星祭り

秋色

第1話

 その夜は藍色の空一面に星が輝いていて、冬の空が澄んでいるってこういう事なのかって考えながら空を見上げていたんだ。とにかくそれは憶えている。駅に続く舗道を歩きながら空一面の星を見上げていたのは。ただその夜どうやってそこまで行ったとか聞かれると、よく憶えてはいない。いやどうせいつもの事なんだ。遅くまで仕事を続け、疲れ切った身体でどうにか終電に間に合うように駅に向かう…。

 海に面した地方都市の夜十時過ぎなんて、駅前を除けば大通りも閑散としている。だから突然舗道の前方に暖色系の灯りが見えた時にはハッとしたよ。近付くにつれ、それはお祭りの屋台のようなものだって分かってきた。でも何せ夜の十時過ぎだし、第一、冬のさなかだよ。

 ただ近付くに連れて見えてくる風景は、不気味なんて感じはこれっぽっちもなく、ほのぼのと明るく楽しげな感じの灯りなんだ。だからオレは歩いているうち、それに近付くのが楽しみになってきたくらいだ。

 いよいよ近付くとその屋台にいるのは何と子どもたちだった。こんな夜遅くに、不思議に思いながらも冬のさなかにもお祭りみたいな行事があるんだろうな、と一人で納得していた。実家のある田舎では 夏祭りの日には子ども達も遅くまで大人と往来にいた。

そしてさらに近付いた時、それは知っている子達だという事に気が付いた。

知っているどころじゃない。名前をフルネームで言えた。生田光輝、遠野晃にその弟の幸広。白石京花、今田葵人に三上翔。

 なぜならその子らの度々入院する病棟がオレの職場だったから。



 前年の春から研修医としてこの地方都市の医療センターの小児難病科に来たオレにとって、その子らの一人一人の名前は研究と激務のアイコンだった。ここはかなり重い症例の子達ばかりで、ほぼ生まれた時から病気と共に生きているような生活だ。

 かと言ってそれを気にかけてあげる余裕もない数ヶ月間のオレだった。

それより前にいた総合病院の血液内科はまだラクだった。ここでの勤務ですっかり疲れ果て、患者の子ども達より自分の方がガリガリにやせたくらいだ。

 診察の度に口癖のように言う「十分に休養して」は、自分自身に向けて言っているようなものだった。

 突然目の前に現れた子ども達は、いつもよりはるかに元気そうで、でも子ども達だけでこんな夜更けに屋台の前にいるという事がアリなのか合点がいかなかった。いつものようにマスクをつけたままだし。白石京花が十六才、三上翔は十七才でぎりぎり小児のカテゴリーだったから、彼らが引率しているんだろうけど。しかも良く見ると、店主はいない。と言うか、彼らが店主となって、まるで学園祭の生徒のように店番をしているのだった。

「わぁ先生、いらっしゃい。おいしいお菓子、いっぱいあるよ」そう言ったのは光輝だ。まん丸な顔は治療の後遺症だった。そう言えばオレは普段、この子の顔を見てなかった。この子のお母さんが息子の外見をいつも気にして帽子を目深に被せているから、見ちゃいけない気分になっていた。その夜星空の下で見る光輝の顔はお月様のようにキレイだった。

「こんぺいとうにかりんとうにキャンディはいかが? まるで星のようなこんぺいとうだよー」

 こんぺいとうを五つか六つ入れた袋が色ごとに仕切られ何十個もあった。まるで童話の世界だった。

「じゃ星のこんぺいとうをもらおうかな。光輝君、もう甘い物食べていいって金澤先生が言ったんだっけ?」

金澤先生は科長の先生だった。

「うん、そうだよ。それにもう帽子で顔を隠さなくていいんだって」

「それは良かった…。こんぺいとうはいくら?」

「先生、お金はいらん」

「本当に?」

その時、

「先生、魔法の王冠いる?これがあると強くなるんよ。敵から攻撃されてもケガなんかせんのよ」

と言ったのは遠野晃だった。晃と幸広は兄弟そろって先天性の凝固因子の欠乏で、血が止まりにくい。治療ができない時代は大変だった病気だ。

「魔法の王冠?」

「ん、これだよ」

 それは細長い風船を器用に丸めて王冠の形にしたものだった。晃と幸広はみんなに違う色の王冠を選んでは配っていた。京花にはピンク、光輝にはレモン色、葵人にはラベンダー、翔には青で、オレにはミントグリーンという風に。

 彼らの兄貴分が三上翔だ。同じ病気の先輩として、いつも兄貴風を吹かせていた。そしてオレはこいつが苦手だった。なぜかオレに対抗意識を持っていて、反発したがる。まるで北極の氷のような冷たい眼でいつもオレを見る。いつだったか、友達と一緒に病院の裏の駐車場にたむろしていたのをオレが科長に告げ口したのを恨みに思っているのかもしれない。この友達というのが禁止されている煙草を吸っていたのだからいけなかった。危うく病院から追い出されそうになったのを何とか逃れたのは、翔の治療をできる病院が近隣になくて、親から懇願されたからだった。なのに翔は悪びれもせず、病院に感謝もせず、オレの事を過保護なお坊っちゃまのようになぜか勘違いして馬鹿にしていた。オレが自分は実は体育会系だって事を再三訴えても聞こうとしない。いつか力の違いを見せつけてやったらどうなる? でも、それはあまりに大人げない。やつは病気なんだ。

 その夜、子ども達の屋台があるのは、運動公園のすぐ前だった。そしてすぐそこにはバスケットボールのコートがあった。

「先生、勝負しよ」

と翔が言った。

「いいけど。翔くん、バスケできるんだっけ?」

「できん事あると思う?」

横のかごに積まれたボールを手に取ると翔は素早くドリブルしてしなやかに体をくねらせ、シュートした。全ての動きが速くて、その素早さにオレは驚いた。何度挑戦しても同じだった。翔の細い身体は急流の魚のように動きが素早く、どこで練習したんだろうかとオレは不思議に思った。オレは心の中の白旗を上げ、負けを認めた。

「分かった、翔君はすごいよ」

 屋台に戻ると京花が風船の束を持て余していた。このコは妄想癖があった。それは光輝や幸広にも言える事だったし、病気の子どもに珍しい事ではなかった。

 最近は京花はもっぱら、自分がいつか牧場に行き、そこで結婚して丘の上の教会で結婚式をあげるという、恐ろしく乙女ちっくな妄想を持っていた。いつもなら遠慮したい所だが、今日は星空の下、夜風に吹かれ、京花の取り留めのない話を聞くのがなぜかいい気分だった。

「でね、近くにはヒマワリ畑があって、ブーケはローズマリーとラベンダーなんだよ。みんなにはアップルパイを配って…」

 その時、葵人が何か言いかけているのに気が付いた。このコはオレが病院に来てから声を聞いた事のない子だ。昔は話をしていたらしいけど、つらい化学療法が始まってから黙るようになったと金澤先生や師長さんから聞いていた。名前もだけど、まるで女の子のような少年だった。その時、葵人は京花の手に持っている風船を指差して「あっ」と声を上げた。京花が話に夢中になっている間に風船がするりと一つ指からすり抜けたのだ。そして今度は葵人の声に驚いた京花の手から一つ二つと風船が舞い上がっていった。気が付くと空に無数の色とりどりの風船が舞っていた。風に吹かれ、どんどん遠く、小さくなっていく色とりどりの風船。

 それがこの不思議な祭りの最後の記憶で、その後、ふっと目を開けると、そこは駅の階段の下で、オレは倒れ込んでいた。周りには心配そうに覗き込む人だかり。どうも階段を二、三段踏み外したか何だかで、転んで気を失っていたらしい。それでも大袈裟に救急車で運ばれて行き、搬送された先の病院(自分の勤務先でない)で聞かされた病名はなんと栄養失調と打撲症だった。二、三日点滴治療を受け、退院したオレが職場復帰した時、みんなのオレを見る眼は、憐れむようなものだった。

 ものすごく気になったのは、子ども達の事だった。あの夜の事はまるで夢のような出来事だった。現実かどうかも分からない。でもあまりにも普通でない雰囲気に、もし何か不吉な事の前触れだったらどうしようか考えていた。だから小児難病の病棟でいつもと変わらないあの子達に会った時には、ほっとしたと同時に何か拍子抜けした。

 オレは何だかうれしくて訳もわからず、みんなに話しかけていた。

「光輝、この間のお祭り、楽しかったよな?星のこんぺいとうとか、かりんとうとか。美味かったし」「晃、幸広、風船の魔法の王冠ありがとう。あれで強くなって、倒れてもすぐ回復したんだよ」「京花、またチャペルとかヒマワリ畑の事、聞かせてくれよな」

ちなみに今まで患者の事を「〜君」とか「〜さん」とか呼んでいて、呼び捨てにした事などなかった。そのせいか、みんなポカンとオレを見ていた。師長さんが「誰も外出なんてしてないけど」というのを科長の金澤先生が必死で止めていた。

 すると光輝が「うん、お祭り楽しかった。お菓子おいしかった。またやろうよ」と言い、幸弘もうなずいて「やろうよ、やろうよ」とその場でジャンプした。

「翔、おまえってすごいな。あんな身体能力あるなんて知らなかった」

翔はまぁまぁと諭すようにオレの話をやんわり遮った。でも眼は和らいでいて、北極の氷のようではなかった。師長さんは「病欠したと思ったら、コミュ障は治ったみたいやね」とオレを見て言っている。何か普通にオレはうれしくてはしゃいでいたけどイタい人間と思われていた事は確かだった。後で確認したけど、あの夜病棟で外出していた患者はいなかった。

 その日は葵人の化学療法のコースの最終日だった。いつも涙を目に溜め、黙っていく葵人だったが、その日はオレをじっと見て言った。

「ちりょうが終わったらまたお祭りの話して」

だから約束した。あの夜の祭りの事なら何度でも話すって。











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