最高のひな祭り!

暁烏雫月

最高のひな祭り

 お内裏様とお雛様。雛壇に並んでる。どこか嬉しそう。お歌に出てくる「すまし顔」にはとても見えないの。小さなぼんぼりはコンセントを挿して、明かりが灯れば大丈夫。


 雛人形よし、飾り付けよし。あ、そうだ、ご飯の用意!


「お母さん! 今日のお夕飯はなあに?」

「ちらし寿司とお吸い物とおひたしよ」

「ねぇねぇ、お菓子用意してもいい? きっとね、杏里も食べたいと思うの」

「……そうね。せっかくだし、机の上に並べとこっか。お願いしてもいい?」

「うん!」


 杏里が帰ってくる。ひな祭りの日に、何ヶ月かぶりに杏里が帰ってくる。帰ってくるって言ってもたったの一泊二日らしいんだけど。でもでも、今日は杏里のためにも最高のひな祭りにしなきゃいけないの。


 今日のために集めたお菓子をテーブルの上に並べていく。雛あられ、桜餅、桜まんじゅう、どら焼き、三色団子、菱餅、名前わかんないけど寒天の甘いやつ。杏里は寒天のやつが一番好きなんだよね。


 杏里、ご飯食べられるかな。一緒にお菓子食べたり出来るかな。久々に杏里に会うんだけど、会うのが少し怖い。何も変わってなければいいんだけどな。


「あかりを、つけましょ、ぼんぼりにー。おはなを、あげましょ、もものはなー」


 玄関から、よくお店とかで流れてるのよりスローテンポなひな祭りの歌が聞こえてくる。今にも消えてしまいそうな声だけど、すごく楽しそうに歌ってる。


「ごーにん、ばやしの、ふえ、たいこー。きょーうは、たの、しい、ひな、まつりー」

「ただいまー。杏里を連れてきたよー」

「ただいまー」


 リビングの扉が開くとまずお父さんが入ってきた。続いてお父さんに手を引かれた杏里が入ってくる。久々に見た杏里の姿に、思わず目をそらす。それを杏里に知られないように、テーブルの上に並べたお菓子を選ぶフリをした。


 最後に見たときよりさらに痩せてた。おそろいの黒髪が無くなって、ニット帽を被ってる。そんな杏里の顔には眉毛もまつ毛も、色んな毛が無くなってた。それなのに、杏里はなんてこともないように笑ってるの。


「お菓子、沢山あるなー。どれがいいかなー」


 慌ててつぶやいた言葉はちょっとわざとらしくなっちゃった。杏里が好きだった寒天のやつと、私が大好きな桜餅を手に取る。そして、覚悟を決めてからもう一度杏里と目を合わせた。


 私でも青白いってわかるくらい顔色が悪い。目の下には濃いクマがある。可愛いまん丸のほっぺたはどこかに行っちゃった。元々小さかった手はもっと小さくなって私に伸びてくる。


 喉の奥が痛い。目が熱い。けどそれを、杏里に知られちゃいけない。チラッと台所にいるお母さんを見たら、手で目を覆って体を震わせてた。私が頑張らなくちゃ。


「杏里はどっちが――」

「ゆーちゃん、泣かないで?」


 杏里の指がそっと私の目の下を撫でる。泣いてなんかいないもん。お父さんとお母さんが泣いてないのに、泣くわけにはいかないもん。


「泣いてないよ。さあ、杏里。選んで? どっちが食べたい?」

「じゃあ、こっち」


 杏里が選んだのは、大好きなはずの寒天のやつじゃなくて桜餅だった。私の手から桜餅の入ったプラスチックケースを奪い取ると、元気に雛人形に向かって走っていく。私は急いでそれを追いかけた。


 雛人形はリビングのテレビの上に飾ってある。杏里は桜餅のケースを抱えたまま、キラキラした眼差しで雛人形を見上げていた。細くて小さな体のどこにそんな元気があるのか不思議に思うほど、杏里ははしゃいでいた。


「ゆーちゃん! ぼんぼり! お内裏様! お雛様!」


 ピョンピョン飛び跳ねながら雛人形を指で示して声を上げる。ぼんぼりに明かりを灯しておいてよかった。電気でも明かりが灯ってればいいんだよ。それだけで杏里が喜ぶから。


 杏里の隣に移動すると、杏里が桜餅を手渡してくれた。一緒に食べながら雛人形を見ようってことみたい。せっかくだから雛あられの袋を引っ掴んで、杏里をソファに座らせる。


「おだいり、さーまと、おひな、さまー。ふーたり、ならんで、すまし、がおー」

「およめにいらしたねえさまにー、よく似たかんじょのしろいかおー」

「きーんの、びょうぶに、うつるひをー。かすかに、ゆーする、はるの、かぜー」

「ちょっと待って。この歌三番もあるの?」

「ゆーちゃん、知らないの?」

「うん、知らない」

「そっか。看護師さんがね、教えてくれたんだよ」


 杏里と私が話している姿を遠くからお父さんが動画撮影してる。お母さんは料理を再開した。酢飯のいい匂いがする。けど、杏里の持ち帰ってきた病院の匂いがそれを邪魔してる。


「ゆーちゃん」

「どした?」

「杏里、頑張るから。頑張って、病気に勝つから」

「うん?」

「だから」

「だから?」

「来年も再来年も、ずっとずーっとお雛様見るの。絶対に見るの。ゆーちゃんの卒業式にだって、行くんだからね」

「私の卒業式って何年も先だよ、杏里」

「いいの! 絶対に行くの! それまでに家に帰ってくるの」


 杏里は病気の治療で一年の大半を病院で過ごしてる。院内学級とかいうので一年生になった。来年も院内学級にいるのか、いつになったら家から地元の小学校に通えるようになるのか。お母さん達は私に何も教えてくれない。


 病気との戦いはまだ終わってない。明日になればまた、病院に戻って治療を受ける。今日は偶然、治療が落ち着く時期とひな祭りが重なっただけ。次杏里に会えるのは……。


「そこの可愛いお雛様達。ちょっと早いけどご飯にしませんか?」


 いつの間にやってきたんだろう。お母さんがおどけた口調で後ろから声をかけてきた。テーブルに目をやれば、カラフルなちらし寿司がど真ん中を陣取っている。


「食べる!」

「杏里、走っちゃダメだって!」


 お母さんの一声で杏里はすぐさま狭いリビングの中を走り出す。よほど嬉しかったみたい。走り回る杏里をお父さんが抱きしめることで止める。ホッと一息つくとお母さんが私の背中を優しく叩いて耳元に口を寄せてきた。


「ありがとう、悠里」

「……何もしてないよ。ただ、最高のひな祭りにしたいだけだもん」


 急に言われたありがとうがなんだか恥ずかしくて、逃げるように杏里の元へ向かう。顔色は相変わらず悪いけど、目の下のクマもちっとも良くなってないけど、それでも杏里は満面の笑みを見せてくれた。


 ひな祭りのご馳走とお菓子。久しぶりに家族四人で過ごす時間。そしてもう一つ、杏里に渡すものがある。お菓子の山に隠していたそれを引っ掴むと杏里に声をかける。


「杏里」

「ゆーちゃん!」

「これ。家の雛人形には負けるけど、持ち歩けるお雛さん」


 今日のために、下手くそなりに頑張って作った折り紙のお雛様。家のはお雛様とお内裏様しかいないけど、こっちは三人官女も五人囃子だかもいるんだぞ。ちゃんと赤い台に乗ってるんだぞ。


 季節外れでもいい、病室に飾ってくれれば。お雛様に込めた願い事なんて、杏里は知らなくていい。私なりの、千羽鶴より良く効く飾り物だもん。


「すごい! ゆーちゃん、すごい!」

「でしょ」


 ただでさえ頑張ってる杏里にこれ以上頑張れなんて言えない。流れ星や神様に願う事なら数え切れないほど繰り返した。それでも願い事なんて誰も叶えてくれないんだ。


「杏里」

「なに?」

「来年は今年よりもっとすごいひな祭りにしようね。お姉ちゃん、杏里のこと待ってるから」


 バイバイもまたねも言わない。今日一緒に寝て、明日は別れの言葉なしで見送る。別れの言葉が現実になったら嫌だから。特別なお祭りの今日なら、お雛さんが杏里の幸せのために願いを叶えてくれる気がするから。だから――。


「ゆーちゃん。お雛様、笑ってる!」


 お内裏様とお雛様。すまし顔じゃなくて嬉しそうな顔に見えたのは私だけじゃなかったみたい。二人並んだ姿は何度見てもやっぱり、嬉しそうに笑ってるように思えた。


「はーるの、やよいの、この、よきひー。なにより、うれしい、ひなまつりー」


 杏里のやけにスローテンポな歌がリビングを明るくしていく。お父さんとお母さんが杏里に合わせて手拍子を始めた。同じフレーズを繰り返し歌う杏里。気がつけば私もつられて歌い始めていた。

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