お早いお戻りをお待ちしております

ヒトリシズカ

銀食器を磨きながら

 わたくしはレオと申します。

 あるお屋敷の使用人をしております。

 私は今、旦那様のお帰りを待ちながら厨房で銀食器シルバーを磨いておりました。

 旦那様がいつものお散歩に出られて三ヶ月が経ちましたので、そろそろお帰りになる頃でございましょう。


 ……おっと、そうこうしている間に先触れが参りました。

 私の頭の上をとても小さな光がくるくると舞っています。一見すると蛍のようですが、これは旦那様のお造りになられた小さな人工生命体の光です。お散歩から戻られる際は、必ずこちらを飛ばしてくださいます。私は勝手にその生命体を「ロア」と呼んでおります。ロアは屋敷に帰ってくると、必ず古いミルクピッチャーに入ります。彼にとってそこが自室のつもりなのでしょう。

 ロアがいつも通りミルクピッチャーに入るのを見届けて、私は急いで準備を整え始めました。


 全ての準備を終え、玄関の扉を開けるのとほぼ同時に旦那様が戻られました。



「おかえなさいませ、旦那様」


 大股に入ってくる旦那様を私は恭しくお迎え致します。


「屋敷は変わらなかったか?」


 はい、旦那様。

 私は旦那様からマフラーとお帽子を受け取ります。


「それは上々」


 三ヶ月ぶりに拝見した旦那様の顔は生き生きしております。今回は確か、採取に行かれていたはずですね。


「今回も何か良い物が手に入ったのでございましょう?」


 分かるか?と上機嫌で旦那様は仰りました。

 外套を背後からお預かりしながら、私は肯きます。


「今の旦那様は、とても良いことがあったお顔をされておられますので」


「探していた鉱物をやっと見つける事が出来たよ」


「それは良うございました」


 私は居間へ続く扉を開けて、旦那様の話に相槌を打ちます。旦那様は暖炉の前にあるお気に入りの椅子に腰掛けながら、私を振り返られました。


「鉱物の他にも面白いものを見つけた」


 旦那様はお出掛けになるといつも面白いお話を私に聞かせてくださいます。


「もともと行く予定じゃなかったんだが、あのマルコ・ポーロが書いていた黄金の国に行って来たよ」


 マルコ・ポーロ様というと、東方見聞録を書かれたあの方ですね。

 私は温かい紅茶を準備しながら話の続きを待ちます。


「せっかく来たんだから、ちょっと散策してみることにしたんだ。そしたら、なんと。私と同じ名前のパン屋があるじゃないか!普段外で食べ物を口にしない私だが、あの時は思わずクロワッサンをひとつ、買って食べたよ」


 興奮気味に旦那様が熱弁されています。

 よほど感動されたのでしょう。私は紅茶に合うお菓子を並べながら訊ねました。


「お味はいかがでしたか?」


 すると満足そうに旦那様が頷かれました。


「中々の美味であった。あれを持ち帰ってこれるのならば、女王陛下もお喜びになるかもしれないな」


 旦那様の仰る女王陛下が女王陛下なのかは私ごときでは理解できかねますが、楽しそうにお話しになる旦那様の様子に自然と頬が緩みます。


「それは良うございましたね」


 私が相槌を打つと、旦那様はお茶を口にされて、お出ししたお菓子を一欠片お召し上がりになりました。


「本当は、今回は練丹術について気になることがあったから清を巡っていたんだが、ちょっとハプニングが発生したんだ。ただの流行病だった筈なんだがどうにも嫌な予感がしてね。早々に隣にある例の島国に飛んだんだよ。そしたらどうだい!瞬く間に入国も出国も出来なくなってしまった!我ながら、自分の嗅覚を褒めてやりたいねっ」


 まあ、実際には島国からも動けなくなり予定より帰宅が遅くなった、と旦那様は笑っておられます。それは災難でございましたね、と私はお茶のおかわりを注ぎながら相槌を打ちます。楽しそうにお茶を嗜まれる旦那様を見つめながら、私は旦那様が最初に行かれていた国に想いを馳せました。


「行かれたのは清でございましたか。以前、日清戦争をご覧になってらっしゃっていたかと」


 確かあの時は、一度見に行かれてもう用事は無いと仰っていたと私は記憶しております。


「あそこの良質な辰砂シンシャがどうしても欲しくてね。以前、ある村でよく産出されると情報を得た鶏血石けいけつせきさ」


 村長を説得するのに半月も掛かってしまったよ、と旦那様は笑います。


「おっと、あの時代は清ではなかったな。確か、中華人民共和国チャイナと言ったかな?」


「そうしますと、旦那様が感動されたクロワッサンが売られていたのは黄金の国ジパングではなく日本ジャパンでございますね?」


「そうそう。日本ジャパンだ。前に一度行ったが、あれはかなり昔だったからな」


 清に行かれたのと、確か同時期ではなかったかと私は記憶しております。

 あの時は、硝煙の匂いを纏ってお帰りになられたのをロアが嫌って、中々機嫌を直してくれなかったのですよね。


 ふう、と息をつき旦那様がカップをソーサーに戻されました。


「いつもと同じ美味いお茶だった。……さてと、侯爵様へロアを先触れに出してくれ。侯爵様に頼まれていた品を届けに行かねばならないからな」


「かしこまりました」


 私は厨房へ戻り、古いミルクピッチャーを軽く揺すりました。


「ロア、お仕事ですよ。侯爵様のお屋敷へ旦那様がいらっしゃることを伝えてください」


 もそりと、ピッチャーから出てきたロアに私は素早く氷砂糖を咥えさせます。途端にシャッキリとした様子を見せたロアに笑顔を向けます。


「すぐお出掛けになると思うので、急いで向かってくださいませ」


 しゅわりと氷砂糖を溶かしたロアは、私の頭上をくるりと旋回すると矢のように飛び出して行きました。さて、私は私の仕事に戻りましょう。


 部屋に戻り旦那様のお召し替えをし、お出掛けの準備を整えます。きっちりと整えられたシャツの上に外套を羽織ると、旦那様は満足げにひとつ頷かれました。


「ではレオ、留守を頼んだ」


「はい旦那様、お気をつけていってらっしゃいませ。お早いお戻りをお待ちしております」


 レオ、と旦那様は私の名前を呼びながら振り返られました。


「戻ることをあの時代では“Uターン”というらしいぞ」


「左様でございますか」


 では、旦那様が先ほどまでいらっしゃったという時代の流儀に従ってみましょう。


「お早いお戻りUターンをお待ちしております、旦那様」


 楽しげにお出掛けになられる背中を、私は首を垂れて送り出します。


 旦那様がお出掛けになると、屋敷には再び静寂が訪れました。比喩でなく、お早くお戻りになられればいいのに、とは本心ですが旦那様にお伝えする気は毛頭ございません。

 ですがせめて。願わくば、あと千年ほどお仕えすることが出来れば大変嬉しく存じますが、確実なことは私如きに分かるはずがございません。それをお決めになれるのは主である、サンジェルマン伯爵旦那様ただお一人なのですから。

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