足かせの男

真野てん

第1話 足かせの男


 真夏。

 中天へと差し掛かった太陽が大地をジリジリと熱し、ゆらゆらと立ち上る陽炎に茫漠とした風景が歪んでいるという厳しい暑さの、そのさなか。


 ひとりの男が荒野にまっすぐと伸びる一本道の路傍にて、いま新たなる一穴を大地にうがとうとしていた。


 自慢の筋肉から繰り出される鋼鉄のツルハシ。

 額からほとばしる大量の汗が、乾いた地表へと染み渡り、あっという間に消えていく。


 男の足元には「Uターン禁止」と書かれた標識。

 それから彼自身の足首へとつながれている巨大な鉄の玉が、雑然と、そして無慈悲な横顔をして横たわっている。


 彼は囚人であった。

 かつて正義の名のもとに戦い、多くの血を流した。

 戦争が終わり、国の主が変わって、敗戦国の英雄である彼は大罪人として裁かれたのである。


 それからというもの、こうして道路標識の敷設に尽くす日々である。

 もう何年が経っただろうか。

 誰も使わない。

 この命の枯れた荒涼とした大地の道のうえで――。


「ねえ。おじちゃん」


 あるとき、男はふいに声を掛けられた。

 小さな少年とも少女ともつかぬ子どもの声である。


 幻聴かと思った。

 過酷で孤独な刑執行の労働に、ついに異常をきたしたのかと。


「おじちゃんってば」


 やはり声がする。

 男が意を決して振り返ってみると、そこには彼の膝くらいの背丈をした子どもがぽつんと立っていた。

 麻で編まれたぞんざいな衣服を身にまとい、垢でかたまった髪の毛が野放図に伸びている。


 男が振り向いたのに機嫌をよくした子どもは、二カっと前歯の抜けた笑顔を見せつけた。

 数年ぶりに見る他人の笑顔。

 それも満面の笑みだ。


 男は自分が囚人であることもいっとき忘れ、つられて頬をほころばせた。


「やあ」


「おじちゃんは何をしているの」


「……標識を立てているのさ」


「標識?」


 子どもは分かりかねる、といった風に首を傾げた。

 男はむかし森で見たフクロウを思い出した。


「坊主……ひとりかい。おまえこそこんなところで何をしているんだい」


 すると子どもは「そんなことより」といって、彼らの足元に転がっている「Uターン禁止」の標識を指さし「これなんて書いてるの」と聞いてきた。


 男は釈然としないながらも「それはな」と答えてやった。


「それはな。Uターン禁止といって、来た道を戻ってきてはいけないという意味さ。戻るためには違う道を探さなくてはいけない」


「でもここにはそんな道ないよ。この道一本だけだよ」


「……そうだね。おまえは頭がいいね。だけどそう決まっているのさ」


「誰が決めたの?」


「この国の王さまだよ。王さまの言うことは絶対なんだ」


 子どもはまたフクロウのしぐさをして一呼吸置くと「おかしいよ」と言った。


「おかしいよ、それ。自分が進む道を王さまが勝手に決めてしまうなんて」


「……坊主」


「このままおじちゃんは、誰も来ないこの道の先をずっと進んでいくの? 自分じゃなく王さまの命令で」


「おまえ……なにを……」


「引き返せないの? おじちゃんには待っているひとがいるのに」


「え……」


 そのとき後ろから風が吹いた。

 砂塵を巻き上げ、男から視界を奪っていく。


 自由――。

 きみにはその権利がある。もうひとりで苦しむのはおよし――。


 風がやみ、ふと天を見上げると、蒼穹を舞う一匹のフクロウを目にした。

 あの子どもはもういない。

 いったい何者だったというのか――。


 男はしばらく茫然としていたが、やがて自らの足かせをツルハシで破ると、何年にもわたって歩いてきた不毛の大地を引き返していった。

 一歩、また一歩と。


 その先には、謀反という確実なる「死」が待っている。

 だがそれ以上に、男は取り戻した「自由」に打ち震えているのだった――。







「と、いうわけでね。おまわりさん。おれもこの男のように自由を選んだわけですよ!」


「はい。御託はいいから早く免許証見せてねー」


「ハイ……」



 都内某所。

 深夜。

 ファミレス前交差点にて――。

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足かせの男 真野てん @heberex

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