第十五話「のぞみと別れと出会い」

市立南図書館の最後の日。

その日の午後に最後の読み聞かせ会が行われた。のぞみの突然の休暇もあって準備はバタバタしていたが、無事に終えることができた。選ばれた作品は越野安規子の短編集「群青」の中にある「White River」。男女の恋愛と、共に困難を乗り越えていく姿を描いた作品だ。幅広く人気のある作家だし映画化もされた作品でもあるので、常連のお客さんはもちろんのこと、今まで南図書館にあまり足を運んだことのない人にも来て欲しかった。南図書館は今日で閉館してしまうが、本に興味を持ってもらえる人を最後に一人でも増やしたかった。


そして今回も大祐に手伝ってもらった。男女の掛け合いが多いので、男性の台詞を大祐に、女性の台詞をのぞみが読んだ。できれば地の文のところも別の人に読んでもらいたかったが、最終日にそこまで人員は避けなかったので、そこものぞみが担った。


結果的にはいつもより二人か三人多いだけだったが、それでも最後の読み聞かせ会で最高人数を記録できたのはいい事だ。

読み聞かせ会が終わったあとにはみんなで写真を撮り、常連さんからはお礼を言われた。花やプレゼントを渡してくれる人もいた。中でもよく利用していた長岡さんはご夫婦で来てくださり、奥様の方は最後にのぞみの手をとって泣いていた。まさか市の図書館が閉館することに泣いてくれる人がいるとは思わなかったし、のぞみ自身も泣くとは思っていなかった。でもそれだけのものを作り上げられたという証拠を見られたのはとても良かった。


印象的な来館者といえば、今日の午前中に予想外の人が挨拶に来た。

その人は花屋で買ったであろう一本の花を持って入り口に立っていたが、なかなか中までは入ってこなかった。のぞみが外に出た時にやっと声を掛けてきた。

「あの、豊崎先輩……。こんにちは」

「え?川里くん!?」

立っていたのはいつも真奈美の後ろに立っていた川里健太だった。

反射的にのぞみは少し周りを見渡した。

「今日は真奈美はいないですよ。僕一人です」

「あ、そうなんだ……」

心を見抜かれたのぞみは少し恥ずかしくなる。

「それでどうしたの?今日は」

「あの、今日でこの図書館が閉館だと聞いて。それで……」

「……それでわざわざ」

「はい。あ、あの、これ」

そう言って健太は持っていた花をのぞみに差し出した。

「お仕事、お疲れ様でした……」

「あ、ありがとう」

のぞみはとりあえず差し出された花を受け取った。誰からでも感謝されるのは嬉しいが、なんで健太がのぞみを?という大きな疑問があった。

「あの、今まで真奈美がすみませんでした。先輩に失礼なことばかりして」

なるほどと、のぞみは花の意味を理解する。

「川里くんが謝ることじゃないよ」

「いえ。いつも真奈美の近くにいながら僕は真奈美を止めることもできなかったので」

「そんな事ないって。それに多分一番悪いのは優柔不断な私だったと思うし。私の方が小山さんに謝らないといけないかもね」

のぞみからしたら、自分を動かしてくれた真奈美に感謝こそすれ、怒る気持ちなどもうなかった。健太に対してはなおさらだ。

「別に先輩は謝らなくていいですよ。どう考えたって真奈美の方が悪いですから。それに真奈美はもう日本にはいないんです。小笠原先輩についていっちゃって」

「え?あ、そうなんだ」

のぞみは少し驚いた様子を見せたが、実は知っていた。

数日前に瞬からメールが来た。瞬がアメリカ留学してからずっと止まっていたメールが久しぶりに届いた。そこにはアメリカに戻ることと、のぞみの将来を応援してくれる内容が書かれていた。そして真奈美が劇団のスタッフに入ったことも。

それを見たときにはとても驚いた。真奈美が瞬を追いかけていたことは知っていたが、ついに海外までついていくとは。真奈美の執着心と行動力には恐れ入る。どういう経緯でそうなったのかは気になったが、細かく聞く権利はのぞみにはないのではないかと感じてその件に関しては返信で触れることはしなかった。


そして今は気になる点がもう一つ。

「川里くんは残ったんだね」

のぞみは複雑な表情で健太を見つめた。

「僕は大丈夫です。もともと真奈美の気持ちは知っていましたから。隣にいながら小笠原先輩のことを言われるより、いっそ小笠原先輩についていって僕のそばからいなくなってくれたほうがスッキリしました」

いつも健太と一緒にいながら大っぴらに瞬のことを気にする真奈美を見て、この二人の関係はどのようなものなのかと気になっていたが、健太も期間限定なことは察していたのかもしれない。

「そっか。小山さんが瞬くんの劇団に入りたがっているのは知っていたけど、まさか海外まで行っちゃうとは思わなかったよ」

のぞみは一瞬、瞬から真奈美が手伝いで劇団に入りたい話を聞いたことをしゃべっちゃまずかったかと思ったが、健太が相手だしもう今更だと思った。

「スタッフとしてついて行ったみたいですよ」

どうやら健太は詳細を知っているようだ。のぞみも気になっていたことだったので、話してくれるなら聞こうと耳を傾けた。

「小笠原先輩も、何度言っても聞かないから折れたみたいで。それに今回はアメリカにも付いて行くって言い出して。真奈美がアテもないのにアメリカまで付いて行って問題に巻き込まれたら心配だからって、小笠原先輩が運営側に掛け合って真奈美を入れてくれたみたいです。スタッフとしての決まりに従ってもらえば、必要以上に小笠原先輩に迷惑をかけることもないと思います」

真奈美はそれでも瞬のそばにいたかったのだろう。考えや行動が極端とはいえ、その意志の強さと行動力は尊敬する。それに真奈美自身も元々は女優志望だ。演技を間近で見たい、学びたいという思いも、少しはあったのかもしれない。


「じゃあこれで。今日は謝罪と、真奈美のことを伝えとこうと思ったので」

「うん。ありがとう」


そう言って真奈美は健太の後ろ姿を見送ってから図書館に入った。

カウンターに戻ったら、佳が対応に追われている。閉館の今日は本を借りられるのか、借りている本は閉館後はどうやって返せばいいのか、など。一応入り口や館内のいたるところに案内を貼ってはいるが、年配の方たちはそれを見つけるより聞いてしまったほうが早いし分かりやすいのかもしれない。

佳もきっと同じ質問に同じ答えをずっと返しているのだろう。そしてそのカウンターのそばで、なぜか大祐も来館者に案内をしている。読み聞かせ会でのぞみと一緒に本を読んでいたから、みんなは大祐も図書館の職員だと思っているのかもしれない。そして優しい大祐もそれに丁寧に対応している。しかし本当の職員であるのぞみはそれでは申し訳が立たない。すぐに行って大祐と案内を変わった。

「今日も本は貸出していますよ。CDもDVDも、通常の貸出期間で借りられます。明日からはもう図書館はやっていませんが、貸出期間内に入り口の返却ボックスに返却していただければ大丈夫です」

そのような案内に加えて、通常の貸出手続きや返却手続きもある。しかも最終日という理由からか、貸出数の上限まで借りる人も多く、いつもより忙しい。返却手続きに関しては、とりあえず受け取るだけ。CDやDVDは中身が入っているか確認するが、状態の確認や棚に戻す作業は後回しだ。でもカウンターに本を山積みにしておくわけにもいかないので、溜まってきたらとりあえずカウンター裏の事務所に入れておく。しかし閉館時間が近づくと駆け込むように返却してくる人も多く、手が回らない。気づけば大祐も手伝っている。本来なら断らなければならないが、それを言うタイミングもないほどバタバタしている。


そして最後の貸出手続きが終わったのは閉館5分前。

駅前の図書館は明日も開いているが、やはり南図書館にしか置いてない古い本なども多い。最後ということで、それらを借りていく人が多かった。のぞみが趣味も兼ねて頑張って集めた本だが、それが評価されたようで嬉しかった。

最後の来館者を出口まで見送って、そのまま図書館の扉を閉めようとしたら、大祐が返却ボックスを開けていた。

「大祐くん、何やってるの!?」

返却ボックスは鍵がないと開かない。なぜ大祐がその鍵を持って、本来職員しか開けてはいけない返却ボックスを開けているのか。

「あ、すみません。武藤先輩に言われて、返却ボックスの本を持ってきてって……」

佳はまったく何を大祐に頼んでいるのか、と少し呆れた。いくら後輩で、今日も一日無償で図書館の手伝いをしてくれているからと言って、ここまで頼むことはないだろう。とは言え、のぞみも忙しさにかまけて大祐が手伝ってくれるのを止めなかったのだから同類だ。

「ごめんね。怒ったわけじゃないの。逆に申し訳なくて」

返却ボックスの中を見ると、結構な数の本が返却されていた。これを手で持っていくのは大変だし重そうだ。

「ブックトラックでまとめて持っていこうか」

そう言って、のぞみは大祐と共にブックトラックに本を並べた。


「大祐くん、ごめんね。今日は一日手伝わせちゃって。読み聞かせ会だけのはずだったのに」

本を並べながらのぞみが言う。

「いえ、大丈夫です。武藤先輩からあれこれ指示されたのには驚きましたけど」

そう言って笑う大祐に、のぞみは顔の前で手を合わせて謝る。

「でも南図書館の最後の日に自分も関われて嬉しかったです」

「そう言ってもらえると私も嬉しいよ」


そして最後の本を大祐がのぞみに渡した時に大祐が言った。

「のぞみさん、今後の仕事はどうするんですか?」

「え?」

南図書館が閉館したら、のぞみはどうするのだろうか。駅前の図書館では人員がもう十分足りている話も大祐は佳から聞いていた。また別の図書館を探すのだろうか。そしたら引越すのだろうか。それとも全然違う職種に就くのだろうか。

「あの、俺の姉貴が勤めているレンタルショップがあるんですけど、そこで働きませんか?姉貴もそろそろ辞めたいって言ってるし……」

いきなりの大祐の申し出にのぞみは少し面を食らう。

「え?ああ、大祐くんのお姉さん、レンタル屋さんで働いてるんだ」

「はい。基本的にはDVDのレンタルですけど、本も扱ってるし、そこならのぞみさんも本に関わる仕事ができると思うんですけど」

なるほど。大祐はのぞみの本が好きな気持ちを察して、引き続き本に関わる仕事を行えるよう気にかけて動いてくれていたようだ。この前の真奈美とのやりとりを大祐には知られている。それでもなお、のぞみの気持ちを汲んでくれるのはとてもありがたい。

「ありがとう。でもごめんね。もう次の仕事見つかってるから」

「あ……、そうなんですか。次はどんな仕事ですか?」

「心配してくれてありがとうね。実は次の仕事もここなんだ」

「……ここ?」

「うん。ここ」

そう言ってのぞみは南図書館を指す。

「え?ここは今日で閉館じゃ……?」

「うん。でも駅前の図書館も含め、市内の図書館の本の倉庫代わりにここを使うんだって。それの管理人みたいな仕事をやるの」

「はぁ。そうですか」

どうやら今度は大祐が面食らったらしい。てっきりここはもう封鎖かと思っていたらしく、ここで働けなくなるのぞみを心配していたのだ。

「でも大丈夫なんですか?耐震構造が低い理由で閉館になるはずじゃ」

「うん。でもそれは不特定多数の来館者が入る場合の不安だから、倉庫としてなら引き続き使えるみたい。まぁ注意は必要だけどね」

「そうですか。でもここで働けるならそれが一番いいかもしれないですね」

確かにここならこれからも本に囲まれた生活ができる。今までのように、自分の好きな本を集めて並べることはできないが、他の図書館から回ってくる本にはどんな物があるのかと待つ楽しみはある。

「いろいろ心配してくれてありがとうね。大祐くん」

「いえ、一番いい結果になったと思います」

そう言いつつ、大祐の顔が少し残念そうなのが気になった。

しかしのぞみの思考は図書館の奥から聞こえてくる佳の歓声にかき消される。

「あー、茉理さん!」

どうやら茉理が図書館に来ていたそうだ。忙しくて茉理が来ていたことに気づかなかった。


「よし、行こうか。大祐くん」

「はい」

そう言って二人でブックトラックを押してカウンターに戻る。

「お疲れ、のぞみ。このあとみんなで晩ごはん行かないか?この前行けなかっただろ?」

「いいですね。行きましょうよ、のぞみさん」

「いいですよ」

「まだこんなに本が山積みなのに、いいんですか?」

「大丈夫だよ。明日からもたっぷり時間はあるし。大祐くんも来るでしょ?」

「……いいんですか?」

「ああ、君も来なよ」

「じゃあ行きます」

「よし、決定。今日は茉理さんのおごりですか?」

「のぞみの慰労会だからな。いいよ。奢ってあげる」

「やったー」




【終】

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エンカウント ライブラリー 咲良 潤 @ce1039

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