ある村の雛祭り

橘花やよい

ある村の雛祭り

「若様だ」


 幼い少女は目の前で微笑む若い男をみて、ぽかんと口を開けた。

 美しい顔立ちの男だった。

 まだ十七、八の齢の男は涼しげな目元を細めて、少女に梅の一枝を差し出した。


「私に? もらっていいの?」


 少女は顔をほころばせて枝を受け取った。


「あなたの母上様から、今日のお祭りに一緒に行ってあげてほしいと頼まれました。よろしければ僕に付き合ってくださいますか」

「私が? でも若様と一緒になんて、私――」

「お嫌ですか?」

「そういうことじゃないけど」


 では行きましょうというと、男は少女の手を引いて歩き出した。


 自分の埃まみれのやせ細った腕を、こんなに綺麗な人に握られるなんて恥ずかしいと思ったが、男は気にした風もなかった。

 提灯や垂れ幕がさがった神社にはたくさんの人がいた。


「ここは、この時期が一番美しいのです」


 神社にはたくさんの梅の木が並んでいる。この神社が梅花神社と呼ばれる所以だ。

 梅はちょうど今が盛りで、咲き誇っていた。


「ああ、ヒナ様だ」


 それまで神社の境内で梅の花を愛でたり、酒を飲んだりしていた村人たちは、男に連れられた少女をみるなり歩み寄ってきた。


「堂々としていればいいのですよ」


 男は微笑んで、村人の目の前に少女の背中を押しやった。


「ヒナ様」

「ありがたいことで」


 村人たちはみんなして少女の頭を撫でた。そして少女に甘い菓子や、可憐な花を与えた。

 次第に少女の前には、順番待ちの列が作られた。

 最初は知らない大勢の村人に囲まれて怖がっていた少女も、熱心に頭を撫でられ、どんどんと手の中に増えていく菓子や花に笑顔になっていった。


「ヒナ様ってなあに。私の名前、ヒナじゃないよ」


 村人の波が落ち着くと、一度休憩をしようと男は境内の隅へと少女を連れ出した。

 手渡された菓子の中から薄桃色の砂糖菓子を選び、口に運びながら少女はとろけるような笑みを浮かべる。砂糖菓子は甘くて幸せの味がした。


「今日は上巳の雛祭り。女の子が主役の祭り。今日の主役はあなたなのですよ。この祭りの主役はヒナ様と呼ばれるのです」

「そうなんだ。でもいいのかな。甘いお菓子はとても高価なものだって、お母さん言ってたよ。私、お菓子は干し柿とかしか食べないもの。砂糖菓子なんて手が出せないって、お母さんが」

「ヒナ様は今日の主役なのですから、いいのですよ、贅沢をしても」


 男は砂糖菓子を一つとり、少女の口に放り投げた。


「ヒナ様は美しい着物は好きですか? せっかくの祭りですから、おめかししましょう」


 行きましょう、と少女の手をひいて歩き出す。

 神社の横にある小屋で、少女は美しい着物を着せられた。

 いつもは継ぎ接ぎだらけの色褪せた着物。だが、その日用意された着物は淡い色合いの美しい着物だった。

 薄桃色の着物。白い帯。紅い帯どめ。

 手触りも匂いも、いつもの着物とは全然違う。

 少女はぴんと背筋が伸びる気持ちがした。


「とてもお綺麗ですよ。さあ、みんなが待っています。戻りましょう」


 再び神社に戻った少女は、また村人に囲まれた。


「あら、可愛らしい」

「ヒナ様はいい子ね」


 口々に褒められ、頭を撫でられ、お菓子を恵まれる。少女は終始笑顔を絶やさなかった。


「私、村の外れに住んでいるから、こんなにたくさんの人とお話したことなかったの。みんなにいっぱい頭を撫でてもらえて、お菓子ももらえて、嬉しい」

「楽しかったですか?」

「うん。雛祭りって楽しいね」

「それなら、よかったです」


 日が暮れる頃、二人はまた境内の隅に座って話をしていた。


「お母さんがね、雛祭りはもともと悪いものを払う日なんだよってお話してくれたんだ。悪いものをおとして、流す日なんだって。昔は人形で体を撫でて、その人形を川や海に流して厄払いをしたんだよって言ってた。だから、雛祭りってあまり楽しそうな感じがしなかったんだけど、今日はとっても楽しかった」

「満足できましたか?」

「うん。みんなに優しくてもらえて、お菓子もたくさん食べて、お姫様みたいな着物もきて。楽しかった。――」


 少女はふわっと欠伸をした。


「眠いですか?」

「うん」

「今日は朝からずっと村の人につきあって、疲れてしまったのでしょう。もうじき祭りも終わります。眠ってもいいですよ」

「でも、もうお家に帰らないとお母さんが心配するよ」

「大丈夫ですよ。さあ、眠いならお眠りなさい」


 男は少女の頭を優しく撫でる。少女は目を細めて、男にもたれかかって寝息を立て始めた。





「今日は上巳の日。厄を払い、流す日」


 ざあざあと波の音がする。

 男は少女の体をそっと、小さな舟にのせた。少女の体がすっぽりと収まる、小さな舟だ。


「最後に、じゅうぶん楽しめましたか」


 悲し気に呟く男に返事をする者はいない。少女はただ安らかな寝息を立てて、起きる気配はなかった。


「村の厄はヒナ様がすべてその身に受けてくださいました。この方が全ての厄を背負って流されます。尊い少女に感謝を」


 村に幸あれ――。

 男が深く頭を下げると、ずっと後ろに控えていた村人たちが祈りをささげた。

 舟は波にのって流される。

 すべての厄をその小さな身にひきうけて。

 舟はゆっくりと沖に流れていく。

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ある村の雛祭り 橘花やよい @yayoi326

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