瑞鳥の刺繍

良前 収

罰と謝罪

「ほら、舞巫女まいみこさまよ」

「本当みじめよねえ」


 嘲笑混じりのひそひそ声が聞こえ、フェブラははさみを持つ手を一瞬止めた。だが素知らぬ顔を装ってまた動かし始める。

 開け放した窓の向こうの巫女たちはフェブラの動揺を分かっているのかいないのか、話を続ける。


「自分で足をくじくなんてね」

「不注意にもほどがあるわ。巫女長さまもカンカンでしょう?」

「そりゃもうすごかったらしいわ。それで彼女は今、こんな大部屋にいるわけ」


 クスクス笑い。大部屋住みの下巫女は、個室持ちの上巫女にめったなことでは逆らえない。だからこそのさげすみだ。

 フェブラが離れ持ちの舞巫女だった三日前までは、彼女たちもひたすら辞を低くしてフェブラのご機嫌を取ろうとしてきたものだったが。


 舞巫女は「晴れの祝祭」で奉納舞をする特別な巫女だ。年ごとに六人が選ばれ、それぞれに離れと特上の待遇が与えられて舞の稽古けいこに明け暮れる。

 祝祭が終わればその後は神殿幹部への道が待っている。貴族出身だと実家へ戻ってとびきりの名家に嫁ぐこともある。いずれにせよ、巫女になった娘にとっての最高の花道だ。


 それをふいにしてしまったのは、まったくフェブラ自身のせいだった。


 際限なく続くあざけりの言葉と視線に耐えながら、彼女は糸切り鋏を操って布地から刺繍を取り除いていく。

 白の絹布に刺繍されていたのは金の瑞鳥だった。祝い事、特に祭りや婚礼などの際に女性が身につける最上級の晴れ着に用いられる柄である。

 フェブラが奉納舞で着るはずだった衣装から、刺繍を全て取り除くこと。それが巫女長がフェブラに与えた仕事――罰だった。


 本来なら晴れの祝祭が間近に迫った今の時期、一人たりとも遊ばせておく余裕はない。だが、杖にすがらなければ歩けないフェブラは何の仕事もできない。だからこそだった。

 窓の外の巫女たちも満足したのか、彼女たちの仕事に戻っていく。フェブラはただ黙々と瑞鳥を切り刻み続けた。


 ◇


 あの時、フェブラは離れから少し山へ入ったところにある岩場の泉で水浴をしていた。独りで行う、それも儀式の一つだった。

 ごく薄い絹の衣だけを身につけ、腰まで泉に浸して上半身にも滴るほど水をかける。そして水神への祈りの言葉を唱えようとした時――頭上でガサッと音が鳴った。


 驚いて跳ね上がったフェブラの目と、木の枝にしがみついている小さな男の子の目が、合った。

 慌てて動こうとした男の子の腕がずるっと枝から落ちる。


「危な……!」


 考える前に体が反応していた。男の子の落ちてくる位置に飛び出す。両腕で抱きとめ、そして片足が水底の岩の上で、滑った。

 バッシャーンッと水しぶきが上がる。


「ゲホッゴホッ……」

「大丈夫!?」


 大丈夫でないのはフェブラの足首だったが、その時は夢中で気がつかなかった。


「はい、大丈夫……」


 男の子はフェブラの腕に支えられて泉の中に立った。


「ありがとうござ――」


 そこへ大声が聞こえた。


「オーグ!? どうし……」


 振り向いた男の子がぱっと駆け出す。


「兄さま!」


 男の子は転ぶこともなく泉から上がり、兄と呼んだ青年に飛び付く。

 一方その青年は、フェブラを凝視していた。

 彼女ははたと自分の姿を見下ろす。薄い衣だけで、水にぐっしょり濡れて、身体の線が完全に露わになっていて――。


「キャアアアアアア――っ!!」


 フェブラは叫んで両腕で胸を隠した。


「すっ、すまないっ!」


 青年も叫び、弟を担ぎ上げて回れ右する。そして一目散に逃げていった。


 ◇


 フェブラは周囲に「自分の不注意で泉で転んだ」とだけ言った。実際にそうだったから。

 転んだのは男の子のせいではない。それに神殿の土地へ勝手に入り込んであまつさえ木登りをしていたと知られれば、よほど高い身分の貴族でない限り、重い罰は免れない。

 青年にはちょっと、いやかなりの罰が与えられてほしかったが。


 白絹にあかい夕日の光が映っていた。瑞鳥はやっと一羽が取り除かれたところだった。

 こんな柄を着ることなんてもう二度とないんだろうな、と思う。

 十八才になると――舞巫女を勤めた者以外は――巫女を辞する決まりだ。平民の出のフェブラは、実家に帰っても厄介者扱いされるだけ。神殿に残って下働きでもするのが一番現実的だ。


 はあ、とまたため息が出た時だった。


「いた!」


 声と走る足音に顔を上げて吃驚びっくりした。


「あなた……!」

「やっと見つけた! こんな所にいたんだ!」


 木から落ちてきた男の子だった。


「ねえ一緒に来て!」

「ちょ、待っ……!」


 いきなり腕を引っ張ってくる男の子に、フェブラは慌てて杖を取る。男の子が彼女の足の包帯を見て、はっとした顔をした。


「ケガしてるの?」


 おろおろしだしたが、


「少し待ってて! どこにも行かないでね!」


 また走っていってしまう。

 目を白黒させながらフェブラは椅子いすに座り直した。と、すぐにまた足音がする。


「こっち、こっちですよ兄さま!」

「お待ちください、オーグ殿下、マルス殿下!」


 あれ、これは巫女長の声、と首を傾げたところに、男の子ともう一人が大部屋に入ってきた。

 反射的にフェブラは叫んだ。


「キャアアアアアア――っ!!」


「すっ、すまないっ!」


 青年もまた叫んだ。


「何という無礼を!? 申し訳ございません!」


 遅れて入ってきた巫女長がフェブラを叱りつけてくる。


「いきなり叫ぶなんて、謝罪なさい、フェブラ!」

「だ、だだだ、だって……」


 口を開け閉めしていると、青年が歩み寄ってきて、ひざまずいた。


「謝罪するのは私のほうだ。あの時は本当にすまなかった、私も、弟も」

「ごめんなさい」


 男の子も青年の横で頭を下げる。


「まさか、マルス殿下がお探しの巫女というのは……?」

「ああ、この女性だ」


 青年はフェブラに手を差し出してくる。頬が上気していた。


「私に、謝罪の機会を――罰を受ける機会を与えてもらえないだろうか」


 彼女は何が何だか分からず、ぽかんとするしかなかった。


 そんなフェブラが再び瑞鳥の刺繍の衣装を着たのはちょうど一年後、マルス王子殿下との婚礼の式でのことである。

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瑞鳥の刺繍 良前 収 @rasaki

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