第39話 いつか、安寧の日が訪れるまで


 ルカは静かに呟いてふっと微笑を浮かべた。不敵な笑みだった。シャルルはかすかに身体をこわばらせる。警戒して、身構えた。しかしこの攻撃を防ぐことは不可能だ。


 ルカは前のめりになると、口をめいいっぱい開けて大声を張り上げた。


「今だ、アリス! 崩せ!」


 ルカの声に応えるように遠くでまばゆい光が広がっていく。巨大な魔法陣だった。


 たった一秒ですべてが塗り替わるようだ。


 アリスの魔術が発動した。一切手加減のない植物魔術だった。かつてプランタンによって暴走させられた魔術式と同じもので、獰猛な蔦を操るものだ。


 今はアリスの意思に従って発動している。胴体ほどの太さのある蔦が目にも止まらぬ高速で、宙を裂きながら伸びてくる。凄まじい勢いで当たれば全身の骨が砕けるような速さだ。ルカも彼の傍にいるというのに、敵味方の区別もついていないような乱暴な攻撃だった。


「まさか……先生ごと巻き添えにする気か!?」


シャルルは信じられないとでも言いたげに目を見開く。剣先を向けてはみせるが、魔術のきれかけているそれは、ただの鉄の塊だった。ルカは切っ先を下ろしたままろくな抵抗もせずに見ているだけだった。狭い城壁の上に逃げる先などあるはずもなく、なす術もなかった。


 数秒後、何本もの蔦が強かに打ち付けられる。シャルルは腕で顔を覆ったまま目をつむっていたが、身体を襲う衝撃に悲鳴を上げた。


「う、わっ! なんだ⁉ 揺れて……!?」


 激しい振動が身体を揺さぶっていた。シャルルは両手を広げてバランスを取ろうとするが、前につんのめって膝をつく。わけがわからないと目を見開きながら、必死に剣を握りしめている。気を抜けば手から滑り落ちてしまいそうなどの揺れだ。


 アリスの蔦はすべて城壁に衝突していた。


 もろい足場の一部は木っ端微塵に砕け散る。城壁の下が崩れてしまえば、上に立っている二人が無事で済むはずがなく、足場を完全に失うのは時間の問題だ。すでに崩落は始まっていた。


 シャルルは片手を付き、あたりを見回しながら何か手立てを考えている。しかし剣では足場を固定することはできないし、魔力もほとんど残っていないから魔術で支えることもできない。それでも呼吸を早くしながら考える。


 八方ふさがりになった彼は「くそ!」と叫んだ。


「こんなことをしたら先生だって僕に一緒と真っ逆さまなんですよ!? 僕と心中でもするつもりですか!?」


 シャルルは顔を青くしたまま早口にまくしたてた。ルカは首を盾にも横にも振らず、返事の代わりに口角をひきつらせながら吊り上げた。固く握りしめた手は手汗でべたついていた。全身の皮膚が粟だっている。ルカは生唾を飲みこんだ。


 怖くないはずがなかった。もし失敗すればシャルルと一緒に地獄行きなのだ。


 だがここで負けるわけにはいかなかった。


 彼を打ち倒して生還する覚悟はすでにできている。ルカは痺れる指先を押さえこむと、静かに肺を膨らませた。吐き出す息とともにそれは始まった。


「―――戒めの鎖がかの者の四肢を縛り上げる。拘束された手足を動かすことはあたわず、どこへ逃れることもできない。我が手はかの者を捕らえるだろう」


 ルカの血にまみれた赤い唇は、丁寧に言葉を紡いでいた。身体の芯を貫くような揺れはいまだ収まらず、次々に城壁が崩れていく。うずくまったままのシャルルが両眉を上げて口をぱくぱくとさせていた。


 ルカが詠唱をしている――――たったそれだけの事実に目を見張っていた。ルカがまともに詠唱をしているところなど、彼はほとんど見たことがなかったのだ。


 ルカは喘ぐように短く息を吸いこんだ。喉が痛いほどひりついていた。


 この一年間でシャルルが変わってしまったようにルカもまた変わっているのだ。手に入れたり失ったり、気づいたり気づかされたりを繰り返しながら、正解がわからなくても、どこかへ向かって進んでいくしかない。その結果が目の前に広がっている光景で――――ルカは一音一音をはっきりと口にした。これこそがルカの証明だ。


「一切の自由を奪い去ることは罪であるが、我が心はその罪を受け入れよう。いつか……」


ふと内臓が浮くような浮遊感に襲われた。ローブが音を立てながら激しくたなびいている。足場は完全に崩れ去って、二人の身体は宙に放り出されていた。


 地に叩きつけられるまで残り数秒。


シャルルは宙で身体をひねって剣先をルカに向けた。せめてルカだけでも自らの手で仕留めようと、もがくように手足を動かしている。しかし二人の距離は詰まらない。剣は届かなかった。シャルルは悔しげに叫んだ。


 ルカは最後の一言を告げた。


「いつか、安寧の日が訪れるまで」


 魔力が身体を巡っていく。頭から足の爪先まで熱が通り抜けていく。足元に魔法陣が現れて、ルカの身体は温かな光に包まれた。光は寄り集まってやがて鎖となる。手足をばたつかせているシャルルにまとわりついて、その身体をきつくきつく締め付けた。


 動けないシャルルと、これ以上何もできないルカだけが宙に浮いていた。地面がみるみるうちに迫ってくる。二人そろって真っ逆さまに落ちていくなか、ルカは喉が張り裂けそうなほどの声で叫んだ。


「エマ、エリアス! 頼んだ!」


 助けを求める声はライアン通して彼らに伝わった。地面に魔法陣が展開されて、二人の身体は魔法陣めがけて落下していった。

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