忘却の村、灰色の荒野

はやしはかせ

忘れ去られた小さな村の物語

 帝国領に忘れられた村がある。

 領土を広げすぎてその存在を忘れ、税金も徴収していない有様だった。

 

 村は貧しかった。

 ここら一帯で起きた魔王国との戦いで土が死んでしまって、育つ作物といえば豆くらいしかない。

 若い男たちは生きていくために異国で出稼ぎをして食料を買い集めていく。

 中にはそれっきり帰ってこない奴もいた。

 出稼ぎに出ると半年は帰ってこない。

 

 村には老人ばかり。

 

 それでもこの村が死に絶えることなく、細々と生き残っているのは、時たま、ワケありの連中が流れ着いてくるからだ。

 つい最近だと、器量の良い娘が弱った体を引きずりながら流れ着いた。

 村は一切の詮索をせず娘を受け入れた。

 やがて娘は若い男と恋仲になり、今は身重になった。

 去る者を追わず、来るものを拒まず、そうやって村は生き延びてきた。

 

 ある日のこと、剣を背負った一人の戦士がやってきた。

 屈強で、笑顔の絶えない陽気な男だった。

 

 男は農業について学びたいと言った。

 今や帝国は魔法に頼りきりで、野菜を収穫する知識すら失ってしまった。

 しかしこの村は死んだ大地の上で自力で生き延びている。

 だからこそここで多くを学び、帝国の農業政策に活かしたいという。

 

 珍しい奴もいるもんだと村人達は思った。

 逆Uターン転職というやつだろうか。

 どちらにしろ男手が増えるのは良い。

 村は男を受け入れた。


 男はよく働いた。

 村中の土を耕し、傷んだ家々を修復した。

 よく学び、よく笑った。

 皆がこの男を好きになった。


 しかし例の娘だけは、まるで熊に出くわしたように男から逃げた。

 しまいには娘の夫や、その両親までもが男と距離を置くようになった。

 男は戸惑った。なぜ彼らが自分を邪険にするのかわからない。


 彼らの険悪な空気は村中の知るところとなり、困った若き村長は男と話し合うことにした。


「娘はあなたが帝国の兵士ではないかと恐れています」


 男は岩のように動かない。


「知っての通り帝国の兵士は酷いことをする。あの娘のように綺麗な女には特に」


「その通りです。私は確かに帝国軍の兵士でした」


 男は絞り出すように声を出した。


「私は逃げたのです。腐った連中から自分の魂を守るために。私はあなた達に危害を加えるつもりは一切ありません!」


 男は力強い眼差しで村長に訴えた。

 村長はこの男に試されているような気がして、しばらくの間、考えた。

 

「あなたを信じましょう。しかし娘が脅えてしまうことを仕方の無いことと認めてください。いつか時が流れて、あなたに対する誤解が消えるまで」


 男はそれを受け入れた。

 村長は起きたことをすべて村人に伝え、村人もそれを良しとした。

 しかし村長は娘を見続けることにした。

 娘がまだ隠し事をしていると感じていたからである。


 時が経ち、娘の腹がだいぶ大きくなると、娘は家に閉じこもるようになった。

 その間も男は熱心に働き、耕した大地に様々な種を蒔いていた。


 山の向こうからひやりとした風が定期的に運ばれてくるようになったある日。

 

 事件が起きた。

 

 もうすぐ実りを迎えるはずだった作物が枯れていた。

 まるで生気を吸われたかのようにしおれ、色を失っている。

 

 嘆く村人に男は言った。

「魔法がこの地の生命を奪っていったのです」


 すると村長は雷に打たれたかのように娘の家に入った。


「あなたは何をしたのですか。答えてください」


 すると娘は大いに泣いた。地面に額をつけ何度も命乞いをした。

 その家には彼女の義理の親しかいなかった。

 夫は異国の地で働いていたからである。


「どうかお許しください。娘は私の体を癒やしたのです」


 村長は老父の手を取り、優しく言った。


「恐れることなくすべてを話してください」


「昨夜、風が家の屋根に穴を開けました。知っての通り、私どもは戦士さまの援助を断っておりました。娘は子を宿しております。娘の体を守るために私は屋根に登ったのですが、風に体を持っていかれ、落ちて激しく身を打ちました。私は死んだも同然でした。しかし娘は癒やしの魔法を身に宿しておりました」


「癒やしの魔法!」

 男が声を上げた。


「遙か昔に癒やしを行う民は絶えたと聞いていましたが」


 しかし帝国領にある樹海に癒やしの民は隠れていた。

 帝国は彼らを見つけ出し、その力を利用しようとすべての民を奴隷とした。


「我が娘よ、腕を見せなさい」


 娘が上着の袖をまくると、その肘から肩に至るまでが、石膏のように白く石化していた。


「なんだこれは!」

 恐れと驚きのあまり、男は後ずさりした。


「これが癒やしの術の副作用なのです」

 老父は言う。


「癒やしの術とはこの地の生命を吸い取り人に分け与えること。術者とはその媒介となるもの。吸い取った生命が術者の体を流れるときその身は石となる」


 癒やしの術を使うことなく時を過ごせば少しずつその体は戻っていく。

 しかし一度に何度も使えば、やがて全身が石と化し、人でなくなる。

 

 帝国軍は術者を「石」と呼び、鎖で繋いで戦場に連れて行った。

 そして負傷した兵を癒やすよう強制した。

 術者が石になると、その場で捨てて、また別の術者を引っ張り出した。

 そんな死のサイクルに娘はいた。

 

 魔王軍の奇襲が娘を救った。

 混乱状態になった陣の中、娘は鎖を切って逃げ出し、この村に流れ着いた。

 

 娘は夫に自らの境遇を伝え、夫達はそれを受け入れた。

 彼らが男を恐れたのは、帝国軍の追っ手だと勘違いしたからだ。


 その話を聞いた男は大いに恐れた。


「作物を枯らすほどの魔法が使われたのです。帝国軍も魔法の発動を察しているに違いない。奴らは娘を取り戻しに来る」


 そして男は自分の小屋に戻って剣を取った。


「あなた達は逃げてください。私が時間を稼ぎます」


 しかし村長は男を死なせるわけにはいかないと申し出を拒否した。

 村人達もここを出て行こうとはしなかった。


「では、どうするのです。娘を彼らに差し出すのですか」

 

 憤る男に村長は答えた。


「誰も差し出したりはしません。この村はどういうわけか、あなたや娘のようなワケありの者が訪れます。それが地理的なものなのか神の思し召しなのかわかりませんが、迷い、傷ついてここを訪れた者を見捨てるな。それがこの村の掟です。私達は掟を守り続けます」


 そして村長は男を連れ、枯れ果てた井戸の中に入っていった。

 そこには大きな石で閉ざされた洞穴があって、男はその怪力で難なく石を除けて、穴の中に入った。

 そこには古びた本があった。魔術書であった。

 村長は古い言い伝えを男に説明する。


「災厄を呼ぶとして燃やされる寸前だった呪いの子供をご先祖が拾って育てた記録があります。その子が歩けるようになった時、魔術師が来て子を連れて行った。そして何か困ったことがあったらこの本を使うようにと……」


 そして、村長は外に出て魔術書に書かれた文を読み始めた。

 帝国では使われたことのない言葉であった。


 やがて帝国軍が逃げた「石」を取り戻そうと村に進軍した。

 ちっぽけな村一つを相手にするには多すぎるほどの兵士がいた。


 しかし彼らは目が見えない者のようになり、村を探し当てることは出来なかった。

 兵士達は三日三晩、村の周りをぐるぐる回り続けたが、やがて激しい疲れを覚えるようになり、


「ここには何もない」

 と村から離れていった。


 こうして村は一滴も血を流すことなく帝国から逃れた。

 彼らは自分たちの無事を喜び合った。

 娘と家族は男に詫びた。

 男は笑ってそれを受け止めた。


 しかし次の日に男の姿はなかった。


 灰色の広大な荒野を男は一人歩いていた。

 無造作に転がっている真っ白な石を見つけると、男は石に手を触れ、祈りを捧げた。

 

「王様、故郷はいかがでしたか?」

 

 女が男の背後に現れた。

 赤い肌をして、背中には黒い翼が生えている。

 男は女に気がつくと、ニコッと笑った。

 すると、男の肌は紫に変色し、女と同じように黒い翼も背中から生えてきた。


「人は寿命が短いからな。顔見知りは全員死んでいたよ。ただ、それ以外はまったく変わっていなかった……」


 女は満足そうに頷いた。


「それはようございました。ということは?」

「計画は予定通りに行う」

 

 そこまで言うと男は頭をかきむしった。


「それにしてもあのクソ親父。俺に黙ってあんな魔術書を置いていたとは」

 

 荒い口調とは裏腹に、男は笑っていた。


「いずれにしろ、この村に学ぶことは多いぞ。この大陸の土はいったん死んでしまう。彼らの技術はまだまだ見るべき物がある」


「わかりました。準備を急ぎましょう」

 

 飛び上がろうとする女を男は呼び止めた。


「なあ、癒やしの術って聞いたことがあるか」


 きょとんとした顔で首をかしげる女。


「はて……ずいぶん前に廃れた魔法だと聞いております。もしそれを使うことが出来れば戦争もここまでこじれなかったでしょうね」

「そうか……そうだろうな……」


 男はそう言って白い石をもう一度見た。


「では魔王さま。私は先に行きます。忙しいので」

「ああ、行ってくれ。俺もすぐ後を追う」

 

 一人残った魔王は思い出していた。

 あの娘の石化した肌を見たときの自分を。

 恐れ、戸惑い、女から離れようとした自分を。


「平等だ、自由だなどと口に出しておきながら、自分はどうだ。慎まねばならん。学ばねばならん」


 そして村がある方を見た。


「そうですよね……」


 さて、魔王軍と帝国軍の戦いはある日を境に魔王軍の大勝利に終わった。

 空から火の雨が七日間降り続け、帝国領を燃やし尽くしたからである。


 生き延びた者はごくわずかであったが、あの小さな村は全員が無事だった。

 村を留守にしていた男たちが、変な夢を見たと一斉に帰郷し、あの男が育てていた木がとてつもなく大きくなって、傘のように火の雨を防いだからである。

 それでも村人達は焼けただれた自分たちの土地を見て嘆いた。

 しかし、この世界から帝国が消えて無くなったとわかると、どちらかと言えば安堵を覚えたらしい。


 村を出て行った男はもう帰ってこないように思われたが、たまにふらっとやって来て、

「やはり、ここが一番落ち着く」

 と言っては、子供らと一緒に土を耕したそうである。









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忘却の村、灰色の荒野 はやしはかせ @hayashihakase

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