Reverse1-1
昼休みの教室の喧騒が遠くに聞こえる空き教室。
普段は狭いように思える教室もそこに過ごす人さえいなければ、彼と彼女のような小柄な少年少女二人きりが弁当を食べるぶんには意味なくだだっ広い。
でも、そのだだっ広さがなんとなく好ましかった。彼と彼女がここで共に昼食を摂るようになったのも、そんな理由からだ。喧騒を避け、たまたま見つけたこの場所で偶然知り合った。話も合った。相性は悪くなかった。それからは惰性的に、このランチタイムを続けている。
「……ぼく、嫌われてるのかなあ」
窓側に座る少年───播磨あきらによって呟かれたその言葉は悲しさとか怒りとかというよりも、ただただ困惑が込められているように見えた。
そう言いながらも箸を動かす手は止まらず、一つ、また一つと弁当箱のおかずが彼の口の中に放り込まれていく。彼と向き合って弁当を食べていた彼女が、彼のそんな呟きを聞いて眉を寄せた。箸を置き、食べるのを中断し、ひどく深刻そうな表情で彼を見る。
「……誰かに悪口でも言われましたか!?先生に相談した方が良いですよ!自分で言うのが難しいようなら、私が言いにいきますけど……」
「あぁ、いや、そういうのじゃないんだ。誰かに酷いことを言われたとか、やられた、じゃなくて…………ただ、なんか避けられてるみたいで」
彼女のそんな反応を見て、播磨は後悔した。
別にそこまで気にしている訳ではなかった。悲しい訳でも辛い訳でもない。彼の心にあるのは困惑ただそれのみである。自分が相手に何かした覚えもされた覚えもない。仲良くも悪くもない。そんな相手に避けられているのでひたすら困惑しているのだ。
彼としては本当になんとなくそう呟いただけだった。その問題を解決してほしい、とか。悲しくて傷付いたから話を聞いて欲しい、とか。そういった意図は一切ない。「あぁ、今日も良い天気だな」そんな気軽さの呟きだった。
しかし、それは少し軽率な行動だったかもしれない。
彼女──柏波さなかの正義感の強い性格を考えれば、すぐに想像できたことだった。
「……本当ですか?」
「本当だって。嘘じゃないよ、それに……避けられてるのだってぼくの勘違いかもしれない。だって彼はそういうタイプじゃないし……」
彼女と知り合ってまだ三週間ほどだが、これだけは分かる。
柏波さなかは超がつくほどのお人好しだ。人が良すぎて馬鹿を見るタイプだ。現に既に教室に共に昼食を摂る友人がいるだろうに、こうして自分と朝食をとっているのが良い証拠だ。きっと気をつかって止めどきが見つからないんだろう。教室でもそうだ。何かを頼まれたら断れなくて。困っている人がいたらほっとけなくて。そのことに悪態をつくこともない。
ああ、まったく。その善意を拒否することのできないぼくもぼくなのだけれど。
「彼?って……あの。もし宜しければ誰なのかお名前を聞いてもいいですか?」
「ああやっぱり言った方がいい?気になるよね。ただまだぼくも信じられなくてさ……」
「教えて下さい。誰にも言いませんから、神に誓って!!」
彼女が机を身を乗り出して、彼の言葉を待っている。
真剣そうな、くりっとした大きな目がこちらをじっと見つめている。
このまま黙ってやり過ごすことはできそうになかった。ぼそり、と。聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声でその人の名前を声に出す。
「…………司馬珠兎しばじゅうと」
「え」
信じられない、そんな表情だった。
当たり前だ。当人でさえ信じられてないのだから、第三者が信じられるわけがない。
「……え、ええ……?本当?です、か……いや播磨くんは嘘つきませんもんね……」
無理もなかった。
司馬珠兎。彼と彼女のクラスメイト。入学式の自己紹介で「男女問わず恋人募集中」と宣言し、その宣言通りに毎日毎時毎秒愛を垂れ流して生きている男。博愛主義が足を生やして歩いているような人間。
間違っても人を嫌ったり避けたりなどはしない。ましてや関わりのない人間に対してそんなことをする人間では決してない。
そんな人間に避けられている自分。信じられない。だが事実だった。
「最初は勘違いだって思ったよ。だって、あの司馬だよ?ぼくみたいな地味なヤツ、嫌うどころか認識すらしてないって」
「……」
「ふと、目が合うと逸らされるんだ。その時の目がね、凄く冷たいんだ。信じられないでしょ。あのいつも笑ってる司馬がだよ?」
「……」
「ぼく、ちょっと怖くなって。……でも怖いもの見たさっていうのかな。ある時、自分から、彼に気付かれないように、ちらっと見てみたんだよ」
話している内に、自分の手が拳を作り、虚空を握りしめている。無意識の行動だった。
彼自身にさえ理解できないその行動が表している意味。握った拳のその中身。
何も分からないままに、彼は言葉を続けた。
「じっとこっちを見てたんだ。物凄く怖い目で。こっちを、睨んでた」
確かにあの時司馬は自分を睨んでいた。
殺してやる。
そんな風に言ってるみたいに。
「……ねぇ、信じる?信じてくれる?ぼくの言ってること」
彼女の瞳が微かに揺れ、戸惑いの色を見せる。
一瞬の逡巡のあと、黙って彼女の首がゆっくりと縦に振られた。
「……そっか」
彼女の怯えているような顔を見て、ようやく播磨は自分の手が震えていたことに気付いた。
口に出して、こうして人に伝えたことで、自分が思っていた以上に参っていたことが分かった。
全部自分の勘違いなのだと、あの冷たい目は、殺意ともとれるような視線は、自分が作り出した妄想なのだと、そう考えようとしていた。
「信じて、いいんだね」
あれは自分の妄想なんかじゃなかった。
名状できない困惑。それは彼の恐怖が作り上げた防衛規制だった。そのことを認めることで、ようやく播磨は安心できたような、そんな気がした。
握り締めた拳の中身の正体には見ない振りをして。
Re. 夢埜ハイジ @yume_yumerati
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