第10話

 森の中を、オリビアの手を引いて走る。左肩から滴る血で手のひらが滑り、繋いだ手が抜け落ちそうになる。


 あれから、あの宣戦布告から五年が経過した。世界を相手に、僕らは戦った。たくさんの同志が集まった。そこにはPMMの隊員たちもいた。PMMを抜けるとき、テメルが裏で手を回してくれていたのだ。それから、ソネルみたいな奴らもたくさん集まってきた。彼らはみな被害者だった。実験体だった。だから、僕らと同じように受け入れられなかったんだろう。記憶を操作され、寿命を制限されることが。


 トレバー経由でも、たくさんの人が集まった。僕の宣戦布告は各国の言葉に翻訳され、様々なメディアを通して、全世界にばらまかれた。それはトレバーの仕業だった。国を抜けてきた人もいた。退役した軍人もいた。人種や性別、年齢を問わず、様々な人々が集まった。もちろん、賛同してくれたのは武に心得のある人材だけじゃない。医療、情報、機械、海洋、エネルギー、建築、経済、航空、船舶、電気、電子、その他様々な分野のエキスパートが集まってくれた。それから、極秘裏にではあるものの、一部の国からも援助を受けることができた。加盟国でありながらも、やり口に納得できなかった国々だ。国土の一部と資金を融通してくれた。それらはすべて、トレバーが仕組んだ拡散のおかげだった。


 僕らは戦った。世界を相手に、世界中を巡った。世界中に散らばったSCPとCTIの関連施設を破壊して回った。襲撃してきた国連の部隊と幾度となく衝突した。初めの数年は善戦していた。集まった武力はそうそう崩せるものではなく、それを援護する体制も整っていたからだ。一時はあと一歩というところまで追い詰めたこともあった。


 けれど、それは永くは続かなかった。だんだんと、部隊の損傷が見逃せなくなっていった。要するに、疲弊していた。そして、戦い初めて四年が経とうとしていた頃、作戦中にトレバーが戦闘に巻き込まれて死亡した。その頃には、世界の勢力は回復し、再び僕らと拮抗するようになっていた。


 次に脱落したのは僕らを援助してくれていた国々だった。トレバーがいなくなったことで守りきれなくなった情報が漏れてしまい、各国は世界の非難の的となった。彼らはもともと世界に弓引けるような大国ではない。身の潔白を示すため、彼らは手を引くしかなかった。

 坂を転げ落ちるように、僕らを取り巻く状況は加速度的に悪くなっていった。五年目に入った頃には、最初に集まった勢力の半分しか残っていなかった。初期メンバーに至っては、テメルしか残っていない。


 遠くに銃声が聞こえる。爆発音がして、地面が揺れる。これは掃討戦だった。世界と僕らの最後の戦闘。勝敗はすでに見えていた。世界は惜しみなく戦力を投じてくるだろう。僕らに残された兵力はごく僅かで、世界の本気を防ぎ切る手立てはもう残されていない。


 だから僕は、オリビアを連れて戦場から離脱していた。オリビアを渡すわけにはいかない。たとえ僕らに勝機はなくとも、それだけは防がなければならない。

 部隊の指揮はテメルに任せてある。思えば、テメルにはいつも頼ってばかりだった。こんなに頼りない僕を、どうして見捨てずにいてくれたのか、今を持って謎のままだった。テメルは決して、語ろうとはしない。ただただ僕らを見守ってくれていた。そして、僕からの最後の願いも聞き届けてくれた。自分が生き残れないことを承知で、僕を送り出してくれた。最後の最後まで、テメルには頭が上がらない。


 深い深い森の奥。僕らは立ち止まった。戦域から少しでも遠ざかっているのだろう。ここには動物の気配すら感じない。肩で息をしながら、オリビアに向き直る。あぁ、綺麗だ。いつものように。輝いて見える。だから、僕が選択した結末を、今からやらなければならないことを想像して、暗澹たる気持ちになる。


 それでも、逃げることは許されない。

 だから僕は、右手に握りっぱなしだったベレッタを構え、オリビアの額に狙いを定めた。

 選択からは死ぬまで逃れることができない。

 ゆえに、僕は逃げ切ることに決めた。僕の物語をここで終わらせる。


「撃たないの」


 彼女は静かに問うた。それは厳かで、尊くて、静かで、悲しくて、そして美しかった。

 ベレッタを握った手が震える。なかなか指に力がこもらない。まだ迷っているのだろうか。ここで終わらせてしまうことを。もう、決めたことだというのに。


「撃たないの」


 彼女がもう一度訊いた。


「ごめんね」


 言葉が漏れる。

 言うつもりなんてなかった。伝えるつもりなんてなかった。僕は悪者でよかったんだ。汚い仕事をしてきた。たくさんの人を巻き込んで、たくさんの人を殺してきた。だから、謝りたくなんてなかった。だって、謝ってしまったら、きっと君は僕を許してしまう。僕はこれから君を殺すのに。今まで殺してきた人たちと同じように、銃弾をその柔らかい脳髄に叩き込んで。だから許さないでほしい。この最後の選択を、君には許してほしくない。


「もう逃げられないんだ」


 それでも、唇は、喉は、勝手に声を紡いでしまう。


「だから、撃つの」


「うん」


 そう答えたとき、彼女は微笑んだ。それはまるで、これから自らに起こることを祝福しているかのように感じた。


「彼らはどうなるの」

「きっと、彼らは覚悟していたはずだよ。だから、ここから先の選択は自由だ」


「私たちはどこへ行くの」

「どこへだって行けるさ。ただ、僕らは人を殺し過ぎた。きっと、天国へは行けない」


「そうね。でも、地獄は嫌ね」

「それじゃあ、そのどちらでもないところへ行こう」

「天国じゃなくて、地獄でもない場所」


 彼女が首を傾げる。


「そうだよ。きっとそこに天使はいない。でも、悪魔もいないはずだ」


「素敵なところね」

「そうだ。僕らはそこで、自由になる。勝ち取るんだ」


「また会えるかな」

「会えるさ、みんなに」

「そう」


 その返事を最期に、彼女は静かに手を広げた。その目は穏やかで、どこまでも遠くを見つめていた。


 きっと、彼女はすべてを知っている。すべてをわかっている。だから、きっと、僕のためなのだろう。彼女はとても優しい人だ。こうして微笑んでくれる。

 その微笑みに甘えるように、引き寄せられるように、魅せられるように、指先に力を込める。これが、僕の最後の選択だ。


 硝煙が尾を引きながら、薬莢はカランと音を立てた。

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