金色の双眸

南木

金色の双眸

 ソファーにどっしりと腰を下ろした俺を、開きっぱなしのドアの陰から、真っ黒な物体が、金色の双眸でじっと見つめてきていた。

 その正体、この家に住む妖怪――――ではなく、飼い猫の『オイ』だ。


「オイ、そんなとこにいないで、こっちこーし」


 俺はソファーに座りながら、手招きしながらオイを呼んだが……

 奴はそのままUターンし、しっぽを振りながら廊下に消えていった。


「ちぇっ、久しぶりに会えたってのに、薄情な猫だな」

「はっはっはっ、1年も帰ってこないお前が悪いんだろ。あいつはお前のことを「知らない奴だ」と思ってるに違いないさ」


 そう言って、デスクでパソコンをいじる親父が鼻で笑った。



 大学生になって地元を離れ、首都圏で一人暮らしをしている俺は、春休みに入って間もないこの日に3日ほど帰省することにした。

 特に用事とかもあるわけじゃない。夏休みもお正月も帰ることなく、友達と過ごしてしまったから、なんとなくそろそろ実家に帰った方がいいかなと思った。ただそれだけ。


 実際に帰ってくると、懐かしいとすら思わないほど、普通に「家に帰ってきた」程度にしか思わなかったし、親父もお袋もあまりにも変わりなさ過ぎて、1年もあっていなかったという実感がわかなかった。

 そんな中で、唯一態度を変えたのが――――3年前から家で飼っているオイだった。


「なぁお袋、オイがあそこからじっとこっち見てるんだけど」

「あらオイちゃん、入るの? お兄ちゃんが怖いの?」


 夕食の時も、オイは扉のガラスの向こうからじっとこっちを見ているだけ。

 お袋が扉を開けても、入るのを躊躇した挙句、またしてもUターンして廊下に戻っていってしまった。


「むぅ、いくら長い間会っていなくて警戒してるとはいえ、あの態度はひでぇな」

「まああいつは昔から人見知りが激しい猫だからな。ま、そのうちお前のことも思い出すだろ」


 オイはもともと野良猫だったのだが、まだ生まれて間もないころに死に駆けの状態で親せきの家に迷い込んできた。親戚の家にはすでに飼い猫が4匹もいたから、これ以上は飼えない…………というわけで、お袋が引き取ってきた。そのせいか、どうも昔から人見知りが激しい。

 ちなみに、オイという名前も、家族でしっくりくる名前がどうも考え付かなかったので「おいお前」と言っていたのが、いつの間にか名前になってしまったからだ。ひどい話があったものである。


 次の日の朝も、家族と朝食をとるために自分の部屋からリビングに行こうとすると、階段を降りようとしたときに何かが階下でトタトタトタと猛スピードで降りていく音が聞こえた。

 どうやらオイが、俺が折りていく気配を感じ取って、階段を上る途中でUターンしていったようだ。


「徹底してんな、あいつも」


 昨日はあれだけ避けられてちょっと寂しかったが、今日はもうすっかり慣れた。

 あの意外と触り心地のいい毛並みと肉球を触れないのはやや残念だが、仕方ない。


 三連休の中日、特にどこに行くという事もなく、一日中家にいて親父やお袋とだべったり、テレビを見たり、自分の部屋に置いてきた漫画を読んだりして過ごす。

 オイは相変わらず警戒心を抱いているが…………


「ん? どうした? これが食いたいのか?」


 一日中家にいたせいか、オイも俺に慣れてきたらしい。

 夕飯に親父とお袋とともに一杯飲んでいたら、カマンベールチーズを食べようとする俺に、鼻をスンスン鳴らしながら近づいてきやがった。

 俺は昔から乳製品が大好きだったが、それはこいつも同じだ。


「ほーれ、ほれ。食うのか? 食わないのか?」


 まだ警戒しているのか、ぎりぎりまで近づいてこないオイの前で、俺はチーズの欠片をぐーるぐると円を描くように動かす。

 すると、ようやく観念したのか、オイは俺の手のひらのチーズを舌でと舌でなめとり始めた。


「ははっ、ようやく思い出してくれたのか。帰る前に思い出してくれてよかったぜ」


 少し酔っぱらっていた俺は、右手にチーズをのせつつ、左手でオイの背中を撫でた。オイは一瞬ビクっとすると、残っていたチーズの欠片を口に咥えて、またそそくさとUターン。そのまま親父の背中へと隠れた。


「どうしたオイちゃん、お兄ちゃんが怖いか?」

「へっへっへ、いい毛並みだったぜ、さんよぉ」


 三下のようなセリフを言う俺を、オイは相変わらずその金色の双眸で、じっと見つめていた。



 そして三日目――――

 お昼過ぎの電車で帰る予定の俺は、最後に荷物の忘れ物がないか、ボストンバックをチェックしていた。

 すると……昨日までは遠くからじっと見ていただけだったオイが、何を思ったかトタトタと俺の足元までやってきた。


「お? どうした? 反抗期はもう終わりか?」


 相変わらず「にゃあ」とも鳴かないオイだったが、荷物のつまった俺のボストンバックに体をすりすると擦り付け始める。

 恐る恐る背中を撫でてみても、昨日のようにUターンしたりせず、ひたすらされるまま。


「………………そうだな。次はお前が忘れないうちに、帰ってくるとしようか」


 せっかくネコと和解したというのに、別れの時間はすぐにやってくる。


 昼飯を食ってすぐに、俺はボストンバックを抱えて玄関の扉を開いた。


「いってきます」

「いってらっしゃーい」

「気を付けていってこいよ」


 また東京に帰っていく俺を、親父もお袋も玄関まで見送りに来なかった。

 それがまたウチらしいといおうか、やっぱり学校に行ってすぐに帰ってくる程度にしか感じられない。


 けれども…………

 リビングに続く廊下の陰から、真っ黒の身体に金の双眸が、扉を閉めるまで俺のことをじっと見ていた。


 約束は守れよ――――――といいたげに

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金色の双眸 南木 @sanbousoutyou-ju88

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