百年に一度のどんちゃん騒ぎ
奈良ひさぎ
百年に一度のどんちゃん騒ぎ
街は大騒ぎだった。
俺は就職してから五年、この片田舎とでも表現すべき街で暮らしてきた。いや、『街』と言えばもっと規模がでかくて、人通りも多いようなところを指すだろうから、『町』と書くべきだろうか。
そんなこの町に、かつてないほどの人が溢れていた。駅前の大通りはもちろん、そんなところ子どもの頃の肝試しにしか使わねえよ、と言いたくなるほどに狭くて、昼間から暗い道にまで。この町にはこんなに人がいるのか、と俺はただただ驚かされる。
「この騒ぎは何ですか」
「知らないのかい、お前さん」
「ええ……まあ」
「仕方ないね。こんなこと、百年に一度あるかないかってところだからね」
前々から騒がしかったというわけではない。たまたま平日に有給を取っていて、社宅の狭いワンルームで目を覚ましてみると、そんな風に外がどんちゃん騒ぎだったのである。それで外に出てみて、偶然目の前を練り歩いていたおばあさんに聞いてみたというわけだ。
「百年に一度?」
「ああ、そうだい。わたしも初めてのことだけどねえ。何だか嬉しくなってしまって」
どうやらそのおばあさんも、何があってこんなに騒がしいのかということは分かっていないらしかった。みんな騒いでいるから、自分もその中にいるという感じ。確かにあちこちで祭囃子が聞こえるし、おばあさんも楽しそうではあった。が、俺はそうではない。何せ人生で初めてのことだし、訳も分からずあちこちで聞こえるめでたそうな音楽に合わせて辺りを練り歩くのも、何だか気味が悪かった。
「誰か事情を知ってそうな人はいますかね」
「さあね……わたしよりも年取ったもんに聞けば、分かるかもしれないね」
「分かりました……ありがとうございます」
この時の分かりましたは、理解したという意味ではない。とりあえず相槌を打っておかなければならない、と思った上での生返事だ。つまり俺は、何も分かっていなかった。そして踊り出したい気分にもならなかった。
「あー……何か買いに行くか」
寝起きに訳の分からないことがあったせいで、とても朝飯を食う気にはなれなかった。特に買いたいものも思いつかないまま、俺はいつも世話になっている、社宅から徒歩五分のところにあるコンビニへ向かった。
「らっしゃーせー」
この声を聞くと落ち着く。いつものバイト君だ。このコンビニにはそれほど頻繁に客が来ないので、世間話をするくらいの余裕は互いにある。
「外の騒ぎ知ってる?」
「ええ、何かどんちゃかやってますね。今日って何か特別な日なんですか?」
「いや、知らない。俺ここに来て五年だし。百年に一度あるかないかの話だとは聞いたけど」
「ボクも知らないっすよ、ここに来てまだ全然ですし」
バイト君はもともとここよりもっと田舎出身で、大学進学のタイミングでこっちに出てきたらしい。一人暮らしの傍ら、精力的にバイトをする真面目なやつだ。人ばかりやたらと多い都会と違って面倒な客は来ないだろうし、だいぶやりやすいはずだ。もっとも、そもそもの客が少ないから、対人スキルを磨けるのかどうかは疑問だが。
「みんな揃いも揃って踊ってんだよな。何がめでたいかも分かってないのに、囃し立てる音が聞こえたら、踊りたくなるんだと」
「外を歩いてるんすか?」
「そうそう」
「今も外にいます?」
「ああ、いるよ。ほら」
コンビニの自動ドア越しにも、どんちゃかどんちゃかという音に合わせて踊るお年寄りがたくさん見えた。中には俺よりちょっと歳を食った程度の兄ちゃんもいた。のだが。
「え? 見えないっすよ」
「え?」
「どんちゃかどんちゃかとは聞こえるんすけど……」
そんなはずはない。これだけの人が見えないなんて、どうかしている。
「あれじゃないすか? 最近仕事で疲れてるんでしょ。見えちゃいけないものが見えてる、的な」
「……マジ?」
「ちゃんと休まないとダメっすよ?」
「あいにくバイト君みたいな楽な仕事じゃねえんだな、これが。しかも俺、大して仕事できるってわけでもねえし。残業パレードだ、残業パレード」
それにしても見えすぎだろ、これ。どんだけ疲れてんだよ。
まあ帰ってもっかい寝りゃ治るだろ、と俺は思い直して、缶コーヒーを五つ買ってコンビニを出た。その時だった。
「やァやァ。これは生者の方」
「誰」
「ここらは死人ばっかりで困るなァ、全く」
いかにも江戸時代の庶民、といった格好をした小柄な男が、コンビニの前にいた。初対面のはずの俺に、そうして旧知の仲であるように話しかけてきた。
「死人って……やっぱ疲れてんだ、俺」
「いやいや、そんなことねェよ。死んだ連中が見えるってのは、大して珍しいことじゃァねェ。最近では見えねェって奴も多いがな」
かぽっ。
そんな音を立てて、当たり前のようにそいつが首から上を外して右腕に抱えてみせた。さすがにギョッとするが、吐き気はしない。まるで人形のように首を外したからだ。そして身体から切り離されたはずの首が、そのまま話し出す。
「オレは昔からここにいるから、知ってる。お前さんは知らないと見た」
「……よくご存知で」
「これは百年に一度、死人を黄泉の国から呼んできてもてなすって祭りなのさ。百年に一度やりゃァ、夏にやろうが冬にやろうが構わねェ。しかしそりゃァ盆の時期があるだろと思うだろ?」
「ええ、まあ……」
俺の疑問を先回りして言われてしまった。男は俺の相槌にうんうん、とうなずき、話を続ける。
「ところが盆ってのは、この世で徳を積んだ奴しか帰ってこれねえ。オレみてえな罪人は、黄泉に置き去りってわけよ」
「……ほう」
「ただし罪人にも家族って奴はいる。しかし黄泉では一人ぼっち。だからこうして、百年に一度はこの世に戻ってきて、おかみさんやせがれに会えるようにしてるってことよ」
「それは……昔からあったんですか」
「おうよ。ずうッと昔からあるって話だぜ。そしてこれはどこでもやってる」
「どこでも」
ごほん、とわざとらしい咳払いの後、男が得意げに続ける。饒舌な人だ。
「ここはその昔、つってもオレの時代だけどよ。百姓がまとめて一揆を起こしたのさ。捕まってまとめて首をはねられて、この辺りはみんないなくなっちまった。それからいくらか人が住み着いては、みんな公方様に盾ついて、死んじまった。だからここは死人がやたら多いのよ。それでこの騒ぎってわけだ」
「……つまり、いつもより豪華な盆ってことですか」
「ああ、そうよ。生者からすりゃあそういうこった。しかも百年に一度だから、知らねえままあの世に行く奴もいる。お前さんは幸せモンだぜ」
いつもより多くの死者を迎えて、生者と死者が入り混じって祭りを楽しむ。そしてめったにないその瞬間に、俺は三十路にもならないこの歳で立ち会っている。そう考えると、ちょっと楽しくなってきた。
「死人はお前みてェな、オレたちが見える奴には優しいぜ。特に公方様に刃向かった奴は、家族のありがたみってのをよく知ってる。知った上で、やむなく逆らってんだからな。お前さんにも、死者とそうでねェやつの区別はつくだろ?」
「ええ、まあ」
「じゃァ問題ねェ。楽しんできな」
すでに酒を呑んで出来上がっていたのか、男は満足そうによちよちと、どこかへ行ってしまった。そして俺の足取りも、軽くなっていた。
「……ま、早起きもたまにはいいってことだな」
俺は缶コーヒーをくっと一本飲み干して、ゴミ箱に空き缶を投げ込む。それからさっきの男のように、久々にこの世に戻ってきた人に話しかけてみようと、意気揚々と歩き出した。
百年に一度のどんちゃん騒ぎ 奈良ひさぎ @RyotoNara
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