく、本当に二人だけだ。
「どこの高校行くん?」
「東京の方。」
「東京⁈そんな大都会。」
「そうそう。」
何でそんなところに行くの、サヤ姉ちゃんはこの辺りの方が良いよ、そう言いたかったが、僕はやっぱり言えなかった。サヤが自分で行きたくて決めた事なのだ。僕なんかが口を挟む事じゃ無い。
「楽しみ?」
「そう、やな。楽しみやで。でもちょっと寂しいかな。」
サヤは波打ち際をちゃぷちゃぷと歩きながら、ため息混じりの声で答えた。夕日が当たったその横顔は、はっとするほど綺麗で、僕はじっと見つめてしまった。楽しみならもっと楽しそうな顔をすればいいのに、なぜそんなに物哀しそうな表情なのだろう。
砂浜を半分くらい歩いたところで、サヤは急に立ち止まり、くるりと僕の方を向いた。その顔には先ほどと打って変わって、いたずらっぽい笑みが浮かんでいた。
「競走しよか。」
「はあ?急に何でよ。」
「だって、昔はようかけっこしよったやん。」
「でも……。」
渋る僕を差し置いて、サヤはさっさとスタートのラインを足で引いてしまった。
「僕、サヤ姉ちゃんに勝ったことないやん。」
「じゃあ勝てばええやん。まあ、私は負けへんけどな。」
「ふん。」
僕はまたそっけない返事をしながらも、スタートラインについた。サヤの筋肉質な脚と、僕の細い脚が横に並ぶ。
「先に向こう側の端っこに着いた方が勝ちな。」
「うん。」
「ほんなら行くで。よーい、どん!」
サヤが号令をかけると同時に、僕は飛び出した。必死でサヤに食らいつき、砂浜の上をどんどん前へ進む。春の潮風が耳元で鳴る。二人ぶんの影が長く伸びる。僕はただただ前へ、前へ。
空はオレンジ色の陽が最後の輝きを放ち、水面はそれを反射してキラキラと光っていた。凛として、綺麗で、まっすぐな彼女に似合う、美しい海辺の夕暮れ時だった。
夕暮れ時が似合う君 史澤 志久馬(ふみさわ しくま) @shikuma_303
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