第9話【空野鷹 目線】
「潤すのは喉かい? 心かい?」
先日のお茶を買いに教室を出ると、見知らぬ奴が話し掛けて来た。 制服にバッチが無いから分からないが、同学年だろうか。 酷く白い肌に、ほとんど開いてないような狐目と薄ら笑い。恐らく特待生だが、その割には堂々と棚の上に体育座りをしている。
「この学園との別れはほぼ確定だね」
「お前は誰だ」
「折角愛しの兎に出会えたのに」
心臓が、高鳴る。
狐目の男は笑みを深くして、軽々と棚から降りた。
「餞別に良い事を教えてあげる」
「……」
「これから君は愛しい兎と逢う。 しかし、そこで兎は君が怖い怖い鳥ということを知る」
「!!」
「まぁ、落ち着いて聞きなよ」
彼には。宇佐見優兎には知られたくない。僕がどれだけ残虐に生き、冷酷に育ち、どのような目を向けられているか。あの大きくてキラキラした瞳で精一杯僕を見つめて、満面の笑みを浮かべてて欲しい。やっと。やっと会えたんだ。
「しかし兎は真っ白だから、全力で君を庇う。 その姿を烏が茶化した時、君にとって『一番望ましく無いこと』が起きる」
「望ましく無いこと?」
「だけどそれを越えると君にとって『一番望ましいこと』が起きる。 つまり幸福の風が吹く。 その風を起こすために君がやらなきゃいけないことは、ただ一つ」
狐目が少しだけ開いて、微かに見えた深い色の瞳に、思わず息を飲む。
「何もせず、何も言わず、間抜けに踊る兎の様を見守ること。 望ましく無いことが起きても、ただ黙っているんだ」
記憶した?と悪戯に首を傾げた男は、大きく伸びをして僕に手を振った。
「お前、何なんだ」
「通りすがりの神の使いだよ。 ただの独り言として受け取ってくれて構わない、どうするかは君次第さ」
呆然としてる間に男の姿は消えた。 落ち着かない気持ちで自販機にお金を入れると、耳を擽る愛しい声が聞こえた。
「空野先輩!」
“これから君は愛しい兎と逢う”
「……奇遇、だね」
“しかし、そこで兎は君が怖い怖い鳥ということを知る”
狐目の男の予言は次々に当たった。
「恋人になれって言ってんの」
一番望ましく無いことが起きて、
「空野先輩と付き合います」
一番望ましいことが起きた。
宇佐見優兎。
僕が欲してやまなかった存在。
優しくて、暖かくて、日だまりのようで。 小さな体から発せられるその温もりを、本当は独り占めしたい。本当は。君に触れる全ての物を、消してしまいたい。でもそうすれば君は泣く。泣き顔は好きだけれど、嫌われるのは真っ平ごめんだ。
君が嫌だと言うから、“力は捨てた”。君が嫌だと言うなら、この顔を潰したって構わない。君が望むなら、僕は喜んでこの命を投げ捨てよう。“ただ、その時は君も一緒に”優しくは、出来ないかもしれない。力一杯抱き締めてめちゃめちゃにしたくて、今も手が疼いているから。でも、大切にはする。何があっても愛し抜く。僕には君しかいない。君しかいらない。
「空野先輩、あ、の……」
「ん?」
「……いえっ! 何でも無いです、また明日!」
君と初めて出会った時、僕は初めて呼吸をした。君を見つめて、初めて心臓が鳴った。全身に血液が巡り、暖かさを知った。君のいない世界はただ冷たく、白黒で、生きていることすら危うい。だから、僕から離れていくのなら。いっそ、殺して。それが出来ないなら。
「……道連れだよ」
もう、僕の生きる道は君の上でしか成り立たないのだから。
冷酷鷹と弱虫兎 砂糖菓子屋 @chinomea
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