第40話 いつかちゃんと話をしないか


 ラコストに来る前、ルカがたてた作戦は、人の手を借りながらも自ら危険に飛び込んでいくようなものだった。


 もしシャルルを殺してもいいならその方がずっと簡単だっただろう。単純にアリスの力をもってすれば建物ごと全員を潰すことができたし、そうでなくとも殺意を抱きながら剣を振るえば、急所を裂けるための余計な動きをせずに済んだ。首筋だけを狙うこともできたはずだ。


 だがルカはそれを良しとしなかった。シャルルは必ず生かして捕らえたかった。


 だから、二人で地面に衝突して死ぬなどという結末は許されないのだ。


 二人が落ちる先に広がった魔法陣はエマとエリアスのもので、二人の身体は柔らかな風に吹き上げられていた。風にあおられて身体がひっくり返る。ルカは空を仰ぎ見た。ほの明るい夜空に月だけがまばゆく輝いていた。


 地面まで数十センチのところで風が去って、身体は地面へと転がされた。


「せ、先生! 大丈夫ですか!?」


 腕を押さえながら駆け寄ってきたのはアリスだ。やはり袖が赤黒く染まっている。鉄くさい臭いが鼻について、それが自分の物なのかアリスのものなのかはよくわからなかった。彼女はルカのそばに膝をつくと、背に手を添えながら顔を覗き込んできた。


「こんなに怪我ばっかり……。起き上がれますか」

「全身痛いが、なんとか……。アリス、手を貸してくれるか……?」


 潰れた声で言うと、アリスがしゃがみこんだままルカの腕を握った。全身を力ませながら懸命に引っ張る。しかしびくともしない。少女が大の大人を引っ張り起こすことなど到底できなかった。そのことに今さら気が付いたルカは思わず笑ってしまって、アリスの手首に腕を回して、彼女に支えられながら自分の足で立ち上がった。


 ルカはあたりに視線を巡らせた。シャルルは少し離れたところで少しも動かずじっとしていた。手首と足首を縛られているから逃げようがなく、大人しくルカを待っていた。ルカは身体を引きずるようにして歩き、彼のすぐ目の前に立った。


「……シャルル、これで終わりだな」


 ルカが声をかけると、シャルルは乾いた笑い声を上げた。


「ええ、そうですね、終わりです。これでおしまい。なんだか呆気なかったなあ……」


 シャルルは手首を後ろに回しまるで罪人のように跪いていた。ぼんやりとした瞳で虚空を見上げると、やがてゆっくりと俯いた。髪の隙間から首筋を見せて淡々とした声で言った。


「僕を殺してください」


 ルカは身体を強張らせた。シャルルはもう一度繰り返す。


「早く僕を殺してください。……もう疲れました」


 シャルルはうなだれたまま、首筋を見せつけるように軽く頭を揺らした。髪の先が踊って真っ白な肌がちらついた。そのまま動かずに地面ばかり見つめている。ルカは息を呑んだ。


「俺は、おまえを殺すつもりなんてない……」


 ルカは小さく首を振った。喉仏が震える。アリスがローブの端を強く掴んでいた。


「先生が殺さなくても、きっと学院が僕を殺しますよ。僕はそれだけのことをしてきましたから。僕はもうあなたの弟子ではなくて、一人の罪人なんです」

「……それでも俺がこんなところで手を下すのは違う」

「でも今殺しておかないとい、つか後悔しますよ」


 シャルルはせせら笑った。


「だって先生も僕のことが憎いでしょう」


 伏せられた彼の青い目は透きとおっていた。ルカは口を開いた。


「俺は、おまえを――――」


 言いかけて、その言葉はぷつんと断ち切られた。耳に届いたのはかすかな破裂音だけだった。


「――――ッ!?」


 声にもならない悲鳴とともに、シャルルの身体がガクンと揺れた。膝が浮いて、髪がふわりと宙を舞った。見開かれた瞳は自分に何が起こったのかわかっていない。シャルルは真横から突き飛ばされたように、勢いよく倒れこんでいた。


 彼は地に伏せたまま動かなかった。低い声で唸りながら身体を丸めようとしていた。彼の倒れたところから何か液体のようなものがじわりじわりと染み出してくる。血だった。


「シャルル!?」


 呼んでもうめき声が漏れるだけで、ろくな返事はない。ルカは近くにあった剣を拾うとシャルルの前に立ちふさがる。


 伸びる青の軌跡。攻撃は城壁――――城の方からだ。考えるまでもなくわかる。プランタンの魔術師による狙撃だった。このまま彼が学院に連れていかれればアリスに関する情報がすべて漏れてしまうから、ここで彼を殺して口封じをしたいのだ。


 ルカは短く息を吐いた。シャルルを庇うように立ってみたはいいが、ルカの魔力は拘束魔術で使い果たしてしまっているし、剣では目にも止まらない銃弾を切り裂くことはできない。それでもこうする以外には何も思いつかない。ルカの腕は疲労で震えていた。


 ルカのローブを引っ張る力がふと緩んだ。背中に隠れるように立っていたアリスが動きだす。


「……っ。先生、代わってください! わたしまだ動けます!」

「アリス!? どうするつもりだ、炎で壁を作っても透過魔術でかわされるぞ!」


 呼び止めるが、彼女はルカの前に躍り出る。ワンピースの裾が鮮やかにたなびいた。右腕を突き出すと、傷から伝ってきた血が滴って地面を濡らした。


「断絶は時として、災厄を阻む盾となる。故に、我は空間を分かち永遠の……隔絶を望んだ。これは籠であり檻であるが……正しき想いのもとに、成就する」


 結界魔術の詠唱だった。ひどくたどたどしいが言葉は合っている。ルカが教えた覚えはなく、数回聞いただけのものを勝手に覚えたのだと気が付いて、両眉を上げた。


「この力は……愛すべきものを守護するために。すべての敵意ある者らから我を守れ!」


 アリスは訴えかけるよな声で呼びかける。


 手のひらはぎゅっと固く握りしめられていた。彼女の必死の想いに応えるように、足元に魔法陣が浮かび上がった。柔らかな光が舞い上がって、巨大な壁を編み始める。


 ルカは自分でかけた拘束魔術を解くとシャルルの身体に触れた。傷口に両手を当ててみると、指と指の間にぬるりとした液体が入りこんだ。傷が深い。強く圧迫して止血しようとするが止まらない。


「せん、せ……」


 シャルルが掠れた声で呼んだ。光の消えたうつろな瞳がルカを見上げていた。


「なん、で……そんな……こと、して……?」

「なんでも何もあるか!」


 ルカは傷を押さえながら怒鳴りつけた。爪の中が赤く染まっていく。


「俺がおまえを恨んでいる? そんなのはおまえの勝手な思い込みだろ!」


 シャルルの目がわずかに開かれた。ルカを真っ直ぐに見つめて、しかし薄く閉じていく。唇は痙攣するように動いているが、血を吐いただけだった。ルカは「しっかりしろ!」と声をかけながら傷を塞ぎ続ける。


「いいか、おまえは俺の敵だ。おまえは魔術師としての禁忌を犯した。どんな理由があったとしても、おまえのしたことは決して許されないし、必ず償わせてやる。それでも! おまえが俺の弟子であったことも永遠に消えてなくならないんだよ!」


 ルカは一息に言い切ると彼の顔を覗き込んだ。彼はぐったりと手足を投げ出したままだが、意識は残っていて、目元をかすかに動かしていた。


 アリスがぱっと振り返った。近くに落ちていたルカの剣を拾い上げると、剣先を自分に向けた。ワンピースの裾をつまみ上げると剣を突き立てる。スカートを縦にビリビリと切り裂いた。ただの布切れになってしまったそれの、土で汚れていない部分をルカに差し出した。


「先生、これで傷を押さえてください!」

「助かる!」


 彼女もしゃがみこんでルカを手伝い始めた。小さい手のひらが伸ばされるのを見たシャルルは、ぽつりぽつりとうわ言のように呟いた。


「アリス……トロシュ。きみも、なんで……?」


 アリスは「こんなところで死なせません」と言い切った。


「あなたにされたこと、わたし、なんにも許してない。……でもあなたにしてもらったこともあったから。あなたがいなかったら、きっと、先生にも会えてなかったから」


 アリスは恐る恐る手を伸ばしてシャルルの手に触れた。力なくぶらさがっているだけの手を引きとめるように握りしめると、彼は唇を震わせた。何か言おうしているが声にはならなかった。


 遠くで爆発音が響く。遅れて城の方から火の手が上がった。


 ついに主力部隊が突撃して中を制圧し始めたらしい。屋根より高く燃え広がる炎は赤く照り輝いて眩しかった。散った火の粉が風に乗る。もくもくと膨れ上がる黒煙が空を焦がしている。


「……なあシャルル。いつかちゃんと話をしないか。二人で。これまでの話もこれからの話も」


 ルカは瞬きもせずに彼を見つめていた。


「おまえが何を思っているのか知りたいんだ」


 彼は焦点の合わない目でルカとアリスを探していた。そんな彼が小さく頷いたような気がして、ルカは眉を下げた。


 一年以上にわたる因縁にようやく打たれた終止符は、まだ脆く弱い。それでも確かに終わりを迎えたのだ。

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