第41話 一緒に帰るか
パリの街並みは日ごとに移り変わっていく。太く伸びるシャンゼリゼ通りのとある店の前、ステッキを片手に歩くルカはふと歩調を緩めた。
「新しいカフェができたのか。いつの間に……」
ドアにぶらさがっている木のプレートには「準備中」とあって、ルカは傷一つない窓ガラスを見ながら、ぽつりとひとり言を零した。ガラスに映りこんでいる自分の顔は思っていたよりも晴れやかだったから、思わず眉を下げてしまった。
早朝のシャンゼリゼ通りはまだ人通りが少ない。いつもは観光客でにぎわっている店もしんとしていて、心なしか空気が澄んでいるように思える。パリでもエソワでも朝の静けさには変わりがなかった。
ルカは視線を前に戻すと、遠くにうっすらと見えるだけの凱旋門へ向かって歩きはじめた。
エトワール広場に着いたルカは、結界を通って学院前へとやってきた。学院の門をくぐるとそびえる塔を真っ直ぐに目指し、最初に一階の小部屋を訪れた。
「ルカ・アレヴィだ。面会の許可をもらえるか」
ややあってから鍵が差し出された。ルカは鍵をポケットに放り込むと、短く礼を言って小部屋を後にした。この流れも二回目とあって慣れたものだった。
ルカはぷらぷらとした足取りで塔を半周ほどした。さすがに早朝に来ると人にすれ違うこともなく、ルカの足音だけが響いていた。
夏の終わりだというのに、空気はひんやりと冷えていた。
ルカはとある部屋の前で足を止めた。ルカが学院の生徒だったときから空き部屋で、存在ごとすっかり忘れ去れている部屋だ。当時はルカはポケットから鍵を取り出した。くるりと手の中で持ち替えて指でつまみ、鍵穴に差し込んだ。ひねるとガチャリと心地よい音がする。
ルカはドアノブを掴んで押し開けた。何も置かれていない部屋が広がっているはずだが、現れたのは地下へと続く石の階段だった。ルカは壁に手を付きながら階段を下っていった。足を踏み外すことなく、最後の一段を軽やかに降りる。靴先から通路が真っ直ぐに伸びていた。通路の右側には空間がくりぬかれていて、穴を塞ぐように鉄格子がはまっていた。
ここは学院の地下牢だ。敵対した魔術師たちが捕らえられている。
ルカは靴でコツコツと床を鳴らしながら奥へ奥へと歩いて行った。いくつもの牢を通り過ぎる。突き当りまでやって来ると、ルカは近くにあった質素な椅子を掴んだ。牢のすぐ前に置くとどっかりと腰かけた。目元を和らげて牢の中にいる影に語りかける。
「よお、シャルル。一ヵ月ぶりだな」
牢の一番奥で椅子に座っている彼は不機嫌そうに指を組んだ。
「……何もこんな朝早く来なくてもいいじゃないですか」
「落ち着いて話せるのがこの時間くらいだったんだ。悪いな、起こしたか?」
「どうせ起きてましたから構いませんよ。先生と違って僕が朝に強いのは知ってるでしょう。それで、こんなところまで何の用ですか? やっと僕の処遇が決まったんですか?」
自分のことだというのに彼はやけに淡々としていた。ルカはゆるく首を振って否定した。
「学院も決めあぐねているんだろう。まあ、もうしばらくは地下牢暮らしが続きそうだな」
シャルルはため息を吐いた。あれから学院に連行されたシャルルはひとまず処刑を免れ、地下牢に放り込まれることになった。彼の投獄からもう一ヵ月が過ぎているが、未だに方針が固まらないのか、時々尋問を受けるくらいだった。ルカはその間を縫って面会に訪れていた。
「……そういえばアリスはどうしたんですか?」
シャルルはルカの背後を覗き込むように身体を動かした。前は二人で来たのにと言いたげに小首を傾げた。ルカは「ああ」と短く呟いた。
「アリスなら留守番だ。別に病気をしたわけじゃない。今日も朝から元気だったぞ」
彼は「そうですか」とだけ言った。
――――シャルル・セローの処遇が保留になっているのは、主にアリスの存在が原因だった。
彼はアリスの身体に手を加え、意志持つ魔術具を作り出すという罪を犯した。しかしそれは同時に、アリスを救うことにもつながっていたのだ。
今日ルカ一人でやってきたのはアリスについて尋ねるためだった。ルカは不意に黙りこんでしまうが、意を決して口を開いた。
「……なあ。おまえがアリスを武器に作り替えて、“生きていなければ意味のないもの”にしたのは、あいつへの同情からだったのか?」
声は低く、静かな問いかけだった。シャルルは眉一つ動かさなかったが、わずかに視線だけをさ迷わせる。その反応で答えは明白だった。しかしルカは言葉を続ける。
「おまえにとって、アリスはただの子どものはずだ」
「……でしょうね。間違いなくただの子どもでした。効率のいい対価の一つです。身体を切り刻めば、もっと簡単に扱えました」
シャルルは肩をすくめる。どうやら今さら隠すこともないらしい。
「情がわいた――――ただそれだけのことですよ。初めて会って、話して、すぐにわかりました。あの子は何も知らないかわいそうな子だ。それこそ昔の僕みたいに。人並みに哀れんだりはしましたよ。この子は傷つけられて、狭い部屋に閉じ込められて、いつかは殺されるんだって。でも僕にとってあの子は切り札みたいなもので、みすみす逃がすわけにはいかなかった」
「なのに逃がしたのか?」
「アリスに一回きりの機会をあげただけです。僕の前に先生が現れたみたいに、機会を得る権利くらいはあると思ったんです。まさかその所為で牢獄行きになるとは、予想外でしたけどね」
シャルルは口角を吊り上げると自虐気味に笑った。
「先生、用はそれだけですか? ついでに和解しようなんて言いだしたら殺しますけれど」
「囚われの身で物騒なことを言うなよ」
「だから何ですか。いい機会だから言っときますけど、僕が全部悪いとか思っていませんから」
シャルルはふいと顔を逸らした。あまりに分かりやすい態度にルカは苦笑いを浮かべた。
「わかっている。俺だって悪かった」
「……本当に用がないならもう帰ってほしいですけれど」
「次で最後だ。一応、お前にも知らせておこうと思ってな」
ルカは柔らかな視線で彼を見つめた。
「おまえに妹弟子ができたぞ」
シャルルは至極意外そうに瞬きを繰り返していた。
ルカがエソワに帰った頃には太陽がだいぶ上の方まで昇っていた。葡萄の季節が近づいてきた今でも昼の日差しはまだ厳しい。つむじのあたりががじりじりと照り付けられて、ルカは手でひさしを作った。
邸宅のすぐ前に降り立って、まず最初に懐中時計を取りだす。蓋を開くと、針は昼の十一時を指していた。
「もう昼飯の準備を始めているくらいの時間か……」
ルカは片手で懐中時計の蓋を閉じた。昼にはまだ早いが、働き者の彼女ははりきって食材を選びだしているに違いない。想像してしまって少し笑う。ルカは玄関の扉を押し開けた。
「アリス、帰ったぞ」
玄関から大きな声で呼びかけた。食堂まではゆうに届くような声だ。しかしアリスからの返事がなかった。どれだけ待っても彼女が足音ともに駆けてこなかった。
「アリス?」
不思議に思ってもう一度名前を呼んだ。すぐに耳を澄ませるが足音どころか物音一つ聞こえて来ない。とても人がいるようには思えなかった。
ルカは邸宅の外へ戻ると、またドアを閉じた。ふらりと足を前に出して歩きはじめた。丘の下まで伸びている道をのんびりと進む。日差しは眩しいが風は爽やかだった。あたりに広がっている葡萄畑は光を浴びて青々としていた。葉の間にちらついている葡萄は深い紫色に色づいていて、収穫の時期を迎えている。
いくつめかの畑にさしかかったルカは足を止めた。奥で葡萄に手を伸ばしている女性を見つけると、自分から声をかけた。
「ルイーズさん、お久しぶりです。今年の葡萄はどうですか?」
エプロン姿のルイーズは腕を上げたままぱっと振り返った。額に汗を滲ませている彼女はルカを見るなり表情を明るくした。
「まあ、バルテルさんじゃない! 久しぶりねえ! 今までどうしていたの」
「またしばらく忙しくて、引きこもっていました。でもやっと時間ができまして、ようやくゆっくりできそうです。ところでアリスを見かけませんでした?」
ルカが尋ねると、彼女は悩む間もなく答えた。
「アリスちゃんならさっき話したよ。確か橋の方へ歩いて行ったね。三十分前だったかな」
「橋の方ですか……。ありがとうございます」
軽く会釈してからルカはまた歩き始めた。緩やかな丘を下りきって道を真っ直ぐに進んでいく。前にもこんなことがあったような気がするが、ぼんやりとしか思いだせなかった。
丘のふもとまで来ても草原ばかり広がっていて、家はぽつぽつと見えるくらいだった。ルカはそよ風を浴びながら静かな小道を進んだ。
やがて橋が見えてくる。木でできた古い橋は数メートルもないほど小さいものだ。
アリスは欄干によりかかるようにして背伸びをし、川を見ていた。エメラルドグリーンの丸い瞳が川の向こうを見つめている。時々風が吹いて、金髪と赤いリボンが柔らかくなびいた。目に焼き付いてしまいそうなほど美しい光景で、ずっと眺めていたいくらいだ。
「アリス」
落ち着いた声で彼女の名前を呼ぶ。彼女はかかとをつけると振り返った。
「先生! おかえりなさい!」
二人目の弟子は、にこりと嬉しそうに笑った。ルカもつられて笑みを浮かべた。
「ただいま。もう昼だから、一緒に帰るか」
アリスは大きく頷くと、ぱたぱたと駆けてきてルカの隣に並んだ。二人で歩く帰り道には、穏やかな日差しが降り注いでいた。
ルカの証明 魔術師たちとアリストロシュ 月花 @yuzuki_flower
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