真っ暗闇トンネル

滝川創

真っ暗闇トンネル

「ちっ、つまんねえなあ。何かもうちょっとゾクゾクするような場所ないかなあ。今日だけで四箇所もまわったってのに、どこも出ないじゃねえか」


 悟志さとしはくわえていた煙草を窓から投げ捨てた。

 朝から一人、車でめぼしい心霊スポットを走り回ったが、どこへ行っても十分な刺激は得られない。


「次、どこ行くかな……」


 ひとけのない山奥まで来た。

 走る車をしばらく見ていない。

 ガードレールの向こうに広がる谷。その奥には雄大な山々が連なっており、隙間から西日がさしている。


 悟志は地図を広げ、それを眺めた。

 ここなんてどうだろう。ここから十五分もしない場所だ。

 携帯電話を取りだして調べる。


 真っ暗闇トンネル。


 検索結果が表示され、その一つを開く。

 そこには雑草が繁茂した壁に、ぽっかりと浮かび上がるトンネルの画像が表示されており、下に「馬倉山トンネル」と書き込まれていた。

 『入ったら最後、暗闇に捕まって永遠に出られないと噂のトンネル』

 真っ暗闇トンネルというのは馬倉山まくらやまトンネルという名称からつけられたものらしい。

 トンネルが作られた原因は不明で、使われていた記録はなく、どこに続くかも謎。

 数年前に地元の若者たちが肝試しに入った際、誰も帰ってくることがなかったという事件まであったそうだ。


「これは期待できそうだな。よし、真っ暗闇トンネルに決定!」


 そう独りごちて、悟志は深くアクセルを踏み込んだ。



 ***



 悟志は小さい頃から心霊や怪奇現象が大好きだった。

 テレビで恐怖映像を見て、心霊写真を集め、大人になってからは休日を使って心霊スポットを巡るようになった。

 ネットで無名な心霊スポットを漁り、それをリストアップしておいて、休みの日にそこへ足を運ぶ。


 当たりを見つけることは滅多に無いが、それでも今日の四箇所は特にひどかった。


 誘拐された女が沈められたという死人池、恋人の不倫を知った男が焼身自殺したという廃屋。

 いじめられっ子の怨念がこめられた人形がずらりと並ぶ井戸なんていう所にも行った。


 あるとき、視覚障害が原因で仲間外れにされてしまった少女が、人形の目をくり抜いて相手の子にそれを渡したという。

 数日後、使われなくなっていた井戸で人形を渡された子の死体が発見された。

 井戸の横には「きけん、ちかづくな」と子どもでも読める標識があったにもかかわらず、彼女は井戸へと落ちたのだった。

 一説では人形を渡された子は、呪いによって幻覚を見ていたとされる。

 死体が発見された日、井戸の周りにはずらりと人形が並べられていた。


 しかし実際、行ってみるとその場には人形など見当たらず、悟志は大いに幻滅した。


 そして本日一番の目玉だった友霊滝。


 あるとき、男が友人と二人でその滝を上から覗いていた。

 すると友人が彼の腹をいきなり包丁で刺した。実は友人は金がらみの恨みを持って、計画的に人の少ないそこへ男を誘き寄せていたのだ。

 立ち去ろうとする友人の肩に「待ってくれ」と男は手をかけるが、友人は男の手を払いのけ、バランスを崩した男は滝つぼに真っ逆さま。


 この話を聞いたとき、これはアリかもしれないと興奮したのを覚えている。

 しかし実際にその場に行ってみると、何の変哲もないただの滝だった。霊が出るとは思えない平穏な場所。興奮はすぐに冷めた。


 計画していた場所を周りきり、行く場所がなくなった悟志は近場でスポットを探した。

 そして今に至る。



 ***



「おい、ここ道がないぞ」


 地図に書かれたトンネルは舗装された道を大きくそれた森の中に位置している。

 助手席でずっと地図を広げていた光祐こうすけは顔を上げて、森を見た。


「おそらく、突っ切っていくしかないだろう」

「全然知られてなさそうな場所じゃないか。よく見つけられたよな」


 悟志がハンドルを大きく切り、車は伸び放題の草を踏みつけながら森へと入っていく。

 森の中は覆い被さる木々のせいで、陽差しがほとんど届かなかった。

 夕方になったせいで薄暗いのか、それとも昼間からこんなに暗いのか。


「おい、本当にこっちであってるのか?」


 悟志は運転をしながら不安に駆られる。心霊よりも怖いのは道に迷って家に帰れなくなることだ。


「こっちのはずだ」

「またあの滝みたいにひどい場所じゃないだろうな」


 悟志はうんざりした口調で言う。


「おい悟志、あそこを見ろ」


 光祐の視線の先に暗闇があった。

 山の一部分がコンクリートで固められており、その中心に大きなトンネルがある。

 悟志はブレーキを踏み、車を停めた。

 トンネルの大きさは高さ三メートルほどで、幅は二車線よりちょっと広いといった具合だ。


 トンネルの前には広場のように木が生えておらず、赤い日の光がトンネルを照らしていた。

 先ほど画像で見たものと全く同じだ。


「ここか……」


 自分の鼓動が激しくなっていることに気が付く。

 トンネルに広がる暗闇は差し込む夕陽と対照的で、吸い込まれるような暗さだった。もしその先が落とし穴になっていたとしても、気付かずに落ちてしまうだろう。

 ごくりと唾を飲み込んで、汗ばむ手をハンドルにかける。


「良い感じだな。今日のラストは『真っ暗闇トンネル』だ」


 そう言って、震える足をアクセルに乗せる。

 震えが恐怖によるものなのか、それとも興奮から来ているものなのか、自分でも分からなかった。

 ゆっくりと車が動き出し、周囲が暗闇に包まれる。

 暗闇が自分を呼んでいる。


 ルームミラーに映る出口の光が、次第に遠ざかっていく。


 無音の室内で、自分の呼吸が荒くなっているのがわかる。

 これぞまさに自分が長年追い続けてきたものだった。この緊張感、どうなるかわからない興奮、体を駆け巡る恐怖。


 車をぶつけるのは避けたかったのでスピードは出さず、ヘッドライトに照らされる地面に注意を向けた。

 地面は舗装されているが、ところどころにへこんだ場所があり、時々車体が大きく揺れた。

 暗闇はどこまでも続いた。もう五分は経っている。ひたすらにまっすぐな道が続き、照明は一切なかった。


「さすがに『真っ暗闇トンネル』と呼ばれるだけあるな」


 悟志の声に光祐は返事を返さなかった。

 この暗さに隣に座る光祐の姿も見えなかったが、彼は恐怖のあまり口をきけないのかもしれない。


 そのまま進んでいくとヘッドライトに何かが映し出された。

 車を停めて目を凝らすと、それは地面に書かれた文字だった。

 赤いペンキを垂らしたような字だ。


 夕タ暗。


 暗号か何かだろうか。


「これは何だ?」


 悟志の頭に連想されたのは、先ほどトンネルの入り口を照らしていた夕陽と、今、目の前に広がる暗闇だった。

 夕陽、夕陽、暗闇?


 もしくは「タダ暗イ」の文字が消えかかっているとも考えられる。

 しかし濁点や「イ」があったという形跡は全く見て取れず、逆に残された字は鮮明なため、そこだけきれいさっぱり消えるのは不自然な気がした。


 何なのだろう。誰かが雰囲気を出すためにイタズラで書いたのか? だとするなら、「許さない」だとか「殺してやる」とかもっと怖い台詞があったろうに。

 不思議に思いながら、再び車を発進させる。

 そこから、ところどころにその文字が現れた。『夕タ暗』。

 何を示しているのだろう。

 色々と考えながら車を進めていると、徐々に道が狭くなってきた。

 流石に気味が悪くなってきて「引き返そうか」という考えが微かに頭をよぎるが、「ここまで来たからには行けるところまで行ってやろう」という気持ちがそれを押さえつけた。


 突然の事に、しばらく何が起きたのか理解出来なかった。

 車体に振動が走り、ヘッドライトが消えたのだ。

 少ししてから、車が何かに衝突したことを知る。


 視界は真っ暗闇に包まれた。


 チッと舌打ちをしてギアをリバースにいれ、アクセルを踏み込む。


「ん……? 何でだ……」


 車が動かない。


「おい、動けよ。嘘だろ……」


 何度も何度もアクセルを踏みつけるが、車体はびくともしなかった。

 でこぼこにはまったのか、それとも何かが引っかかっているとか……。

 この狭さではUターンもできない。

 もう一度アクセルに足をつけたところで、体にぶわっと鳥肌が広がる。

 アクセルと足の間に何かが挟まっている感覚があった。

 悟志は手さぐりでそれを探すと、顔の近くに寄せた。ぼんやりとした輪郭は見えるものの、それが何なのか判断できない。

 手で輪郭をなぞってみる。

 布のような感触、続いてつるつるとした感触、そして、髪の毛のような感触。


「人形……」


 突如、車内にぼんやりとした光が入り、手にしているものが目に入る。


 それは、両目をくり抜かれた日本人形だった。

 わけのわからない奇声を上げ、それを放り投げる。

 すぐにドアへと手をかけ、力に任せてそれを押すがドアは開かない。

 窓から下を覗くと、ぐっしょりと濡れた女性がドアにもたれかかっており、その目が自分の目を捉える。

 空気が漏れるような声を出して仰け反る悟志の肩に、後ろから手がかけられる。


「待ってくれ」


 しわがれた声に振り向くと、助手席には腐乱した男が座っていた。

 腹に深く包丁が刺さっており、服がどす黒く染まっている。


 そこで我に返る。


 光祐って誰だ……?

 自分には光祐なんていう友人はいない。

 それに朝、車を出したときには確かに一人だったはずだ。

 それなのに一緒に車に乗っていたこいつは、誰なんだ……?


 悟志は肩に置かれた手を振り払い、後部座席へと倒れ込んだ。

 何とか体勢を立て直して、リアガラスから外を見る。

 闇によろめく何かがいた。

 炎を纏っている、焼けただれた男だった。

 これが明かりのもとだったのか。

 男は徐々にこちらへと近付いてくる。その後ろには無数の黒い影が見える。



 体から力が抜けていく。

 悟志はずるずると後部座席に倒れ込んだ。


 もう、終わりだ。

 もっと前にUターンしておけば……。


 あの文字が頭に閃く。


 夕タ暗。


 ゆうタあん。


 Uターン。


 そうか、ちゃんと忠告されていたんだ。

 あのときのもう少し深く考えてさえいれば……。


 足元に目のくり抜かれた人形が転がっている。



 静かに目を瞑る。




 また、視界は真っ暗闇に包まれた。

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