第37話 先生も、僕のことが嫌いですか?
「ず、いぶん……考えているんだな……!」
「近づきさえすれば僕なんて敵じゃないと思ったのかもしれませんが、むしろ逆なんですよ」
「逆……っ?」
「先生はアリストロシュから離れるべきじゃなかった。あの子の魔術はほとんどコントロールが効かないから、ここまで近づいてしまえば迂闊に手が出せない。これですべて無力化できる」
シャルルは額に汗をにじませながら何度も打ち込んできた。ローブの裾が大きくたなびいた。ルカはかろうじて受け止めるが、動かすたびに間接が音を立てながら軋んだ。金属音が連続して響く。次第に手が追いつかなくなってきて浅く息を吐く。
シャルルの剣が頭上から降ってきた。ルカは呼吸もままならないままに防いだ。反動で腕が持ち上がって切っ先が逸れる――――その瞬間シャルルは手首を返した。そう複雑ではない動きだ。目ではよく追えていた。しかし身体が言うことを聞かなくて頭についてこない。
あっと短く声を上げた時には遅かった。剣先がルカの脇腹をかする。
「ぐ、うっ」
すぐに次の突きが飛んでくる。ルカは片目を閉じたまま身体をねじって避けた。彼が攻めの手を緩めたのを見て切り返すが、当たらない。気づけばまた剣が交わった。すでに彼の魔術式は解けているから、互いに身体強化をかけているだけだが、身体がろくに動かないだけルカの方が分が悪い。何か手を打たなければ追い詰められていくだけだ。
彼の言った通りルカの強みは剣術と身体能力だった。魔術はその補佐に使うだけで、仕留めるのはあくまでルカ自身だ。普通なら十分相手の意表をつけるが、今目の前にいるのはかつての弟子で、対策が完璧に練られている。
シャルルは剣技だけで言えばルカには到底及ばない。魔術具そのものもルカが作るものに比べればいささか見劣りする。
しかし彼はルカの下位互換で収まる器ではなかった。
彼はあくまでかつての師を模倣して魔術具を使っているだけで、魔力操作のセンス自体は一人の魔術師として十分通用するものなのだ。シャルルならば剣で戦いながら複数の魔術具を操ることができるだろう。
現にシャルルは魔術具を使う機会を虎視眈々と狙っている。少しでも隙を与えればすぐさま魔力を巡らせるはずだ。そうなればいよいよ劣勢で、ルカは動き続けるほかなかった。
「ね、先生……」
競り合いになって顔が近づいた。シャルルは青い瞳を細める。
「先生も、僕のことが嫌いですか?」
ルカの革靴が石を叩いてカツンと鳴った。互いに体重をかけあって押し切ろうとした。体格だけならルカに軍配が上がるが、魔術で強化している以上あてにならない。ルカの身体は後ろに滑っていた。返事もろくにできずにいると彼はふっと笑みを浮かべる。息を深く吐き出した。
「……寄り集まった風は、力をまといて嵐となり……」
彼がぶつぶつと呟いているのは紛れもなく詠唱だ。文言からして風魔術の類だろうと推測した。ついでルカは「まずい」と呼吸を荒げる。魔術具にさえ触れさせなければ、剣技で勝つ見込みがあると考えていたのに、これでは何の意味もない。
黙って詠唱を見守っているわけにもいかず、ルカは両足で踏ん張りながら全身の体重をかけた。シャルルも負けじと押し返してきて剣が嫌な音を立てた。少しずつ移動しながらも力は拮抗したままだ。
シャルルの詠唱はすでに四節目にはいっていた。
ルカは眉をしかめ右足を浮かせた。途端に踏ん張りがきかなくなって体勢が崩れ、身体が押されるままに真後ろへ倒れていく。背中から石の床へと落ちていった。防ぎようがなくて、シャルルが興奮の笑みを浮かべる。が、次の瞬間にははっと目を見開いていた。
「かは――――ッ!」
ルカの足が彼の鳩尾に食い込んでいた。痛烈な蹴りだった。
シャルルは目を白黒させて、わけがわからないといった顔をしたまま膝から崩れ落ちた。ルカもやはり真後ろに倒れていくが、蹴った反動で距離をかせいで受け身を取る。下についた手のひらがこすれて擦り傷だらけになるが、血が滲んだままで剣を握りなおした。勢いに乗ったまま身体を起こす。即座に視線を巡らせて彼の姿を探した。
シャルルは腹を押さえたままうずくまっていた。顔面蒼白で、唇はてらてらと赤く濡れていた。致命的と言えるほどの負傷で、しかし彼の視線の先にあるのは敵であるルカではない。彼は前のめりになって地に手をつきながら、喉が張り裂けるほどの声で叫んだ。
「アリストロシュ!」
壁の下をずっと行った先にある正門。そのすぐそばに立っているアリスはふらりとよろけた。
「アリス……⁉」
小さく見えるだけの彼女は肩のあたりを押さえている。よろよろと後ろに下がり、震える足で何とか堪える。アリスは足元を見たまま動かない。ルカの全身に鳥肌が立った。
一瞬で察する――――シャルルの詠唱はすでに終わっていて魔術が発動済みだったのだ。しかしルカの蹴りによって照準だけが寸前のところで逸れた。腕が跳ね上がって剣が横に向けられ――――それがたまたまアリスの方を指してしまったのだ。
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