香神祭

円間

恋鳴き鳥の歌う夜の話をしよう

 恋鳴き鳥の歌う夜が来る。

 さあ、お祭りの時。




 二月某日。

 場所は山を背負う神社。

 早朝。

 どこからともなく聞こえてくる、ラジオ体操のメロディに加え、小鳥なども鳴いていて、実に清々しい。

 歩間先歩ふまさきあゆむは、セーラ衣服のスカートの裾を風にたなびかせながら神社の拝殿の前にいた。

 歩間先は、賽銭箱に五円玉をそっと投げ込むと鈴を鳴らし、拝殿に向かってこれ以上ないくらいに丁寧にお辞儀をした。

 そして、大きく柏手を二回打ってから力強く手を合わせたまま、気合を入れてお願い事をした。

 あまりにも熱心にお願い事をしていたゆえ、歩間先はいつの間にか、自分の横に巫女さんがいるのを気が付かなかった。

「もし」

 巫女さんに声を掛けられて、飛び跳ねるほどに驚く歩間先。

 このまま空でも飛べそうなほどの飛び跳ねっぷり。

「ななななっ、何ですか」

 熱心にお願いをしていたのを巫女さんに見られて恥ずかしい気持でいっぱいの歩間先だった。

「お嬢さん、随分と、ご熱心にお願い事をされておりましたね。さて、何のお願い事ですの?」

 歩間先は、答えようかどうしようか迷ったが、神聖なる巫女を誤魔化しても仕方なしと、顔を赤らめながら「縁結びです。恋の悩みがございまして、登校前ですが、神様にお願いをしておりました」と答えた。

 巫女さんは、口に手を当て「まぁ、可愛らしいお願い事ですこと」と言って、ほほほ、と笑った。

 歩間先にとっては笑い事では無し。

 叶わぬ恋の思いに、今にも泣きだしそうだ。

「お嬢さん、もしや片思いでいらっしゃる?」

「はい、残念ながら」

「なら、良いお話がありますよ」

 巫女さんが、歩間先の耳元で囁いた。

「是非、お聞きしたいです」

 歩間先は目を光らせて巫女さんに言った。

 巫女さんは、ほほほ、と笑うと「香神祭こうじんさいにお行きなさいな」と言った。

「香神祭とはいかに?」

 歩間先の眉毛が八の字を描く。

 歩間先の眉を見て巫女さんは、ほほほ、と笑い、そして神社の裏の山を指さす。

「香神祭は、あの山の麓で開かれるお祭りなのです。そのお祭りに意中の相手と行って、ある事をすれば、必ずその相手と結ばれるのです」

 その話を聞いて、歩間先は巫女さんの手を取り、握る。

「そんな最高のお祭りがあるなんて。是非、行きたいです」

「是非、お行きなさいな。香神祭は今週の日曜日にあります。香神祭の屋台で売っている、赤い糸を意中の相手の足首と自分の足首に結び、香神祭を巡ると、その二人の縁は結ばれるそうな。お嬢さん、意中のおのこと是非お行きなさいな」

「はい、必ずや」

 歩間先は、巫女さんに深々と頭を下げてお礼を言い、学校へと走った。

 歩間先は遅刻だ。




 学校にて。

 休み時間に歩間先は意中の相手、二氷春一にごおりしゅんいちのいる三年生の教室に顔を出していた。

「先輩、今週の日曜日、私と、お祭りに行きませぬか」

 勇気を出して誘った歩間先に「祭りぃ? 行くかよ! 受験終わったばかりだから家でゆっくりしてーよ。それに、こんな時期に、祭りなんかやってんのか?」と、二氷はそっけない。

 大学受験に合格した二氷は、春から東京の大学へ通う。

 そうなれば、歩間先と二氷は、離れ離れだった。

「えーっ、先輩、受験が終わったばかりだからこそ羽目を外して遊びましょうよ。お祭りはやるみたいですから」

 歩間先は、ほっぺたを膨らませた。

 膨らんだ歩間先のほっぺたは、二氷が指先でつついて破裂させた。

「どんな祭りなんだよ」

 興味無さげだが聞く二氷。

「どんなって、最高のお祭りですよ。必ず行くべしですよ」

「何だよ、それ。本当に最高のお祭りなんだろうな」

「モチのロンですよ。ねー、行きましょうよー。後生ですからー」

 歩間先は、二氷にしつこく頼み込む。

 そのしつこさたるや、無理やり包丁セットを買わせようとするセールスマンが如く。

「あー、仕方ねーなぁ。付き合ってやるよ」

 二氷はついに折れた。

「やった!」

 かくして二人は香神祭へと行く事となった。




 日曜日。

 山の中。

 辺りは暗闇で満ちている。

 しかも実に寒い。

 ここはシベリアかというほどの寒さ。

 歩間先と二氷の二人は、白い息を蒸気機関車の如く吐き出して山の中の道なき道を進んでいた。

「はぁ、おい、歩間先。本当に、こんな山の中で祭りなんかやってるんだろうな? まっくらじゃねーか!」

 声を荒げて言う二氷。

 無理もない事である。

 二人は山に入ってから、もうずいぶんと歩いていたが、お祭りが執り行われている様な空気は微塵も無い。

 歩間先も、少しばかり心配になったが、無責任にも「オフコースですよ」と答えた。

 こんなやりとりが三回ほど繰り返された後、二人は、やっと山の麓までたどり着く。

 すると、まるで二人を待っていたかのように辺りに、ゆっくりと明りが灯り始めた。

 明かりが灯ると、徐々に祭りの場が姿を現す。

「すげー」

 目の前の光景に、二氷がため息を漏らした。

 満開の赤い梅の花に囲まれた祭りの場。

 梅の木にはおびただしい数の提灯が下がり、その一つ一つに明かりが灯っている。

 提灯の下にはいくつもの屋台が並び、いらっしゃい、いらっしゃいと店主が声を張り上げている。

 場に漂う何とも言えぬ香しい香りは梅の花の香りだろうか。

 祭りばやしの代わりに、外周を回る山車に乗った雅やかな恰好の一団が奏でる雅楽の演奏が鳴り響いている。

 目を見張るのは、祭りの場にいる連中で、皆が面妖な面を被り、なおかつ十二単やらタキシードやらを着こなした小粋な出で立ちなのであった。

「これは、仮装祭りか何かか?」

 二氷に聞かれるも、歩間先は苦笑いで返すのみだ。

「とにかく行きましょうよ。ほら、あそこ、焼きそばの屋台がありますよ。先輩、焼きそば好きでしょう?」

 歩間先は二氷の手を引いて、香神祭へ飛び込んだ。




 香神祭は大変な賑わいである。

 二人は大いにお祭りを楽しんだ。

 二人で幾つもの屋台をめぐりに巡る。

 りんご飴に綿あめなどの屋台グルメを食し、くじ引き、小さなお化け屋敷に亀釣りなどの娯楽を堪能した。

「楽しい祭りだな。歩間先、誘ってくれてサンキュー」

「こちらこそ、一緒に来て下さって感謝感激です」

「あ、あっち、金魚すくいあるな。行くか」

「え、先輩、先ほど亀を釣ったというのに金魚ですか?」

「金魚すくいはお祭りの醍醐味だろ、行くぞ」

「ですよね。金魚すくい無くしてお祭りは有り得ません。了」

 そう言うが、しかし、歩間先にとってのお祭りの醍醐味とは、赤い糸を売るという屋台のみである。

 時すでに金魚すくいに夢中の二氷の横で、目を針の穴の様にして、それらしき屋台を探す歩間先。

 と、風にはためく赤い幟が歩間先の目に入った。

 その幟の立つ屋台を、背伸びをして見て見ると、あった。

 屋台に赤い文字で、赤い糸と書かれている。

「先輩、しばし失礼します」

 歩間先は金魚を追う目が止まらない二氷に一声掛けて、はためく赤い幟の方へ誘われる様に一人向かった。




「あの、赤い糸、一つ下さい」

 歩間先は、恥ずかしそうにして、良くできた兎の面を被った屋台の店主に言った。

「はいよ。使い方は分かるかい?」

「はい」

「よし。はい、三百円ね」

 歩間先は、財布から三百円ちょうどを取り出し店主に渡す。

「毎度あり。あんた、人の子だろ。楽しんでいきなよ!」

「え? はい、ありがとうございます」

 人の子に決まっているのに、おかしなことを言う人だな、と歩間先は思ったが、そんな事は歩間先にはどうでも良い事。

 歩間先は、ダッシュで二氷の元へ戻った。

 しかし、戻ってみると、そこに二氷の姿は無かった。

「あれ、先輩? どこへ行ったんですかぁ? 先輩ーっ!」

 歩間先は二氷を探し、祭りの場をさ迷い歩いた。

 しかし、二氷は見つからず。

 途方に暮れ、歩間先は泣きだした。

 泣いている歩間先の側に、十二単を着こなした女が近づいて来た。

「これ、人の子、泣くんじゃありません。ほれ、涙など、これで払ってやろう」

 女が扇で歩間先を仰ぐ。

 すると、小さな竜巻が起こった。

「ああっ!」

 歩間先は叫ばずにはいられなかった。

 赤い糸が竜巻に飛ばされてしまったのだ。

「待って!」

 歩間先は必死で赤い糸を追う。

 赤い糸は梅の木の間を、ひらひらと飛んだ。

「待って! 待って!」

 赤い糸の消えた方へ歩間先は進む。

「確か、この辺に……」

 歩間先は、地面にしゃがみ込み、赤い糸を探す。

 しばらく探してみるが、赤い糸は見つからない。

 赤い糸を無くすなんて、何たる事か。

「ふぇっ」

 歩間先の目から涙が零れる。

「歩間先、こんな所にいたのか。探したぞ」

 そう声を掛けたのは息を切らせた二氷だった。

 歩間先は、急いで立ち上がる。

「お前、何を泣いているんだよ」

「ううっ、先輩。だって、赤い糸がっ……」

「赤い糸……ああ、これの事か?」

 二氷が自分の左手の小指を歩間先に掲げて見せる。

 二氷の小指には、赤い糸が結ばれていた。

「せっ、先輩、それ、どうして……」

 驚きを隠せない歩間先。

「ああ、これな、風で飛んで来たんだ。で、拾って」

「そうじゃ無くって、なぜ小指に糸を結んでいるのですか?」

「んっ? んーっ、あー、これな、こうしたら良いと思ってさ……」

 二氷は、歩間先の手を取ると、赤い糸の端を歩間先の小指に結んだ。

「ほら、こうすれば、もう、はぐれないだろ」

 香しい香りのする、満開の赤い梅の木の下、二氷の小指と、歩間先の小指が赤い糸で繋がっている。

「先輩、これ、どういう意味か知ってるんですか?」

 歩間先は、赤い顔をして二氷を見つめる。

 二氷が、ふいっと歩間先から目を逸らす。

「さぁてね」

 そう言って、ニヤリと笑い、二氷は歩き出す。

 二氷の後を、歩間先は慌てて付いて歩く。

「先輩、この糸、出来れば、足首にお願いします」歩間先が言うと、二氷は渋い顔をする。

「足首で繋がるって、囚人じゃあるまいし」

「先輩、ロマンがありません!」

 歩間先のほっぺたが膨らむ。

 二氷が歩間先のほっぺたを指先で優しくつついた。


 二人の笑い声が山に木霊する。


 春、来たれり、と神々が歌う。


 香神祭、神々が人の恋で遊ぶ夜。


 春来たれりと、恋鳴き鳥が歌う夜。

 

 今宵、最高のお祭りなり!






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香神祭 円間 @tomoko4649

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