浄土のたそがれ

柳なつき

浄土、殲滅

「人類は、Uターンだってよ」

「そんな……」



 なんてことない文化部の部室に、足を踏み入れた瞬間。

 先輩――桃知ももち黄金こがねが言った言葉に、後輩――上原かみはら久留美くるみは、手にしていた本をばさりと落とした。


 社長机みたいな部長の机に座る、黄金。

 まっすぐで黒く、一分の隙もない長髪は、夕暮れの色に溶け合っていた。



 この部活。

 部員は、黄金と久留美の、たったふたりきりだ。

 元は物置として使われていたこの部室は、本棚にいつの時代のものとも知れない本が散乱し、オールドすぎるテレビやらラジオやらが散乱し、電波も届かない。



「どうして、いきなり母星側からUターン命令? この惑星はいい惑星なのに」

「ほんとうです。みんな、この惑星を求めてきたのに」

「みんな蜜もおいしいって言ってたのにさ」

「特産品だって、みんなはしゃいでましたよね」


 黄金と久留美は、未知のフロンティアを求めてこの惑星にやってきた、少年少女宇宙探索隊のメンバーだった。

 宇宙のフロンティア探索において、Uターンとは当然、失敗のことである――人類はその惑星に根づくことはできず、母星、地球に帰っていくのである。



 窓の外では、蜂蜜色の夕暮れがてろてろとしている。



 この惑星の特徴のひとつは、空気の粘度が高いことだ。空気というのは普通、粘りけをもたないはずだが、広い宇宙のなかではまれにそういうこともある、らしい。


 するとどうなるかというと、たとえば夕暮れどきには紅色くれないいろをスポイトで練ったあつあつの飴に垂らして、かきまぜたみたいになる。

 夕暮れは空気じゅうに溶けて、あわさって、でも溶けきることはない。夕暮れのかけらはあちこちに浮遊して、万華鏡のように惑星全体を遊びまわる――。



「……空気の粘度が、増えすぎたからなのでしょうか」

「ああ。たしかにね。最近ね。すごかったもんね」

「窒息したり、機械が壊れたり。おいたわしい……」


 先輩は憂鬱そうにため息をついて、後輩は悲しそうにくしゅりと鼻を鳴らした。



 久留美は。

 本を抱えたまま、朽ち果てたようなソファではなく、もう骨しか残っていないようなパイプ椅子ではなく、そのまままっすぐに歩いて、部屋の奥まで歩いて、黄金の――膝の上に、座った。


 そのまま、先輩の首に腕をまわして、甘える。黄金はしょうがないなと言って深くため息をついたが、それでも久留美の頭を撫でてくれた――いつも通りに。


「先輩、でも、久留美はいいです。さみしいけれど、先輩がいてくれるから」

「この星にひとが住めなくなってしまっても、か。私たちが、ずっとさみしい思いをしても、か」

「久留美は……先輩がいてくれて、よかったです」


 そうか、と黄金は苦笑した。

 ……だったら、と湿った吐息で言って、そのまま、久留美の首筋に、唇を押し当てた。




 この惑星では夕暮れはいつも、てろてろてろてろ、すべてを包む――すべてが、そのねばりけのある、あたたかい夕暮れに、包まれる。

 それを幸せだと感じるのは、罪だろうか――そう思いながら久留美はただただ、最愛の、いや、この広い宇宙で唯一、いっしょにいられる相手の、先輩の身体を体温を、感情を、むさぼった。



 久留美の、そして、黄金の。

 彼女たちの身体のねばつきが、心のねばつきが、この夕暮れの粘り気をいっそう強力にしていくかのようだった――。




 そんなてろてろの、蜂蜜色をした小さな惑星を、じっと見つめている人間たちがいた。

 第二浄土対策隊だいにじょうどたいさくたいの、宇宙船内――。


「駄目です隊長、強すぎます!」


 第二浄土探索隊の隊長、マリカは、後輩隊員の悲鳴にも似た懇願に舌打ちして、代わって、と言うと彼の返事も待たずに望遠兵器ぼうえんへいきを奪い取った。


 望遠鏡部分を覗き込むと、たしかにあの学校の校舎型をした部室の一室に、浄土人じょうどじん――桃知黄金と上原久留美、あるいは、……そのなれの果てが、たったふたりきりの世界で愛し合っている。


 そのたび、空気の粘度が強くなることが確認された。感情呼応タイプか。自覚しているのか、無意識か。どちらにしても、厄介だ。



「さすが、何百人もあっというまに殺してくれただけあるわ」



 通報が、なんどもなんどもあった。



 新たなる商売のために宇宙開拓をしていた宇宙船が、あるとき。

 てろてろの、蜂蜜色をした小さな惑星を見つけた。新種の蜜でも採れればと期待して降り立ち、最初はいい。温暖で、過ごしやすい惑星だ。

 そこで採れる蜜は甘く、じっさい高く売れる。


 しかし。

 その惑星では、ひとびとがばたばたと死んでいく。ある者は窒息して、ある者はライフラインのマシンの故障で。


 惑星には浄土人が発生しているとわかったのは、ごく最近の調査によって。

 そして、今日。ようやく対策隊が、殲滅の任務に取りかかれた――。



 あの惑星は滅ぼさなければいけない。粘度も行き過ぎれば兵器並みの危険なのだから。



 ただ浄土人というのはその性質上、簡単にどうこうできる相手ではない。人間では、ないのだから。人間相手なら――そう思って望遠鏡を覗き込み続けていたマリカは、はっと思いついた。すぐに顔を離し、指示を出す。



「ミサイルの準備っ。あたしのいまから言うとおりにつくってっ」


 隊員たちは、忙しなくミサイル発射準備をはじめた。



 そのあいだマリカはずっと。

 望遠鏡部分で、一見人間の少女にしか見えないふたりが椅子の上で座って、人間の若者たちがそうであるように、ぎこちなく、でもむさぼるように愛し合うのを見ていたが――ふいにぱっと顔を離すと、頭をかきむしった。



「まったく、恨むよ、宇宙を解明してしまったひと」




 宇宙は最後のフロンティア、とうたわれていた時代はもうとっくにはるかむかし。

 人間たちが嬉々として宇宙に飛び出し、あちこちに文化や生活を築きあげたのも、もう、だいぶむかしのこと。


 宇宙に暮らす、ということが、普通になってきたころ。

 人間たちは、宇宙の研究にようやく本腰を入れることが可能になった。


 だから。宇宙の研究は、ここ百年くらいで飛躍的に進んだ――そして約五十年前のあの発見が、宇宙を、人間世界を、価値観を、破壊的に変えてしまった。……それはまるで宇宙人類史で中世とされる二千年前後において出現した核兵器が、当時の人間たちのそういったものを、がらりと変えたかのように。



 結論からいうと。

 死後の世界は、あったのだ。

 実在したのだ――ひとの死ぬ瞬間というのは、ひとの精神が物理的制約から解放される一瞬。

 その瞬間ひとは宇宙のネットワークに組み込まれ、電流のごとく、移動する。

 物理的な移動だ。そうして精神のかたちが変質する――。



 満たされて亡くなった人間は、精神のかたちが歪むことはないが、そうでない人間は――一定の条件を満たした惑星で、ふたたび人間のかたちをとる。


 ただし、まったくもって人間のときのままというわけでは、ない。なにか特殊な能力をもっていたり、感情や倫理観が人間だったころのそれとは逸脱してしまったり、している。


 そういう存在を浄土人と呼ぶ。そういう存在をつくれてしまった惑星のことを、浄土、と呼ぶようになった。



 人間ととても似ていて、でも、決定的に異なる――異質となってしまった、存在たち。




「……あの浄土人たちは、百年以上も前の、事故死した、少年少女宇宙探索プロジェクトの、メンバーふたり。なぜかあの惑星に居ついてしまった」



 浄土人がいれば、そこは浄土扱いとなってしまう――。



 自身に確認するため、マリカはそうつぶやいて。

 そのあと、手元の資料に目を落とす。……その名前を見て、顔を歪めた。



「名前が、漢字」



 いまどき、名前を漢字でつけたりなんかしない。それは宇宙グローバルの原理に反するから。……つまり宇宙のルールさえろくに決まってなかったころの、少女たち。

 そんな曖昧な混乱する時代に、宇宙船とともに果てたとされていた、あの少女ふたりは――ああやってずっと、戯れあって、慈しみあって、生きてきたのだろうか。

 もう一世紀以上もの時を、ずっと。




「……はぁ」


 ひととおり愛し合って、久留美は満足した。

 黄金は、外を見ていた。もう暮れきってしまった空。いつも思うが、この窓からは星がほんとうによく見える。


 ひときわ輝く星を見つけた。流れ星のようだが、どんどんこちらに向かってきている。


 黄金は久留美を促して、そっと立たせた。となりどうし、肩を寄せ合う。こうやってずっと生きてきた。こうやってずっとふたりで生きてきた。



 黄金は、ゆっくりその星を指さした。

 そして目を細めて、その星がなんであるかを確認した。

 まっすぐに、後輩の顔を見る。



「あれに、乗っていこう」


 久留美は驚いた顔で黄金を見た。


「星に乗る?」

「よく見て、久留美。……宇宙船だよ。ほら、みんながいるでしょう」



 久留美は、星――いやその宇宙船に、視線を向けた。そこにはたしかに、……懐かしいとても懐かしい、家族や、友達や、仲間たちのすがたが、あった。


 ……久留美の表情が、驚きから困惑、そして、歓びに変わっていった。



「……みんな。生きていてくれたんですね。わたしたちのことも覚えていてくれたんですね!」

「いつか、こんな日がくると思ってた」



 ふたりは、手をつないだ。



「私と久留美は、ずっといっしょだよ」

「そうですよね、黄金先輩」

「ずっといっしょだ……」


 手をつないだまま、その宇宙船の到来を待った。

 ずっと、ずっと。いつまでも。やがて轟音がして彼らが彼女たちを迎えにくる。

 この惑星の黄昏すべてを合わせても足りないほどの眩しい光で――。




 星を、殲滅した瞬間。

 マリカは思わず操縦棒にすがりつくように頭を押し当てて、うなだれた。


 あの浄土人たちには、ミサイルが宇宙船に見えただろう。

 それも仲間たちの乗った、お迎えの宇宙船に。

 だったら彼らは避けないはずだと踏んだ。

 ……資料から、彼らの仲間をホログラムで再現することなど、簡単だった。



「……嫌だな、浄土殲滅だなんて任務は、ほんとうに」




 蜂蜜色の惑星は、爆発して――宇宙のもくずと消えていった。

 最後の最後まで、黄昏色に輝いて。

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浄土のたそがれ 柳なつき @natsuki0710

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