エピソード2

祭りのあと


 角館里子かくのだてりこ、高校1年生。雑賀さいが市に引越してきて初めての夏休み。

 毎年7月の下旬に雑賀神社で催される盆踊り大会に、里子は安元歩やすもとあゆむと共に参加をしていた。


 お祭り独特の夜の匂い、ぼんやりと闇夜を照らす提灯、そこにはっと目の覚めるような和太鼓の打ち鳴らし。

 ひょっこりと物の怪が紛れ込んでいても、こっそりと男女のひとときがあっても、盆踊りの雰囲気は全てを妖しく抱き寄せた。


 そして祭りの終わり。

 けれども野鳥の眠れない夜は続く。

 櫓で太鼓を叩き終えた安元が精根尽き果てた様子で呆けていた。

 そこに浴衣姿の里子が労いのカチワリを差し入れたついで、屋台の片付けに追われる人たちを眺めながら昔話を聞かせていた。


「そのりこをからかっていた男の子たちなのですが」

「はい」

「事件以降、りこの事を『あねさん』と呼ぶようになってしまって。今でも謎なのですが一体どうしてなのでしょう?」

 と不思議そうに首を傾げる里子。

 安元はその当時の男子を不憫に思ったが、そこはとぼけるように努めた。


「犯人逮捕に大活躍したからですよ」

「りこがひとりでやったわけでは」


 と里子は照れたように言って夜空を見上げた。

 デネブ、ベガ、アルタイル――どれかひとつでも欠けていれば成立しない夏の大三角形に、里子はほんのりと目を細めた。


「角館さん本当は向こうに戻りたいんじゃ・・・・・・」


 と安元が不安を隠さずに言うと、里子はふるふると首を振った。

「戻りたくありません」

「だってそんな素敵な友達と」

「歩さま。誰にでも辛いことはあります。実を申しますと、りこは貴方と出会った春頃は鎌倉にすごく帰りたかったのです。響ちゃんとバッテリー組んでまだまだ野球をやっていたかったのです」


 里子は深呼吸した。


「でも今は。こちらに来てお友達ができて、もっと自分の事が好きになりました。だから、帰りません」


 と里子は手を後ろに隠して微笑んだ。安元はあまりの可憐さにはっと目を逸らした。


「素敵です。僕には自分を好きなんて自信持って言えませんよ」

「いいえ歩さま、簡単なことですよ」

「え?」

「りこは歩さまの事が大好きです」

「え!?」

「と気持ちをしっかり伝えられる自分が好きなのです。小学生時代のりこでは考えられません」

「えーとそのぉ・・・・・・つまり?」

「歩さまの、真摯で、真剣に物事に取り組んでいらっしゃるその姿勢に、りこは尊敬をしているのです」

「そ、尊敬ですか」

「はい。尊敬ですよ。えい!」


 里子は安元の首にかかる水玉模様の手ぬぐいを奪い取った。

 それから安元のねじり鉢巻と同じように頭に巻こうとしたが、ショートボブの前髪に留めるヘアブローチが邪魔な事に気づいた。


「歩さま、これを預かっていて下さいませ」

 と里子は身につけていたそれを大事そうに手渡した。

「これは・・・・・・」

 里子が鎌倉を離れる事になった日、響からもらったという扇子の形をしたへアブローチ。

 『リコは捕手で捕手は扇の要』という少々安直なセンスの一品だが、安元は強烈に羨ましかったのを覚えている。


「これで。りこは歩さまと同じ太鼓の達人さんです」


 と頭に手ぬぐいを巻いて鼻息を荒くする里子。そして月夜と戯れるように無邪気に太鼓を叩く素振りをする。

 トントントンカラタッタ。

 そんな音が聞こえそうな里子の楽しげな様子を、安元はヘアブローチと照らし合わせた。


「本当に・・・・・・素敵なお友達を持ちましたね」

「響ちゃんにはずっと自信を捨てるなと言われ続けました。最初は自分なんて嫌いで自信なんて無いのに、無いのに捨てるってどういう事なのだろうって思っていました」


 そして里子は太鼓バチを手に取り、両手でドンと一打。邪気を振り払うかのような清々しい一打。


「響ちゃんは自分を愛しなさいと言いたかったのだと思います。りこは自分を好きでいたいのです。これからもずっと、ずーっと」


 夏の夜に響いた太鼓の余韻を抱きしめるように里子は言った。

 それから、しおらしい様子で安元の事を見つめた。5秒、10秒、忘れられないほどの甘美な雰囲気を漂わせて。

 ついに痺れを切らした安元が何か話題を振らねばと口元を動かそうとした時、里子は舌をちょびっとだけ出して自分の頭をこつんこ。

 戸惑いを隠せない安元へ里子はそっと語りかける。


「りこは好きなものは好きとちゃんとお伝えできる人になりたいのです」


 と言うといたずらっぽい笑みを浮かべ、太鼓バチを交差させてウインク。


「からかわないで下さい」


 と安元は顔を赤らめて抗議するのが精一杯だった。

 どこかでフクロウがほうと鳴いた。


 次第に夜の静けさを取り戻してきた雑賀神社。

 盆踊り会場の片付けが一段落し、互いを称え合う盃が酌み交わされる。

 安元はヘアブローチを返した。


「ありがとうございます」と里子は言うと、早速前髪に留めた。

「僕にもいるんです」

「何がでしょう」

「その・・・・・・好きと伝えないといけない人が」

「はい。存じております」

「でもその人は自分のやりたい事に夢中で、僕は僕でついて行くのが精一杯で」

「存じております」

「たまには休んでもいいくらいなのにちっとも休まないんです。今だってこの盆踊り大会の実行委員長のクセに、お家の会合だとかで顔出ししてるし僕なんて思いっきり蚊帳の外です」

「りこもそう思います。でもそれが」


「こーちゃんっぽいです」

「あめあがりさんらしいです」


 と2人同時に言った後、顔を合わせて笑い合った。

 しばらくの間、両者はひとしきり気の済むまで愚痴をこぼしていると、里子が白テントの脇から星野の襟首を掴んで引きずって来る張本人を見つけた。


「歩さま、こーちゃんが帰って来られました」


 と言うと安元は慌てた様子で確認する。やがてその姿を捉えるとくるりと背中を向けてしまった。


「愚痴を散々言ってしまったので・・・・・・」

「何を仰いますか」

「なんていうか罪悪感が」

「それはりこも同じですよ。毒を食らわば皿までです」


 と言った里子は安元の背中を優しく押し出した。手のひらに伝わる安元の温もり。それをいつまでも感じていたかった里子であったが、後ろ髪を引かれる想いでゆっくりと手を離した。


「さあ行ってらっしゃいませ、歩さま」


 そう勇気づけられ櫓を降りていった安元を見届けた里子は再び夜空を見上げ、浴衣の袖を強く握りしめた。

 夏の大三角形にまつわる恋のロマンス。

 そこにデネブにもチャンスがあるエピソードがあるのならば思う存分聞いていたかった。

 そうすれば袖がしわくちゃにならなくて済んだのに。


「りこはやっぱり悪い子です」


 と独りごちて、寂しそうな苦笑いを残し安元の後を追った。

 自分のことをちょっと誇らしく思えた夏の夜。

 だけどちょっとセンチメンタルになった夏の夜。


 そんな祭りのあとの角館里子であった。

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