第十四話「のぞみと夢」
「大丈夫?」
部屋に入ってきた瞬にのぞみがそう言った。
ここは瞬の個人的な控室らしい。一緒に入っていくところを見られると後々面倒なことになりそうなので、のぞみが先に入って待っているように言われていた。のぞみは、劇場の控室には似つかわしくない立派な椅子に座って待っていた。もしかしたら瞬専用で持ち込んだ椅子なのかもしれない。
そんなことを考えていると、瞬が知り合いの楽屋挨拶などを一通り済ませた後に控室に戻ってきた。
「うん。大丈夫」
そう言いながら一息ついた瞬を見て、あまり大丈夫じゃないことを察する。
瞬が入ってくる前。ドア越しに真奈美の声が聞こえた。きっとのぞみがこの部屋に入っていくのを見たのだろう。いくら真奈美と言えど瞬の個人的控室に勝手に入ることは躊躇ったらしく、瞬が戻ってくるのを待っていたのかもしれない。
以前に真奈美が瞬の劇団の手伝いをしたいと言っていた話を思い出した。本当に真奈美はこの劇団の一員になったのだろうか?それとも昔の知り合いのよしみで楽屋挨拶に来ただけだろうか。
どちらにしろのぞみにはもう関係ないことだった。今はもうのぞみと瞬の二人の問題。
「ごめんね。急に来ちゃって」
「いいよ」
そう言って少しの間が空いた。すぐに本題に入るべきか迷ったが、まずは今日の劇の感想を伝えるべきだと気づく。
「劇、良かったよ」
「うん。ありがとう。でものぞみなら原作も読んだことあるだろ?だいぶ変わってたから違和感なかったか?」
「うんん、そんなことないよ。原作は女性が主人公だからどうするんだろうって思ってたけど、男性目線で改めて物語を追えたからとっても良かったよ。原作を知ってる側からしたら二倍楽しめた感じ」
「そっか。それならないよりだ」
そう言って瞬は時計を見た。
「悪いね。このあと会場の片付けがあるからそんな時間ないんだ」
主演俳優が片付け?と思ったが、瞬は昔からそうだった。学生時代に人手が足りない時から主演でありながら大道具の制作から撤収まですべて行っていた。当時は掛け持ちしないと回っていかないから当然だったが、一流になってもまだ続けているらしい。
「まぁ、みんなからは邪魔扱いされてるんだけどね。舞台装置も全体を把握してるわけじゃないから、撤収作業の手際も悪いし」
それでもせめてその場に立ち会って、座長として劇団全体の団結を強めたいらしい。
「うん。そうだね」
「でももう分かってる。分かってた、かな……」
瞬が天井を見上げる。
「この前、喫茶店で話した時にはね。分かってた。でも俺の我儘で結論を先延ばしにさせちゃったね。すまなかっ」
と、瞬が謝ろうとした時にのぞみが急に椅子から立ち上がった。そして深く頭を下げる。
瞬は悪くない。のぞみのハッキリしない態度が行けないんだ。だからそんな瞬に謝らせてはいけない。
「ごめんなさい、瞬くん」
急なのぞみの謝罪に驚いた瞬だったが、すぐに頭を上げるようにのぞみに促した。
「謝るようなことじゃないよ。でもそっか。やっぱりのぞみは本が好きなのか」
その瞬の言葉にのぞみはドキッとした。
先日の真奈美とのやり取りを瞬は知っているのだろう。真奈美が瞬に言わないはずがない。のぞみの考えを瞬はどう思っているのだろうか。
「あの……、小山さんからなにか聞いた?私のこと」
「うん、聞いたよ。でも小山からはのぞみは本しか愛せない人だとしか聞いてない。他にも色々言ってたけど、あいつも感情的に話してたから全部は本気にしてない。のぞみから直接聞くまではと思ってたから」
「そっか」
瞬はどこまでも紳士的だ。他人をどこまでも尊重できる。本当に尊敬できる人。だからのぞみも、今回は恐れずに自分の気持ちを伝えなければいけない。
「小山さんの言ってることは本当。私は本が大好きで、本から離れる生き方は考えられなかった。だから瞬くんの思いに応えられなかったの。本を読むことと瞬くんへの思いを天秤にかけるのはおかしいって分かってる。瞬くんが悪いわけじゃない。でももうこれが私の生き方になってしまったから」
「そうか。今は電子書籍もあるし、どこにいても本を取り寄せることはできるけど、それじゃだめなのか?」
この疑問は当然だ。真奈美にも言われた。
「うん。ごめんね。本当に些細な事にこだわり過ぎだって分かってるけど」
「そんなことはないよ。人によってこだわるポイントは違う。そんなこと言ったら、俺だってのぞみが好きだと言いながら海外で俳優の勉強することは譲れなかったからね。自分の持ってる夢によって譲れないラインは変わってくるものだよ。でもそっか。のぞみが本を好きなのは分かってたつもりだけど、でも想像以上だったね」
「本当にごめんね。ここまで思ってくれている瞬くんよりも本を選ぶなんてどうかしてると思う。また小山さんに怒られちゃうね」
「そんなことはないよ」
瞬はどこまでも優しい。思いに応えられなかったのぞみを、それでも庇ってくれる。
「でも私もただ単に本が読みたいから日本に留まりたいわけじゃないの。将来的には自分の本屋さんを持ちたい。できれば古本屋さん。今は本が売れない時代だからどこまでできるか分からないけど、でも売れなくてもいい。古い本も新しい本も集めて、自分の好き本に囲まれて生活したい。我儘で自分本位な夢だけど」
「そっか。それがのぞみの夢か」
この一ヶ月で、のぞみは自分の思いを真剣に考えた。
今まではただ本が好きで、図書館に勤めている今の状況で十分だった。しかしその図書館がなくなること、そして真奈美がのぞみの中途半端な考えを否定したことで、自分が本当にやりたいことを引き出された。ここで周りに合わせてもあとで辛くなるだけ。人に頬を叩かれるほどの思いであれば、もうそちらに振り切ったほうがいい。真奈美のお陰で覚悟が決まった。
そしてその覚悟の先に見たのぞみの夢は、自分の本の店を持つこと。図書館もいいし、大きな本屋で働くのもいい。でものぞみの一番の望みは、自分の空間で、自分が選んだ自分の好きな本に囲まれていること。それを叶えるには、古い本も新しい本も扱える古本屋の店長になるしかない。小さい店でも構わない。自分の店を持つのがのぞみの夢になった。
「うん。まぁ夢って言ったけど、どちらかというと呪いかな。私を縛り付ける呪い」
「呪いとは大げさだな」
「でも本当に本を好きにならなければ良かったと思うこともあったし、夢という言葉は綺麗すぎる気もする」
自分から望んだ呪いならば、その呪いごと愛そう。
「ありがとう。わざわざ言いに来てくれて。これで残りの公演も心置きなく望めるし。俺も自分の夢に迷わず進めるよ」
「私も応援してる」
のぞみは素直にそう言った。今までは自分の中途半端な立場のままで応援することに引け目を感じていたが、今は心から応援できる。
そして最後にこう言った。
「もし『沈黙の翼』の舞台ができるようになったら教えて。その時は海外でも絶対見に行くから」
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