エピローグ

エピローグ

 私が世界と戦った日々から、半世紀が経った。その短い時間で、世界は急速に変わっていった。


 まず、人は三十年を超えて生きられなくなった。人口の半数以上を失った人類の経済は、いったんは落ち込んだ。世界恐慌以上に悲惨な状態がしばらく続いた。しかし、それも永くは続かなかった。記憶継承技術が整えられ、失われた経済をとてつもない勢いで取り戻していった。記憶を継承することで知識を習得し、経験を積む期間を極限まで短縮したのだ。それにより、経済は円滑に回るようになる。世界経済は五年を費やして人口が激減する以前の水準を取り戻し、さらに五年をかけて飛躍的に向上させた。


 生活はどんどん豊かになっていった。人生が三十年しかないのだから、老後を心配する必要がない。加えて、ほとんどが健康なまま生涯を終えることになる。つまり、医療費も大幅に削減された。そして、文字通り生涯現役でいられる。つまり、社会保障という制度が必要なくなった。三十年という短い生涯で、リスクに備え、相互扶助をする必要性がなくなったのだ。誰かに支えてもらう必要はない。そして、誰かを支える必要もない。負担が減ったことに加え、経済が上向いたことで所得も増え、余裕が生まれた。それによって、出生率も向上した。今や世界の人口は、半世紀前と同程度まで回復している。


 

 つまり。マーシャが語った構想が現実のものとなった。


 あのとき、ノアは私を殺せなかった。今でも鮮明に覚えている。私に向けた銃口から弾が発射されることはなく、代わりにノアのこめかみがはじけ飛んだ瞬間を。


 森の中に逃げ込んだ私達は、敵側の分隊に追跡されていた。まったく気配は感じなかった。だから、ノアは抵抗することもできずに狙撃されてしまった。それによって、私達の部隊は全滅。私は捕らえられ、再び研究に加担することになった。今度こそ、叫んでも喚いても、どんな抵抗も無駄だと悟った。そうして出来上がったナノマシンは全世界にばらまかれた。もはや死の自由と選択の権利は、人類には残されていない。人類は世界の流れに身を任せ、すっかり大人しくなってしまった。


 だから、こんなことを考えているのは、世界中でたったひとり、私だけだろう。



 私は今、国連が用意した研究施設にいる。そこでは、ナノマシンと親和性の高い子どもたちが集められ、人類を次なるステージに導く研究とやらが行われている。私はナノマシンの元となった人間として、未だ世界に囚われたままとなっている。


 だが、それもいずれ終わる。


 集められた子どもたちは、従来の人類とは少し異なる。ナノマシンとの親和性が高いがために、ナノマシンの地力を極限まで引き出せる。従来の人類ではこうはいかない。その中でも飛び抜けて親和性の高い子どもには、ある現象が起きる。


「まってぇ」


 施設の屋外運動場で、子どもたちが走り回って遊んでいる。いくら親和性が高いとはいえ、子どもであることに変わりはない。他の子どもと同じように、ボールで遊び、追いかけっこをする。ひとつ異なるのは、そこが研究施設であるがゆえに、白一色で統一された色のない空間であるということだけだ。それにさえ目を瞑れば、見かけはただの子どもだ。


 しかし、その中でひとりだけ異彩を放つ少年がいる。その子は他の子らに混じらず、運動場の片隅、日の当たらない場所で本を読んでいた。時折静かにページをめくる。読書以外には興味がないようで、遊ぶ子どもたちに目を向けることさえしない。線は細く、華奢だ。


 その少年は名をホセという。被験体ナンバーは006。私が目をつけたその男児は時折こめかみを抑え、顔をしかめる。


 それが、私が待ち望んでいた兆候だった。


 ナノマシンとの親和性が高すぎるが故に起きるノイズ。それを感じ取れる逸材を、私は待っていた。それでこそ器足り得る。


 私は立ち上がって、ゆったりと歩き始めた。静かに、自然に、少年へと向かう。

 ノアを失った私は、ナノマシンにある小細工をした。特定の要素を持つ人体に移植されたナノマシンは、その細工を発動させる。それによって、私は失ったものを取り戻すことができる。そして、再び世界と戦う力を手にする。今度は負けはしない。ノアが望んだ世界を、ノアとともに作り上げる。

 そのために、私は半世紀もこんなゴミ溜めにいたのだから。


 少年の前に立って、手を差し伸べる。


「さぁ、立って。私といきましょう。世界を変えるために」


 少年は眩しそうに手をかざしながら、私を見上げた。

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選択の末路は。 相葉 綴 @tsuduru_a

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