最高のお祭り

あんどこいぢ

最高のお祭り

 大型のダッシュボードの上はデッドスペースになっていて、さらにその上に、緩やかな弧を描くメインモニターが展開している。コントラストを調整されたりゅうこつ座ほう面の星々は、さながら誇張されたプラネタリウムだ。

 見上げる人物がかけているシートも実にゆったりしたもので、いまは背凭れを倒され、カウチのような感じになっている。

 優雅な操舵室だ。

 その船長は女だった。スペースジャケットの締めつけを解かれたタンクトップの胸が体側に拡がり、呼吸に合わせ上下する腹部も多少ふっくらし過ぎている。下半身はパンティ一枚の放恣な姿だったが、その下へと延びる太腿はむちむちというよりぷよぷよで、脚全体もスラリといったイメージではない。とりあえず長さだけはそれなりのものだったが……。

「はふっ」

 吐息にもどこか肉の重みが感じられた。

 と唐突に、メゾソプラノの別の女の声が割って入った。

「本船の進行方向に他の船はありません」

 女はすぐに、ただし少々物憂気に応えた。

「別に訊いてない」

「ですが船長、この航路に入って以来ずっと、前部モニターを気にしてますよね? 単なるワッチなら私の役目です。船長はもっと楽にしててください」

「楽にはしてる。ビールとナッツ、持ってきて頂戴」

 暫時沈黙の支配。やがて彼女は痺れを切らし──。

「どうしたの?」

「あまりお勧めできませんね。せっかくそこまで体絞ったのに、またもとの木阿弥になってしまいますよ」

 女がソファの座面の端をドンと叩いた。

「うるさいっ」

「でもまた太ってしまたら、あえてのキツめのスペースジャケットの誤魔化しも、無効になってしまいますよ」

「うるさいっ」

 彼女はまた座面ドンと叩いた。

 女は思った。

 いつからだろう? このドンをよくやるようになったのは? とはいえこうした問題は、問題が立てられたときにはすでに答えがでているのだった。

 五年程前、彼女はこの船と同級の船のコンピューター・インターフェイスと、飲み比べのようなことをやったのだった。インターフェイスといっても液晶画面上のGUIではなく、外見上いわゆるアンドロイドだった。

 そんなアンドロイドのうちの一体が、彼女と友人たちとの飲み会の場にやってきたのだ。主人の欠席を知らせるために……。

 ところでスターシップのヒト型インターフェイスは、いくつかデリケートな問題を抱えていた。ロボットの人権問題。船のメインコンピューターと当該インターフェイスのとの意識の帰属問題。さらに、長期間閉鎖環境で生活する船員たちの性処理の問題。

 無論彼女も、そうしたインターフェイスたちを快く思っていなかった。さらにその場に現われたのは、ツナギのジャケットの胸と腰とが露骨に飛びでた、まさにセックスボットといったルックスのそれだったのだ。

 彼女はそれを飲み会のテーブルまで招き寄せ、そして……。

 問題のインターフェイスはいった。

「確かに私たちはヒトの女性のクローンがベースで、このボディの維持に関して、ヒトと同じような制約を負います。とはいえ、企画設計段階からアルコールを始めとした様々な化学物質への耐性を考慮されてますし、精神活動に関してはメインコンピューターのほうに一括処理させるなどといった対策を講じることもできます。無論外見上、このボディに限っていえば、呂律が回らないなどといった事態も出来しますが……」

 そして彼女は、テーブルをドンと叩いたのだった。うるさいっ、と怒鳴りながら……。実はそれが最初の一発ではなかったかもしれない。二発目? 三発目?

 ところでその場にはもう一人ヒトの女がいた。

 インターフェイスはいった。

「しょうがありませんね。そちらの方とお二人一緒にというのなら、受けて立ちましょう」

 バイオ・ビューティのクリッとした瞳。眼ヂカラも相当なものだった。

 コンピューターのメゾソプラノがふたたび割って入る。

「船影確認」

 操縦席の女がさっと上体を起こした。

「メインスクリーンに入れて」

「光学映像はまだ無理です。それに船長が探してる船ではありません」

 彼女はまたドンとやった。

「私が探してる船っ?」

「はい。今回のミッションに入ってからずっと、アベ船長のネレイドⅢのことを気にしてますよね? マコ船長、あなたが大学での職を投げ打ち、その歳での転職に踏み切ったのは、彼と再会するためではなかったんですか?」

「うるさいっ、そんなんじゃないっ」

 今度はドンドンと二回。

「航海中、私には船長のカウンセラーの役割りもあります。素直に認めてください」

「私の心、読んだのっ?」

「いえ、特にプライバシーを侵すようなことは……。たとえ外部記憶であっても、船長自身がロックをかけてる記憶に、AIである私がアクセスすることなんてできやしませんよ。お解りでしょ? 要するに船長、解り易過ぎるんです」

「ふざけんなっ」

 またドンドンと二回。さらに──。

「私はね、あんたたちみたいのが大嫌いなのっ。安部君のことなんて関係ないっ」

「それも確かに一面の真理ですね。発端はネレイドⅢのヒト女性型インターフェイスへの対抗意識だった。でも恋の始まりなんて得てしてそんなもんです。それまで意識してなかった異性に、恋人ができた途端──」

「うるさいうるさいっ」

 ドンドン!

 ヒートアップしていくマコ船長=大野真子に対し、船のメインコンピューターの声はあくまで冷静だった。

「光学映像、でます。まだグレーのタイルの集まりに過ぎませんが……」

 そして数分後、グレーのタイルノイズが先端部をこちらに向けた三角錐のような形になり、やがてその底の部分が幾つかの長めの卵形に割れ、最後に真子が、聴きようによっては嬌声のように聴こえるような甲高い叫び声を上げた。

「何あれっ? やっぱネレイドⅢじゃないっ?」

「いえ、同型の船ではありますが……。イガラシ船長のネレイド・プリンセスです」

「ネレイド・プリンセス? それにイガラシ船長って、まさか……」

 五十嵐佐那は学生時代の真子の大学の後輩だった。彼女たちは女性ながら、惑星ダフネbの英正文化大SF研のOGなのだ。だからこうしてスターシップに乗り、無限に広がる大宇宙の深淵へと……。というほど単純な話ではないのだが、両船はやや強引に距離を詰めていった。

 先ほどからのメゾソプラノ、メインコンピューターの声が告げる。

「ネレイド・プリンセスから通信入ってます」

 すぐに操舵室に響く声が、多少落ち着きを欠く、微かに鼻にかかったキャピキャピ声に変わった。

「アーアー、こちたネレイド・プリンセス、五十嵐船長。ルシエンヌⅡ、大野船長、応答願います。大野船長ってもしかして、マコさん?」

「そうよっ」

「わあっ、やっぱっ。マコさん、どうしてこんなとこいるんですか?」

「あっ、あんたこそ、どうして。それにネレイド・プリンセスって……」

「ああまあ、それは、そういうことです。マコさんこそどうしてここに? やっぱマコさん──」

「違うっ!」

 またしてもドン! そろそろ手が赤くなり始めている。

 五十嵐佐那。実は彼女、五年前のヒト女性型インターフェイスとの飲み比べの際、タッグを組んだ相棒でもあった。お嬢様風のキャラだったが、意外と、いやそうしたキャラのお約束通りに、妙なところで妙な行動力を示したりする。

「スケジュールどうなってます? こっちこれます? それとも私がそっちいきましょっか?」

 真子は周囲を見回す。どこかに脱ぎ捨てたつもりだったツナギが、自分の尻に敷かれ、シートからだらっと垂れ下がっている。

「いや、私がそっちいくよ」

 そしてなんともやさぐれた女子会となった。

 一応和室で、床の間に鏡餅が飾ってある。彼女たちの故郷の新年のアイテムなのだが、その惑星、ダフネbの季節は春。単に片づけていないだけなのだ。

 それをチラ見しながら、真子が確認する。

「やっぱこっちくる?」

「ううん。マコさんとこだって、どうせこんなもんでしょ?」

 二人は胡坐を掻き向かい合った。お互いスペースジャケット姿。こちらの船のヒト女性型インターフェイスが、盆に瓶ビールと摘まみを乗せ、運んでくる。真子はまたそれをチラ見し──。

「あんときのアンドロイドに似てんね。ネレイドⅢの……。虐待かなんかしてんじゃないだろうね?」

 真子の船のインターフェイスも、実はそんな外見だった。下がろうとするそのインターフェイスに、佐那がビール瓶を振りながらいう。

「あんたもグラス持ってきなよっ。つき合いなさいっ」

 荒れそうだった。最高に荒れそうな祭りになりそうだった。

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