巡魂祭

紫月音湖*竜騎士さま~コミカライズ配信中

巡魂祭

「あぁ、もうそんな時期かい」


 カランッと赤い鼻緒の下駄を鳴らして、桔梗は手にした煙管を静かに吸い込んだ。自身の名前と同じ花の模様が描かれた煙管は彼女の細い指に良く似合っていて、口に出したことはないけれど、僕は彼女が煙管を吸うその美しい姿が好きだった。


 黄昏色に染まった石畳。その脇に並ぶ縁日の屋台。続く道の先に、一本の大樹が聳え立っている。

 並ぶ屋台から少しだけ外れた場所に設けられた長椅子に腰を下ろし、桔梗が僕を手招きした。並んで座ると、どこで買ってきたのか三色団子を二人の間に広げて笑う。


「三色団子の意味は知ってるかい?」


 聞いたことがあるような気がしたけれど思い出せなくて、僕はゆるりと首を横に振った。


「ピンクが春で、白が冬。緑は夏で……そうしたらひとつ足りないねぇ」


「……秋」


 ぽつりと呟くと、桔梗が紅をさした唇を引いて口元に笑みを作る。


「そうさ。秋がない。だからいくら食べても飽きが来ない……ってね」


 けらけらと笑って煙管を一息吸い込むと、僕の好きな美しい指で団子の串を摘まんだ。


「そうは言っても、もうずぅっと同じものばっかり食べてちゃ、さすがにアタシも飽きが来るよ。でも今日はせっかくの祭りだからね。美味しく頂こうじゃないか」


 桔梗が団子を食べ始めると、いつの間にか長椅子の上に二人分のお茶が用意されていた。湯飲みから立ち上る湯気から、少し濃いお茶の匂いが立ち上る。

 ぼんやりとしていた僕を見て、桔梗がどうしたのかと首を傾げた。何だか心配をかけてはいけないような気がして、僕は慌てて団子に齧り付く。一口で行けそうな気がしたのに、いつの間にか僕の口はとても小さくなっていたようだった。




 団子を食べ終えて、桔梗と一緒にお茶を飲む。満腹感はないけれど、心は温かく満たされていた。


「さて、と」


 湯飲みを置いて、桔梗が立ち上がる。


「そろそろ時間だ」


 そう言って座ったままの僕に差し出した手は、やっぱり白くて美しかった。その手を見つめたまま動こうとしない僕に、桔梗は眉根を寄せて少し困ったような顔をした。深い夜を思わせる濃藍色の瞳が微かに揺れる。


「そんな顔するんじゃないよ。今日はお前さんにとって最高の日じゃないか。笑っておくれ。アタシに、笑って見送らせておくれよ」


「……」


 名前を呼んだつもりが、音は出なかった。なぜだかとても悲しくなって見上げた視界に、哀愁を帯びた笑みを浮かべた桔梗が立っていた。その背の向こうに、天を突くほどの巨大な大樹が見える。さっきまでは濃い緑色の葉を茂らせていた大樹が、今は仄かに白く光り輝いていた。


「ほら、見てご覧。綺麗だねぇ」


 振り返って大樹を見上げた桔梗が、その視線を再び僕に向けて右手を差し出した。


「お前さんの新しい門出だよ」


 恐る恐る重ねた掌。僕の好きな美しい桔梗の手はとても柔らかくて、そして優しい熱で僕の小さな手を握り返してくれた。





 白く輝く大樹。その枝いっぱいに抱いた白い花の蕾が、呼吸するように点滅しながら発光している。

 大樹の下に来ると、自分の体がひどく小さく感じられた。同じ目線だったはずの桔梗さえ、今では見上げなければその顔が見えない。桔梗と繋いでいた手は、もう輪郭を失っていた。


「大丈夫さ。なぁに、怖くないよ」


 子供をあやすように、優しく語りかけてくる。その声はひどく心地がいい。


「お前さんはひとりじゃない。ほら、一緒に帰る子らがあんなに沢山いるじゃないか」


 指差され、見上げた先に白い蕾。僕を呼ぶように点滅する。


「今日はお前さんたちが生まれ変わる最高の一日だ。ここでは巡魂祭じゅんこんさいと呼ぶんだがね。……まぁ、名前なんてどうでもいいか。めでたい門出の日だよ。祝い酒が団子と茶で味気なかったが許しておくれ」


 鮮やかな紅を差した唇を引いて、美しく笑う……おんなの、ひと。

 名前を知っていたような気がするけれど、記憶が、意識がどんどんと曖昧になっていく。同時に辛うじて形を留めていた体がふっと霧散し、僕の体だったものは淡い光の粒子になって大樹へと引き寄せられていく。

 もうないはずの視界に、僕を見上げる綺麗な女の人が映って――消えた。




 輪廻に根を張る大樹。その枝に、またひとつ小さな蕾が膨らんだ。



「さぁ、行ってらっしゃいな。なぁに、寂しくなんかないさ。……お前さんたちが幸せになってくれれば、それが最高の贈り物だよ」


 大樹の抱く蕾が開く。一斉に、その小さな花びらを震わせるように花開く。

 柔らかな風と共に舞い上がる白い花びらに魂を乗せて、再び人の世へと帰って行く。


「幸せにおなりよ」


 ゆっくりと吐き出した煙管の煙は女の願いを乗せて、風と共に消えていく花びらの光を追うように流れていった。


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