戻ってきた男

タカテン

異世界転生なんてろくなもんじゃねーぞ

 そいつはとてもとても小さく、弱々しい背中をした少年だった。

 眼下ではまるで異界へ旅立つ魂のように、夜の世界の中、赤い炎が尾を引いて次々と漆黒の道を渡っていく。

 少年は手すりから身を乗り出すようにして、ただ黙ってその行列を見守っていた。


 ここへ来る直前、女神は俺に言った。この少年を救いなさい、と。

 それは長い長い時の中で何千、何万、何億という世界を救ってきた俺にとって、造作無いことのはずだった。


 

 

 俺は今でこそ異世界を渡り歩く異世界転生者だが、もとは普通の人間だ。

 トラックに轢かれ、異世界転生した。もちろん、女神から最強のチートスキルを貰って。

 

 最初はそりゃもう興奮したさ。まさか本当に異世界転生が存在するなんて思ってもいなかったからな。

 それに元の世界では何のとりえもない学生だった俺が、チートスキルのおかげで敵なし。

 さらにやたらと女の子にモテまくる。おまけに絶倫。まさに無双状態で、モンスターだろうが女の子だろうがなんでも来やがれだ。

 まぁちょっと調子に乗りすぎて魔王を倒した後にハーレムを作り、贅沢三昧、酒池肉林な日々を過ごした挙句、最後は王様の手下に毒殺されちまったのは情けない限りだが、誰だってはそんなもんだと思うぜ?

 

 そう、初めては、だ。女神からチートスキルを貰って異世界転生を果たした者は、異世界を次々と渡り歩いて平和に導かなくちゃいけない契約なんだよ。

 だからせっかくのハーレムだけど、惜しくはなかった。次もまた同じようなものを作ればいいんだから。

 

 そんなわけで最初のうちはひたすら魔王を倒し、ハーレム作りに没頭した。

 最強チートで敵なしとはいえ、死なないわけじゃねぇ。だから、中には何度も死亡と復活を繰り返し苦労して世界を救ったこともあったけれど、まぁそれでも楽しかったな。

 

 とはいえ、それが何十回、何百回も繰り返してくるとさすがに飽きてくる。

 そこで次に俺が目指したのが、魔王討伐はその世界の住人に任せて、自分はのんびり好きなことをするスローライフプレイだ。

 勿論それでも世界を救わなきゃいけないから、たまに手伝ってやったり、強力なアイテムを作ってやる必要がある。一つ一つの世界を救うのに膨大な時間がかかったものの、そのなかなか上手く行かないのが楽しくて、やっぱりこれも何百回も繰り返した。

 

 ただ、幾つもの世界を渡り歩き、何万年も生きているうちに、無性に人が恋しくなった。

 だってな、どんなに深い仲になっても、世界を渡り歩く時はひとりぼっちなんだぜ。

 最初の世界で童貞を捧げた魔法使いの女の子。やけに気の合った盗賊の兄ちゃん。会ってもう一度抱きたい、一緒に酒を飲んでバカ騒ぎしたい。中には子供を作った世界もあったから、息子や娘たちがあれからどう成長したのかも気になった。

 

 そして思いだしたんだ。

 こんな人生を送る前の世界にいた親父やおふくろ、妹や数少ない友達のことを。

 

 だから女神に直談判してやった。

 もう十分だろ。どれだけ世界を救ってやったと思ってるんだ。そろそろ俺を元の世界に返してくれって。

 だけど女神は笑って言った。

 

「無理無理、どれだけ世界があると思ってんの? そんなの砂漠の中から一粒の砂を探し当てるようなものだよ。出来るわけないじゃん、神様じゃあるまいし」


 いや、あんた神様だろと突っ込んでやったが、どうやら神様の世界にも神格ランクってものがあるらしい。

 そして異世界転生者を管轄する女神は、察するにかなり下っ端の存在らしかった。

 ならばとさらに上の神様へのお目通りを願ったが、女神とて唯一の連絡方法が二拝二拍手一拝からの神頼み(しかも返信どころか届いたかどうかも分からない)しかないというから、どうすることも出来なかった。

 

 想い出ってのは厄介なもんだ。

 忘れている時はなんてことないのに、一度思い出すと頭からこびりついて離れない。

 会いたい。でも会えない。やる気の代わりに、溜息ばかりが出た。異世界の平和? そんなの、どうだっていいだろ。それよりも俺の平和は一体どこにあるんだよ? 俺の心の安らぎはいつ訪れるんだよ?

 

 死にたい。

 そう思うのに時間はさほどかからなかったよ。

 異世界での死は無意味だ。すぐ蘇る。

 そうじゃなくて、もう異世界を救うなんて空しい仕事から解放されたかった。叶わない願望に苦しめられるのなら、いっそのこと何もかも終わりにしたかった。

 

 だからそこからの数万年は、どうやったら死ねるのか、その方法をひたすら探し回ったよ。

 異世界を渡る度に、その世界で手に入る最強の呪いだとかを調べてさ。

 時には魔王にわざと呪いをかけられたこともあったな。一瞬で解呪ディスペル出来ちゃって、お前ふざけてんのってなったけど。

 

 そんな俺に最初は呆れていた女神も、やがて物珍しさからか協力的になってきた。

 この異世界は難易度が高いから、もしかしたら死ねるかもしれないよ、とか。

 今日は死ぬにはいい日だよ、とか。

 まぁ、暇潰しのお遊びだったんだと思う。

 

 そんなもんだから「今度の世界ではひとりの少年を救って。それで君は死ねるから」なんて言われても、またからかってやがるんだなと思った。


「おう、そうか。長い間世話になったな。んじゃ死んでくるわ」


 そんな軽口を叩いて、いつものように女神の力で次の異世界へと転送される。

 だけど、転送が終わって息を吸った瞬間、それが冗談でもなんでもないことに気が付いた。

 

 いや、酷い。まったくもって、なんて酷い空気だ。モンスターが巻き散らす瘴気をコトコト煮詰めたような臭いがしやがる。

 だけど、その臭いが充満する世界を俺は知っていた。

 夜なのに昼のように光り輝くネオンに照らされた街を。

 疲れ切った人間たちを詰め込んで走る鉄の棺桶を。

 悪と正義が渾然一体となって、もはや何が悪で何が正義なのか誰も分からなくなったその世界を。

 そして――。

 

 その世界の片隅で押しつぶされそうになっている弱々しい背中の少年を、俺はよく知っていた!

 

 帰ってきたんだ、俺の世界に!

 しかも、あの夜に!


 その夜のことを俺はよく覚えている。

 ガキだった俺はこれから歩道橋から飛び降りて、トラックに轢かれて死ぬ。自殺だった。

 女神が助けろと言ったのは、きっとこのガキの俺のことなんだろう。

 ここで自殺を考え直させば未来が変わって、俺は存在しなくなる。つまり死ぬことが出来るんだ!

 

 でも、ようやく帰ってこれたんだ、死ななくてもよくね?

 あの頃の弱かった俺と違う。今の俺は多くの世界を経験してきた。ここでも上手くやれる自信が今の俺にはある。ガキの俺には死んでもらって、代わりに俺がこっちの世界で生きたらいいじゃねぇか。それが何十万年も生かされてきた俺へのご褒美であり、これから死ぬガキの俺は何十年も生きて罪を報いたらいい。

 

 見れば見覚えのあるトラックが眼下に近づいてきた。

 ガキの俺が手すりに足をかける。この世の見納めのつもりか、不意に顔をこちらに向けた。

 

「って、俺のバカ野郎!!」


 思わず叫んで、ガキの俺に向かって走り出した。

 何故戻ってきた? 何故戻ってこれた?

 全てはこの時、この過ちを正す為じゃねーかっ!

 何のために何十万年も生かされてきたんだよっ!?

 限りある命の大切さを、泣いて死のうとしているガキの俺に教えるためじゃねーかっ!

 

「脚部術式解放! 時よ、飛び去れ!」


 ガキの俺が宙へと躍り出た。

 その体を空中でキャッチし、すかさずそらを蹴り上げ、元いた歩道橋へと舞い戻る。

 この一瞬の顛末をドライバーが見たのか、見ていないのかは分からない。ただ、橋の下をトラックが何事もなく通り過ぎて行った。


「え? 一体何が……」


 胸の中でガキの俺が何が起きたのか分からないとばかりに呻いた。

 

「そうか、この日の為に俺は生きてきたんだな」


 そんなガキの俺をよそに、俺は全てが分かったような気がして感極まり、独りごちる。


「へ?」

「あのな、俺はお前を助けるために、長い長い旅をしてきたんだ。だから死ぬな! 死を選ぶな! 死ぬ直前まで生きるんだ!」


 ああ、そうだ、生きろ、俺!

 生きて、生きて、生きて、そしてその時が来れば……。

 

「あ、あれ!? 一体どこへ!? いきなり消えたっ!?」


 驚く俺の声がどこか遠くから聞こえてくるような気がした。


 おわり。

 

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