消えぬ渇きのその先に
六等星
Falling apart
「はあ、はあ、はあ......」
僕は自らの相棒を手に持ち、目の前に転がっている『作品』を見つめていた。
僕の手からはそれを作る時に着いた赤黒いインクが、ピチャッピチャッと音をたてて地面へと落ちている。
僕はそのインクをベロッと舐め、思わず、
「ふふふ......今日も綺麗に仕上がった」
と、そう満足の意を溢していた。
その路地裏の地べたに転がる、赤いドレスを着た薄汚い女の姿はなんとも愛おしい。
その光景を作れたことで満ち溢れる幸福感は、僕を快楽の海へと落としこむ。
「おっと、もうこんな時間か」
ふと腕時計を見てそう言うと、僕は自分の家へと何事も無かったかのように帰った。
家に帰った僕はネクタイを緩めながらキッチンにあった瓶を持ち、そのままソファに深々と腰かけた。
目の前の机の上にあったレコードプレーヤーの針を落とし、お気に入りのジャズを流す。
そしてポンッとコルクを開け、中に入っているワインを口に含み、そして喉を通す。
「はあ......」
そう息を吐くと、えも言えぬワインのいい香りが、僕の鼻腔を満たした。
この瞬間がたまらない。
そうしていると決まって創作過程の瞬間が頭に浮かび上がってくる。
ザクッ、ザクッと自らの相棒で肉を裂く感覚、使えるはずのない喉で助けを求める薄汚い女の様子、辺りに飛び散る赤いインク、そのすべてが僕のこの幸福感を「台無し」にする。
なぜかは分からない。でも、それらはこの満たされた僕の心にぽっかりと穴をあけるのである。
今日まで5回『作品』を作り上げたが、そのどれもが僕の「飢えを満たす」ことは無かった。
「はあ、今日はもう寝よう」
そう呟きながらレコードを止め、ワインを飲み干してベッドに入った。
僕は窓から差す暖かな日差しで目覚めた。
ポストから新聞を取り、リビングで熱い珈琲を飲みながらそれを読む、僕の朝のルーティーンである。
『またもやジャックザリッパーの被害者増える』新聞の見出しにはそう書かれていた。
「また僕の作品をみんな見てくれたのか......ふふふ」
珈琲をコクっと飲みながら満足気にそう呟いた。
だが小見出しを見たときその満足感は消え失せた。
『今回の被害者は2人、うち1人は男性か』
――僕は男は狙わない。薄汚い女どもに赤いドレスを着せてやることに意味があるんだ。
誰かがどこかで殺した男が僕の作品と間違えられている、それだけで怒りを覚えてしまう。
「......ふざけてるのか? 今夜本当のジャックザリッパーの最高傑作を作ってあげるよ」
そう言い残して僕は仕事に向かった。
仕事を終え1度家に帰った僕は相棒をポケットに入れ、夜の町で物色をしていた。
「お兄さん溜まってない? 良かったらうちに来ない?」
薄汚い女が歩いている僕に近づいて、そう誘ってくる。
――こいつじゃあ最高傑作は作れない。
そう考えた僕は返事を返さず無言で彼女を突き放した。
町を歩き進めているとある店の前で立っている女に目が止まった。
艶やかな長い髪、鋭くもどこか妖艶な目付き、しなやかな身体、そのすべてが僕の最高傑作になるにふさわしい物だった。
女を見つめていると目が合い、彼女はこちらに近づいてきた。
その色っぽい歩き方も、僕の加虐心をくすぐった。
そして女は僕に顔を近づけ、
「1発やってく?」
と、そう耳元で囁いた。
加虐心が頂点に達した僕は彼女と路地裏へと向かった。
じゅぷ、じゅぷと音をたてながら、女は僕のものをしゃぶっていた。
彼女の舌がぬめりと絡み付き僕のものを刺激する。
その最中も女は妖艶な目で僕を見上げている。
手慣れた様子で僕のものをしごき、吸い上げている。
そして溜まりに溜まった自らの快楽を彼女の口にぶちまけた。
「あんたこういうの慣れてるでしょ?」
女はそれを飲み干し先程にも増した妖艶な目付きで微笑みながらそう言った。
「そんなことないよ。まだまださ」
「そう? まあいいわ。そろそろ出来るでしょ? 来てよ」
女はそう言って壁に手をつき、自らの尻をつきだしてそう言った。
――そろそろ頃合いだね。
そう確信した僕は音をたてないように自らのそれをしまい、代わりにポケットから相棒を取り出した。
「じゃあ、いくよ」
「ええ。きて?」
そんなやり取りをして僕は彼女を後ろから近づいた。
そして彼女の首元を相棒でかっ切った。
......はずだった。
僕は彼女の首元から手を遠ざけた。
その手には確かに赤いインクがついている。
だが、同時に鋭い痛みが走っていた。
「やっぱりあんたがジャックザリッパーなんだ。......妙に手慣れてると思ったんだよね」
女は妖艶な目付きのままナイフを持ってそう言った。
「ぅ......うぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"!」
そのナイフを見たことで初めて自分の手が切られたことを理解した僕は、思わず悲痛の叫びをあげた。
――サクッ
「それは1番やっちゃいけない事だって、あんた分かってるでしょ?」
彼女は僕の喉元を切り裂きながらそう言った。
喉元が熱い。
そしてそこからは生温かい液体がどぱどぱと流れ落ちていた。
「な"、な"ん"で」
使えない喉で必死に彼女にそう言った。
「すっごーい。まだそんな喋れんだ。......なんでって、それはあんたが1番分かってるでしょ?」
笑いながら彼女がそう言う。
――渇きを満たしたいから
「渇きを満たしたいからよ」
俺が心の中で答えを出すと同時に彼女がそう言う。
ザクッ、ザクッ
「でもまさかあんたが本当にジャックだったなんて、私ついてるね。」
ザクッ、グシャ
「いつか会ってみたいと思ってたんだぁ」
ザクッ、ザクッ......。
女は僕の肩や足、腕をナイフで刺しながら嬉しそうにそう言う。
「あ、あ"ぁ"」
叫ぶ気力が残ってない僕は、そんな小さなうめき声を上げていた。
なんだか目の前が白くなってきた。
手足が震え、もはや痛みすら感じない。
「あらら、もう使い物にならなくなるのね。じゃあそろそろ終わりにしよっか」
そう言って彼女は妖艶な笑みのまま僕に股がり、ナイフを振り上げる。
「じゃあね、私のジャックさん。最高の祭りだったよ」
そう言って彼女は僕の心臓にナイフを突き立てた。
そして彼女は何事も無かったかのように路地裏から姿を消した。
遠退く意識の中で、僕は自らの心の穴が塞がり、今まで心のどこかにあった飢えが満たされていることに気づいた。
――そうか。僕は今まで快楽という名の海に溺れていたんだ。誰かにそこから助け出して欲しかったんだ。本当は僕の作品の材料である、あの女たちに嫉妬していたんだ。......本当は、死を望んでたんだ。
そう確信できた僕は、幸福感に満たされたまま眠りについた。
消えぬ渇きのその先に 六等星 @rokuto_sei
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