第38話 シャルル・セロー


 彼女はしばらく堪えていたが、やがてよろよろと座りこんで片膝をついた。


ルカは動揺で身体が動かない。もう一度「アリス」と名前を呼ぶが、息切れでまともに声にならなず、顔をひきつらせた。すぐそばに立つシャルルもまた動きを止めていた。瞳を揺らしながら掠れた声で、言い訳のように何かを呟いていた。


 異様な空気のなかで、しかし先に動き始めたのはシャルルだった。無防備に腕の力を抜いていたルカは、一拍遅れてしか反応できない。死角から振り上げられた剣が脇を狙う。ルカはとっさに剣先を下に向けたまま防いだ。


「……なんで、おまえが、アリスの生死を……気にするんだ? おまえからしたら、あいつはただの武器で……」


 ひねった手首では力が上手くこもらない。限界まで曲げられた骨は今にも折れてしまいそうだ。剣先をガタガタと震えて、自分の剣の刃がルカの足をかすった。皮膚に食い込んでくる刃を必死に押し返しながら、ルカは声を絞り出した。


「……っ。あの子が!」


 シャルルは口を閉じて言葉を噛み殺そうとする。だが耐えきれず髪を振り乱しながら叫んだ。


「あの子が死んでしまったら何の意味もないんだよ!」


 シャルルは腕を振り上げるとすぐに打ち込んできた。息を呑むような強打だ。衝撃で手が痺れて剣を落としてしまいそうだった。ルカは勢いを殺すようにさばいているが、猛烈な攻めがやむことはなく、耳を刺すような金属音が響き渡った。


 シャルルは険しい表情のまま唇を結んでいた。目元が力んでいてまるで泣き出すのを堪えているようだ。ルカは切り結びながら、はくっと唇を動かした。


「おまえ、まさか――――」


 ルカは途中まで言いかけてやめる。たとえどのような理由があったとしても互いに決着を望んでいることに変わりはないし、アリスを地獄へ連れ戻すつもりならここで止めなければならない。彼女を守る、そう誓ったのは紛れもなく自分自身だ。


 夏の終わり、生ぬるい風が頬を撫でる。頭上には月が輝いていた。満月の夜だった。


 気づけば二人は動きを止めていた。


 ルカは静かに息を吐きだして剣を構えた。心臓は今にも破れそうなほど激しく収縮していて、喉がヒューヒューと鳴っている。傷口が燃えるように熱い。だが不思議と恐れはなかった。


 相対するシャルルは鋭い視線でルカを睨みつけていた。口の中にたまった血を吐き捨てて、剣を真っ直ぐに持った。彼の指先はかすかに震えている。もう力が入らないのか腕が下がっているが、瞳の奥だけは静かに燃えていた。互いに力のほとんどを使い果たしていて、これが最後の勝負になるとわかっていた。


 向かい合ってただ呼吸だけを繰り返した。相手だけを真摯に見つめていた。


「ルカ・アレヴィ」

「シャルル・セロー」


 それはかつてエソワの村で過ごした師匠と弟子の名だった。呼び合って、確かめて、たったそれだけだ。


 流れる雲に月が陰る。二人は息を止めて同時に駆けだしていた。開いていた距離がなくなるまでは一瞬だった。ルカは低く構え、シャルルが剣を上に振り上げる。全身全霊の一撃だった。


 剣が交わって火花を散らした。ルカが勢いで押し切って剣を弾き飛ばした。彼は後退するどころか、さらに深く踏みこんでくる。胴体を狙った一閃が放たれた。ルカはぶれる手つきで受け流した。一拍空いて、彼はその隙に詠唱する。


「魔術式、起動……!」


 魔法陣が浮かび上がって、剣に紫の光がまとわりついた。たった一秒で魔力を巡らせてみせた彼の実力は本物だ。シャルルは脂汗を滲ませながら、ニイっと口角を上げる。彼の剣先はルカの心臓を正しく捕えていた。


 剣に宿る光は薄らぼんやりとしていて、シャルルの魔力が切れかかっていることがよくわかる。彼は短時間の間に何度も強力な魔術を発動していたのだから当然のことだ。そろそろ眩暈がし始めている頃で、目元を痙攣させながら笑っている。彼は魔力の残りすべてをかけていた。


 互いの手札はすでに出し切っている――――と少なくともシャルルは思っているはずだ。


 ルカの身体はろくに動かずまともに戦えない、詠唱をして魔術式を組むだけの実力もない。今までのルカなら、間違いなくここで何もできなかっただろう。だが。


「――――ああ、やっとすべての魔力を使い果たしたんだな」


 だが今は違う。


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