里子と響【後編】



 ―――――――体育祭本番―――――――



 職員会議で慎重に慎重を重ねて討論した結果、原則、子どもの自主的な解決に委ねる方針をとった。児童の自主性と教員の積極的介入が対立した紆余曲折を経ての決定だったがそれは子どもには関係の無いこと。


 体育祭本番と行こう。


 開催が新学期始まって間もない5月の上旬とあって穏やかでのほほんとした雰囲気の体育祭だと思われたが、そんな事はなく、新緑の薫風を巻き起こすようなエネルギッシュな若者の生命をまざまざと見せつけられる体育祭となった。

 しかしその雰囲気からつまみ出されるように、角館里子かくのだてりこは実力を発揮できず結果が出ずにいた。


 100m短距離走ではせっかく僅差で1位だったのに、隣りの走者の落胆ぶりを慮るあまりスピードを無意識に緩めてしまい次点に甘んじた。


 柔らかいお手玉の代わりに野球のM球を使用した球入れ競走では気合いの入った仲間に球をどんどん譲ってしまい、ようやく自分の投げる球を掴んだ時には競技終了という情けない結果に。しかも球を返しそびれるという始末。


 6年生学年総合ダンスでは、自身の体の大きさを気にして目立ちたくないが故になんともキレの悪い覇気の無い踊りになってしまった。


 里子は行事で最も大切な『自身が楽しむ』という事ができないでいた。

 その里子の消極的な光景をずっと見ていた松坂まつざか・ロドリゲス・ひびき。イライラは頂点にまで達していた。

 そして我慢の限界を超えた響は、最終種目のクラス対抗障害物リレーが始まる前、里子に発破をかけに行ったその時――事件は起きた。


 そろそろリレーに向かう児童の列にフルフェイスメットを被り、全身が黒い身なりの男性と思しき犯人がすーっと紛れ込んできた。

 そして生意気そうだという理由で近くにいた本多壱狼ほんだいちろうを捕まえ、首筋にナイフを突き立てた。壱狼の周りにいた児童は蜘蛛の子を散らすように一斉に逃げ惑う。


「全員動くな!動くとコイツがどうなっても知らないぞ!」


 そう言って犯人は壱狼の危機的状況を周囲に見せつけた。児童の足はすくみ、対処にあたろうとした教員や保護者は金縛りにあったように全く動けなくなった。壱狼は恐怖に震え失禁寸前だった。


 響は運良く茂みに身を隠すことができた。しかし犯人の命令に従う気もなかった。

 里子が犯人の近くであわあわして逃げ遅れていたからである。

 その距離が10mと近く、身長で目立つ里子に犯人の凶刃が届く可能性は極めて高かった。


「よしやっちまおう」


 と無謀にも犯人と対峙する事を決めた響。慎重に姿勢を低くして歩き、犯人にバレないよう背後から距離を詰める。響にはある秘策があった。

 響の目線は常に犯人のフルフェイスメットを捉えていた。


「おいお前」

「そいつを放してアタシを人質にしな」


 そうして壱狼は解放され首尾よく人質になった響は、早速犯人の腕を思いっきり噛んだ。

「うがぁ!」

 痛みで手からナイフを落とし、怯んで姿勢が低くなった犯人。好機だ。響はフルフェイスメットを持ち、勢いよく引っこ抜いた。

 響は勢い余って尻餅をついてしまったが、すかさず無理な態勢からフルフェイスメットを里子へとパス。


「そいつを被れリコ!」


 なんの事か分からないが響に言われるがまま、里子はフルフェイスメットを被った。

「へへん。最高の試合パルティードにしてやろうぜリコ」

 そう言った響に呼応するように、里子の血流が大渦を巻いて身体中の駆け巡った。湧き上がってくる力、里子は喉がはち切れるほどに叫んだ。


「締まっていくぞオラァァァァ!」


「ナメた真似しやがって・・・・・・クソガキが」と青年の犯人はナイフを拾い、殺意溢れる瞳で響を見下ろした。犯人はナイフを逆手に持ち替えた。

 すると各所より悲鳴があがり、響に逃げるよう叫ぶ者もいた。しかし響は足首を押さえ顔をしかめていた。

「やば。響ちゃん、ちょっと危機アプロス

 フルフェイスメットを引っこ抜いた際、足首を捻っていたのだ。


「生贄第1号」と冷たく言い放ちひたひたと響に歩み寄る犯人。

 里子は今にも飛びかかろうとしたが響の命と距離を考慮するとそれは不可能だと判断した。

 救出の可能性を探るため燃え盛るような思考を巡らせる中で、里子の視線は未だ片付けされていなかった球入れ競走のカゴを捉えた。

 そこに一陣の冷えた思考が吹き込んだ。

 返しそびれていたM球があったではないか。

 スローイングの正確性には自信があった。

 球速こそ出ないがその距離10mとソフトボールのバッテリー間の長さならば十分に威力の高い送球ができる。


 里子は焦点を犯人の顔に絞った。

 ポッケから球を取り出し、闘志剥き出しの投球動作に入る。


「響ちゃんに手を出すな」


 同じ時、犯人は響目掛けてナイフを振り下ろした。響は振り下ろされる銀色の刀身がやけに綺麗に見えた。間もなくその時が訪れる。響はせめて笑っていようと微笑んだ。


 ガツン!


 衝突音が緊迫の校庭に響いた。


「うが・・・・・・っ!」

 犯人は頭を抑えてよろめき、そして白目をむいて倒れた。ボールが地面に落ちた音で我に返った響が、飛んできた方へ顔を向けるとそこには、躍動した残滓が色濃く残る投げ終わった直後の里子の凛々しい姿が。


「へへっ、ゲームセットだな」


 響が安堵して言うと、里子はメットを捨て去り駆け寄ってきた。響は功績を称え、拳を突き出しがそれに里子はスルー。

 唖然とする響を後目になんと里子は失神した犯人を懸命に心配していた。


「大丈夫ですか?大丈夫ですか?!ごめんなさいごめんなさい、りこが悪い子なばかりにこんな事になってしまってごめんなさい!」


 響は天を仰いだ。

 青空と白い雲のどこと無く締まりのないコントラストが事件の終息を表しているように響は感じた。


「お前その他人ファースト直せよ。まあ、その方がリコらしいけどな」


 と響は独り言を呟き、諦めたように苦笑いを浮かべた。

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